Sideリリィ:勇者の二つ名

 リリィ=アルシアナは勇者の記憶をうっすらと持っている。


 ただ夢という形で垣間見るので、本人は勇者を渇望するがあまりの妄想だと思っているが。


 交易都市グランニュールに来る前も、少女はその夢を見た。


 夢であらわれる青年は、類まれな勇者の資質を持っていた。

 聖属性の適性がきわめて高いこと、追いこまれるほど強くなること、誰かのために義憤で戦えること、昔々で語られるための勇者として理想だった。


 そして、剣技において世界で右にでる者はいないこと。


 青年は駆け出し冒険者だった頃から才はあった。近接戦だけならいつしか世界で五指に入ると、リリィもふんでいた。

 だが、そのいつしかはすぐにおとずれる。


 女神に愛されたとしか思えぬ才を、青年は発揮した。


 剣技で世界に右にでる者はいない。それは人やモンスターだけじゃない。

 神も、魔も、彼に剣技で勝てる者はいないということだ。


 果物ナイフでドラゴンを狩ってみせたとき、この青年は魔王クロノヴァの魔術さえ剣で切り裂くだろうと、リリィは確信した。


 調はあったが、それは学んでもらえばいいだけの話。

 彼がひとり立ちする日まで、リリィは自分が教えられるすべてを伝えようと思った。


無血白磁むけつはくじ】の勇者。


 いつからか青年は、そう呼ばれるようになった。

 流麗な剣技は見る者の心を奪い、悪しき者は斬られたことすらわからず、返り血を浴びることなく敵を屠る姿は神秘とたたえられた。


 聖なる光がこの世界に顕現した。

 品行方正な勇者。聖なる勇者。みんなが求める理想の勇者。

 まばゆい光に、自分の生まれた意味をリリィは初めて知った。


 出会ったころからは想像もつかない彼の姿に、同時に、重責を背負わせたことも知った。

 だからこそ、自分の命より彼を優先すると決めていた。


 そこで夢は終わる。青年の顔も姿も霧となって消えてしまう。


(神託、でしょうか。……いえ、都合のよい夢なのでしょうね)


 世界の理不尽さに押しつぶされまいと、強い光を求めてしまう。

 自分の弱さを見せつけられているようで、リリィは都合のよすぎる夢を大っぴらに語ることはなかった。


「――聖印・細胞大活性ヒールブラスト


 大コウモリが夜空から急降下してきたので破裂させる。

 血と肉片が雨のように降りそそぎ、戦場は血なまぐさくなる。ハルヤが状況を整えあげた戦場で、彼は今頃さぞや大暴れしているのだろうなと思った。


 しかし、リリィの口からこぼれたのは意外な言葉だった。


「綺麗……」


 ハルヤの剣技はとても美しかった。

 筆で絵をえがくように流麗で、雷の如く速く、一切の無駄がない。


 襲いかかってきた村人の武器が、まるでハルヤの剣に吸いこまれるように斬り刻まれている。彼らが一手攻撃をしかけるごとに、ハルヤは十手以上返していた。


 激しい動きなのに息苦しさを感じさせない。

 見る者の心を奪う、女神に愛されたかのような剣技。


 シルバーウルフがハルヤの背後かから襲いかかるも、彼はろくに振り返らずに首を斬り落とす。シルバーウルフは頭が斬られたこともわからず、走り回ってから絶命した。


 そこでリリィは彼が汚れていないことに気づく。


(返り血を浴びておりませんね……?)


 モンスターだけでなく、人の血も浴びていない。


 ハルヤは村人を無力化するため打撃を放っているが、剣もふるっている。

 斬られた村人は武器が持てなくなったり、糸の切れた人形のように崩れ落ちたりしていた。


(まさか、腱だけを斬っているのですか? ……あの速度、あの乱戦で?)


 信じられない。人間に可能な技なのだろうか。

 あれだけ高速で動きながら他の部位を傷つけずに、綺麗に断つなんて。


 患部は見ていない。だけど出血量も少なく、驚くほど綺麗に治せる傷なのだろうと、リリィはなぜだか直感する。


無血白磁むけつはくじ…………」


 不思議と、そうつぶやいていた。


 月の光も、魔物の瞳も、時間も、すべてを吸いこむように彼はたたずんでいる。

 今ここにいるモノすべてが彼のための観客になってしまったように、ハルヤは世界の中心でいた。


(本当に綺麗……。あんなに綺麗な人がこの世界にいるのですね……)


 心を動かされ、リリィは思いつくかぎりの賞賛の言葉を投げようとした。


 しかし当のハルヤは下品に笑う。


「ふははっ! これが生存本能の力! セック〇したいパワーじゃい‼」

「…………チッ」


 リリィは思いつくかぎりの罵倒の言葉を投げようとしたが、今は戦闘中なのでやめた。


(今からでも教育は間に合うでしょうか? うーん……)


 難しいでしょうね、とリリィは苦笑した。強い意志でハーレムを作ると決めているようですしと、彼を見つめる。


 月光を浴びたハルヤと、夢の勇者が重なった。


「はっはー! 村人の中に、カスごときに無様にやられるカス以下クソ寄生型モンスターはいらっしゃいませんかー?」


 いや、やっぱり重ならないなと、リリィは思った。


 ハルヤに煽られて苛立ったのか、倒れていた村人たちから黒いモヤがたちこめる。

 黒いモヤは上空に集まりはじめて、そして一塊のガス状モンスターと化す。


「はっ、全員かよ!」


 黒いガスがうねうねと激しく蠢いた。


「人間が、人間が、カス人間ごときがあああああ!」

「カス以下のモンスターがガスってーのは、なかなか笑えるな!」

「我らラギオンの姿を見たからには……楽に死ねると思うな! カス人間!」


 ラギオンと名乗った集合寄生モンスターは苛立ったように蠢いた。


 ラギオン、聞いたことのないモンスターだとリリィは聖杖をかまえる。剣技では、無形のガスモンスターに太刀打ちできないと思ったからだ。


 ラギオンもそう思ったのか、ガスを広げてハルヤを包みこもうとしていた。


「ハルヤ様! 私の後ろに来てください!」


 聖結界を張ろうとしたのだが、ハルヤは動かない。

 逆に安心するよう微笑んできたので、どうしてだかそれで、リリィは大丈夫なのだと安心しきってしまう。


 すぐ我に返って、聖結界を張ろうとしたがすぐに無意味だと悟る。


「カス人間! 肉も骨もじゅぐじゅぐに溶かしてやる!」


 ガスが迫るも、ハルヤは実に落ち着いた様子で剣を腰にかまえる。


 リィーーーーーンと鈴のような音が鳴った。

 かと思えば、彼はいつのまにか剣を真横にふっていた。


「やはり人間はバカ! バカバカ! ガスが斬れるわけ……きれええええ⁉⁉⁉」


 ラギオンの身体が横真っ二つに断たれていた。

 再生できないようで、ガスが夜空に霧散していっている。


「なんでなんでなんで⁉⁉⁉」

「むしろガスがなんで斬れないと思った。そら斬れるよ、ガスだし」

「カ、カスにバカにされたあああ!」


 いやガスは普通斬れないだろうと、リリィは思った。


(ハルヤ様の剣はいたって普通の剣。エンチャント魔術を使った素振りありませんでした。剣に生命力を注いだ……? それとも純粋な剣技でしょうか?)


 当のハルヤはガスなんて斬れて普通でしょ、みたいな顔で押し通そうとしている。

 死を悟ったのか、ラギオンは慌てたようにガスを広げた。


「やだやだやだ‼ なんでこんなカスに‼‼‼」

「ふははー! はーい、俺、カッスでぇーす!」

「ううっ……! もっといい素体、もっといい身体があれば! お前なんか!」


 ラギオンはそこまで言って、叫ぶのをやめた。

 寄生候補先を思い出したなと、リリィは悟る。ガスが迫ってきたら消し飛ばせるように、浄化の術を練ろうとしたが。


「おいおい、いい素体は目の前にいるだろうが」


 ハルヤはラギオンを煽ってみせた。

 意図がわからずにリリィが困惑していると、ラギオンは声をふるわせる。


「お、お、お前みたいな気色悪い人間に寄生するか! するか!」

「はー? なるほど、ビビっていると、さすがカス以下の生命体」

「…………後悔するなよ! カスの集合体‼‼‼」


 上空にただよっていたガスが集まり、ボール状になってハルヤの口へ高速とで飛びこみ、体内へと侵入する。

 そして彼の身体ががくがくと揺れた。


 リリィが言葉も発せないまま固まっていると、ハルヤは勝ち誇ったように笑う。


「勝った勝った勝った! 我らの勝ちだ人間‼ いやカス――」


 と、ハルヤは剣を逆さに持つ。

 そして自分の腹に思いっきり突きさした。


 剣が胴体を貫通して背中から剣先が飛びでている、膝から崩れ落ちた。ハルヤは吐血しながら黒いモヤも吐き出していき、「うそだ……うそだあああ……」とラギオンの慟哭が夜の闇に消えていったのを、リリィはたしかに聞いた。


「アホか。宿主のダメージをくらうんだろ、お前。真正面から敵に寄生しようとしてどーすんだ」


 ハルヤは終わった終わったーと、だるそうに息を吐く。

 リリィは血相を抱えて、彼に駆けよった。


「ハルヤ様⁉ 正気ですか⁉」

「そこは無事ですかって聞いてよ」

「…………無事なようでございますね」

「いやー、無事じゃないよ。剣が貫通して超痛いし」


 ハルヤはへらへらと笑っている。

 倒しきれるか確証があったわけじゃないのに、勇気があるのか無謀なのか、リリィにはわからなかった。


(世界に光を与える勇者、になるかもしれませんね)


 予感より、確信に近いものをリリィは感じた。

 ただ、望みどおりにはならない確信もあった。


「いくらなんでも無茶すぎます、ハルヤ様」

「無茶ではないよ、神官がいるからできた芸当だし」

「……仲間の力を信じたと?」

「そーそー」


 ハルヤは口から血を流しながら笑った。

 なにか誤魔化しているような笑い方に、リリィは勘づく。


「もしかして私が寄生されるかもしれないと思い、身体をはりましたか?」

「えっ⁉ やー……」


 ハルヤの目が泳いだ。

 出会ったときからこの人ちょくちょく目が泳ぐのですよねと、リリィは訝しむ。


「まず、ご自分を救うのではなかったのでは?」

「…………俺が身体をはって、リリィはどう思った?」

「腹が立ちますね」

「そう! それ! 俺が伝えたかったことはそういうことなんだな!」


 今思いついたなこの人、とリリィは思った。

 ろくに考えずに行動するタイプなのかもしれない。


「仕方のない人ですね」


 リリィは自然と笑っていた、自分が笑ったことにも気づいていなかった。

 ハルヤだけが彼女の笑顔を見てしまい、ぽかんと呆けに取られている。


「どうされましたか? ハルヤ様」

「…………………いや、可愛いなって」


 ハルヤからは可愛いだのなんだのよく言われたが、初めて本気で言われたようにリリィは感じた。


 感じたが、彼女にとってそれはどうでもよいことだった。


「では治療のために剣をぬきますね。一気にいきますよ」

「え⁉ も、もうちょっと待って‼ 10秒! 10秒ほど!」

「かしこまりました。いちーにー、……じゅう!」


 光の勇者にはほど遠い、とても情けない声が夜にひびいた。


 光の勇者にはほど遠いが、ハルヤのような光もあるのだとわかり、リリィはまた静かに微笑んだ。

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