第8話
デミアンと二人で、外出着をオーダーするために出かけてから三日後、今度はサイズ直しの終わった服を受け取りに行くことになっていた。
今回も予定通り学園で三人合流してから、再び侯爵家の馬車に揺られて街へと出た。
道中アルベルトがとても楽しそうで、それを見るデミアンがなんとも言えない表情をしていたのに気づいた。俺はその様子をなんとなく不思議な気持ちで見ていた。
馬車の中、王子は俺にあれこれと話しかけてくれたけれど、一方の俺はただ彼の話すことに相槌を打ったり曖昧に答えるだけだった。
俺はそれがなんだか何故か申し訳ないように思われて、それとなく学校のことや彼や彼の友人たちのことに話題を誘導した。俺のことなど、きっと二人は聞いても面白くはないだろうと思ったし、俺のつまらない話で貴族の耳を汚すわけにもいかないと思った。
時間を掛けて馬車があの店に到着すると、すぐに奥の間へと通され、完成品の試着をすることになった。サイズは俺にぴったりだった。鏡に映る自分を見ると、自分ではないような気がして戸惑った。
店の関係者のミゲルやケインが俺のことを誉めそやしたが、それはよそよそしく俺の耳に届いた。
デミアンはまぁまぁみられる恰好になったなと、褒めているのか貶しているのか分からないことを言った。
一方のアルベルトの方はまぶしい笑顔でもって俺を誉めそやした。彼の言葉に、なんだか落ち着かないような気恥ずかしいような、そんな気持ちにさせられた。不思議とすんなり受け取ることができた。
俺はサイズの調整後すぐに解散するのだと思っていた。彼らは彼らで忙しいのだから。
けれど、そんなことはなくて、試着のために着た服を脱ごうとした俺をデミアンが引っ張り、店から連れ出された。
どこへ行くのかと問うと、これからカフェで午後のティータイムだと言われた。そんな話を聞いていなかったのはどうやら俺だけだったようで、アルベルトも俺の空いた手を引っ張って馬車に再び乗り込んだ。
再び馬車に揺られて辿り着いたのは、王都で流行っているらしい店だった。らしい、というのは噂で聞いたことはあったが、実際には行ったことも見たことも無かったからだ。
宝飾店や高級服飾店、輸入品などを扱う貴族や裕福層が利用する店舗が立ち並ぶ通りにあるからだ。そんなところに俺は一度たりとも用事などなかった。
店内へ入ると、店の者が出てきて俺たちを一階奥の座席へと案内した。店内には店の関係者以外誰もいなかった。誰もいないということに俺はほっとして、少しだけ店の中を見回した。思ったことが顔にでないよう表情を引き締めながら。
以前デミアンに注意されたことを覚えていた。
「ほかに客はいないのですか?」
俺がそう尋ねると、デミアンが貸し切りなのだと言った。全く彼らの常識には驚かされてばかりだった。
ただ学生が三人でお茶を飲むだけだと言うのに、貸し切りにするというのがもう俺の常識から逸脱していた。まぁ、同席するのが第一王子なのだから、もしかしたらおかしなことではなく、全く普通のことなのかもしれないが。
席に着くと、デミアンが俺にメニューを渡しながら飲みたいものを聞いてきた。俺はそれを受け取って中を開くと、紅茶だけで十種類、コーヒーも七種類ほどあり、すっかり面食らってしまった。
紅茶は紅茶、コーヒーはコーヒーじゃないのか……。
新しい事実に俺は打ちのめされた。
困惑している俺に気付いたアルベルトが一つずつ教えてくれ、俺はやっと一杯の紅茶を注文した。二人はそんな俺を馬鹿にすることもなく、忍耐強く接してくれた。
ますます申し訳なさが募った。
しばらく二人と話をしながら待っていると、話しながらと言っても俺はほぼ聞いているだけだったが、茶が到着した。
そこで俺はまた驚かされた。
と言うのも、てっきり裏で淹れ終わった茶だけが出てくるのだと思っていたら、一緒に軽食の載った存在感のある大きな三段組のティースタンドが出てきたからだ。さらにお茶もお茶で、なんと俺たち一人につき一人の給仕がついて茶を淹れてくれると言うではないか。
俺は俺についてくれた若い男が優雅な、と言うべきなんだろうけれど、俺からしたらただ要らぬ儀式で手間と時間を掛けてお茶を淹れてくれるのをぼんやりと眺めていた。
やることなすことがいちいち大仰なのだ。カップにお湯を入れて温まるのを待ったり、砂時計で時間を図って茶葉を蒸らしたりだ。紅茶一杯に恐ろしいほどの作法があり、飲める状態になるまでにかなりの時間を要した。
それから、三人で茶を楽しみながらだらだらと雑談に興じる。二人は幼少期のことや、今取り組んでいることや、将来のことを話してくれた。それは俺の知るこの社会とは全く異なる様相をしていて、とても自分の話など二人に語って聞かせられようはずもなかった。
仕事がきついだとか、職場で殴られただとか、そういう話をするべきではないことは心得ている。
だから、俺は二人に気持ちよく話をしてもらて、こっちのことなど気にならないようただただ聞き役に徹した。
俺には二人に知ってもらいたいことなどなかった。
時折、個人的な話題に触れられそうな時には、当たり障りのないようなことや、誰かから聞き齧ったことをさも自分のことのように語ることで乗り切った。
そんな風にして、ポットの茶が無くなるまで会話は続いた。途中デミアンから作法の面で注意を受けたりがあったり色々と気を遣ったりで、やっと二人から解放されたときには安堵と疲労からいつもよりも早い時間に寝入った。
そんな風にして俺の一日は終わった。
その二日後、恒例となったデミアンの馬車で侯爵邸へと向かった。彼の家にある美術品を鑑賞させてもらうためだ。貴族の家に呼ばれるなど初めてのことで、とても緊張していた。
大きな馬車に揺られてデミアンの家に到着したとき、彼のタウンハウスは王都にあってとても大きく立派だった。玄関前には既にたくさんの人が、使用人たちであろうが、出迎えてくれた。一番前にはきりりとした面差しの美しい女性が立っていた。
馬車から降りたアルベルトに皆の視線が集まる。どうやらこれらは全て第一王子を歓迎するためのものらしいと分かった。俺は完全におまけだった。
中央に立つ女性はデミアンの母親だったようで、平民の俺にも丁寧に自己紹介をしてくれた。俺はとんでもないほど緊張しながら、所作だけでも美しく見えるよう気をつけながら挨拶をした。できるだけ粗相のないように。どんなときにも取り乱すなと言われたことを思い出した。
それから貴族流の作法なのだろう、美術品の見学の前にサロンへ案内されお茶会がまず始まった。デミアンの母親がホステスとして俺たちを持て成してくれた。
学校の話。剣術大会の話。学業成績の話。社交界の話。流行っているものの話。政治の話。そういった話題が、先日と同じように目の前で繰り広げられた。
俺は、やはり自分から話すような話題は一つも持ち合わせてはいなかったので、ただ聞かれるままに、失礼にならないよう言葉遣いに気を付けて簡潔に答えるにとどめた。アルベルトが、言葉数の少ない俺の代わりにいろいろと話をして場を盛り上げてくれる。さすがだと思わされた。
侯爵夫人は美しく聡明で思いやりがある人物のように見えた。俺の受け答えの最中に時折厳しい視線が向けられたような気がしたが、特に何かを言われるようなこともなかった。
俺は終始緊張しきりで、ほとんど出された食事に手をつけることはできなかった。ただ、ちびりちびりと紅茶を飲むにとどめて、ただ静かに、会話の邪魔にならぬように、ことの成り行きを眺めていた。
そうしていると、一つ気付いたことがあった。
それはデミアンと彼の母親との関係だった。
二人の関係は良好なようで、時折、母の子に対する愛情や出来の良い我が子に対する誇らしさとが彼女の様子に垣間見えた。その声色に、眼差しに、言葉の端々に。
それなのにデミアンのほうは、何故かわからないが、話しかけてくる愛情深い彼の母親に対して突き放すような物言いをしていた。恥ずかしがっているのだろうということがなんとなく察せられた。
彼は、自分の母親の誉めそやしや心配する言葉、軽口や冗談に、素っ気ない態度や少し冷たい言葉でぽつりぽつりと返していた。しかし実際のところ、その演技は全く上手くいっていなくて、逆にそれ故に、明確に母に対する尊敬や深い愛情が、普段は見せたことのない彼の表情に現れていた。
俺にはそれが少し奇妙なやり取りのように見えたが、アルベルトにはそうではないようだった。彼の顔には、そのやりとりの意味がはっきりと分かっていて、なおデミアンに対する一種の同情のような、俺にはよくわからない感情が浮かんでいた。
俺はただ、その光景を眺めていた。
夏の午後。爽やかな夏の風がレースのカーテンを揺らして通り過ぎていく。
真っ白な日差しが窓から差し込み、まぶしい光が磨き上げられた床に四角く映り込んでいる。影は濃く、光が当たるところは明るく、強烈なコントラストが世界の輪郭をはっきりと描き出していた。
紅茶のかぐわしい香り。立ち上る白い湯気。楽し気な笑い声。華奢な作りの椅子。つややかなテーブル。足の下の長い毛足の絨毯。色鮮やかな壁紙。高い天井。飾られた絵画。落ち着いた言葉遣い。手入れの行き届いた庭。涼し気な木陰。大きな窓。
彼らに降り注ぐカーテン越しの柔らかな光。
穏やかな午後の一時。
俺の目には、目の前で行われるやりとりが、まるで一つの神話のように映った。
お茶会が終わって侯爵夫人と別れた後、三人で邸内を回るときに、デミアンが合格だったようだと一言零した。そこで、先日の茶会が今日の予行演習のようなものだったのだと気づいた。
移動した先の侯爵家秘蔵の品々を展示するギャラリーは圧倒的な収蔵量だった。
学園の玄関ホールくらいの広さのある部屋に、絵画・彫刻・陶器・刀剣・装身具・古代遺物等々が、きっちりと意図を持って並べられている。しかも、別の部屋にまだまだあるらしい。侯爵邸を訪れる人に公開するために季節ごとに入れ替えているとか。
俺には全く美術的価値などわからないが、ほとんどのものが美しかった。いくつかはとても奇妙奇天烈な造形で、本当に価値があるのか疑わしいものもあったが、デミアンが大真面目に一番価値のある物はこれだと指示したのは、俺がへんてこだと思った絵画だった。芸術というものが俺にはますます分からなくなった。
広い邸宅、広い庭園、埃一つない掃除の行き届いた邸内、しっかりと教育の行き渡った使用人たちの振る舞い、どれも別世界のもののように見えた。
芸術作品をたくさんみたが、これを果たして魔法大会の芸術性にどうやって活かせばいいのか見当もつかなかった。
帰り際に、デミアンの家族の肖像画を見せてもらった。有名画家に描いてもらったものなのだそうだ。デミアン自身の絵もあった。それは本当に本人によく似ていた。素晴らしい絵に、俺が見入っていると、恥ずかしいから見るなと言われた。
デミアンの絵を見るのを諦めて、彼の一族の肖像画を見る。一枚一枚じっと見て回っている俺に、デミアンが親切にも詳しく説明してくれた。興味があると思ったらしい。俺はデミアンの説明を聞きながら、こんなにたくさんの人間のことを知っているのかと驚いた。生まれる前に死んでしまっている一族もたくさんいるだろうに。
俺はありがたくその説明に耳を澄ませたが、本当はさほど興味があったわけではなかった。
ただ。
内心で、家族というのはこういうものなのだろうと思った。
自分と同じ血が流れている人々が存在しているという事実に、はるか昔から今にいたるまでの悠久の時の流れをこうして目の当たりにしているという不思議に、囚われていただけだった。
そして、それは一緒に見て回っている王子も同様で。しきりに、王子が自分の宮殿にも代々の王家一族の肖像画が廊下いっぱいに並んで掛けられているのだと自慢していた。彼にも、同じように血を分けた存在がたくさんいるのだと思った。
そう思うと、彼らの話す言葉は自分と全く同じなのに、そこに込められている意味は、自分とは全く関係のないもののように思われてきて、少しも二人を身近な存在だと感じることができなかった。すぐそばにいるのに、全然遠い存在のように思われた。
彼らの顔を見る。幸せそうな彼らの顔を。それなりに苦労はあるのだろうが、きっと、貴族であるが故の苦労があるのだろうが、自分とは全く異質な苦労なのだと理解する。
個人個人の肖像画の終わりに、家族の肖像画が一枚飾ってあった。幸せそうな家族の一枚絵。
その絵の持つ輝きは、俺の人生には一度としてなかったものだった。
その家族の絵とデミアン親子のやりとりが、その日一番俺の印象に残った。
その翌日からまた、いつものように日雇いの仕事をこなす日々を過ごした。
仕事は相変わらずつまらなくきつかった。
俺はうだる暑さの中、せっせと仕事をした。
それからまた日があいて、こんどは王立騎士団の魔法演習場の見学に三人で出かけた。王子殿下と侯爵家子息同伴の見学とあって、軍の上層部の人間が付き添いを買って出てくれた。
この日みたものは、すごすぎて魔法大会の参考にはなりようがなかった。
というのも、遠目に見た戦略攻撃魔法や戦術攻撃魔法は、軍に入隊しなければ習うことが叶わない秘匿魔法だった。そんな魔法のいくつかを実際にこの目で見ることができたのは、確かにに素晴らしい経験ではあったが、軍事演習であるため、彼らの魔法は芸術性とは遠くかけ離れていた。
一糸乱れぬ統率や軍の作法、練習風景を見学すること自体は貴重な体験ではあったし将来役立てる余地はあったかもしれないが、こと魔法大会に関しては役に立つ気はしなかった。
そしてその日以降、彼らは彼らなりに忙しいらしく、長く二人の姿を学園のどこにも見つけることはなかった。
俺は仕事のないときは、一人いつものように朝起きて、馬の世話をし、朝食後乗馬の訓練をした。それから、図書館で調べ物をして本を借りたり、実技演習場で夏休み明けのイベントに向けて魔法の練習をしたりしてから寮へ戻ると、夕食を食べた。シャワーを浴びて汗を流したあとは、部屋で一人読書をした。
読書をしながら、三人で過ごした数日のことを反芻していた。
なんだか、俺にはそれが、夢のことのように思われた。
きっとこの学園を卒業したら、二度と経験することがないのだろうと、そう思った。
そんな予感がした。
だから、俺は、忘れないようにそっと心の奥底に三日間の思い出をしまった。
それは生まれて初めてのことだった。
ランプの灯を消す。
部屋は真っ暗になった。窓の外に広がる暗闇の向こうに、星が輝いていた。
星の光はあまりにか細く、部屋全体を照らしてはくれなかった。
孤児院のちびたちは、この暗闇を恐れた。俺も、小さいころはこの暗闇が怖かった。
だから俺は、ちびたちが寝付くまで不安に震える彼らを安心させるために、よく長い間起きて話をした。歌をうたってやったこともある。ちびたちが寝付くまで。家族の居ない寂しさに、すすり泣く彼らを慰めるために。
それは、院長先生や、今はもう孤児院を出て行ってしまった、俺よりも年上の子供たちからしてもらったことだった。
今はもうする必要のないこと。できないこと。してもらえないこと。
デミアンの母親を思い出した。
まだ見たことのない、アルベルトの母親の顔を思い浮かべてみた。
そうして、俺は目を閉じた。
固く狭いベッドの上で、古くてギシギシいうその上で一人眠る。それでもベッドで眠れる幸せを俺は思った。
けれど、少しだけ寂しいと思った。ずいぶん久しぶりに味わう感覚だった。
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