「異世界に転生した元社畜、知識と魔法で無双ライフ始めます!」」

佑月 太郎

第1話

「目覚めの森」


 目を開けると、空が広がっていた。どこまでも澄んだ青。雲一つないその空は、まるで絵のようだった。


 ——ここは、どこだ?


 体を起こす。草の匂いが鼻をつく。見渡せば、深い森。土の上に倒れていたようで、服は泥にまみれ、手足には小枝が絡まっていた。


 ……会社を辞めたばかりだった。あの灰色の雨の日、駅前のベンチで、何もかも嫌になっていた。誰も頼ってくれず、頑張っても意味なんかないと思った。雷鳴が轟き、眩しい光に包まれて——気がつけば、ここにいた。


「……夢、じゃないよな」


 自分の頬を叩く。痛い。現実だ。


 そのとき、ふと、目の前に文字が浮かんだ。



【祝・転生!】

名前:シノハラ・ナオト

職業:無職(見習い)

称号:異邦の来訪者

スキル:『記憶の書庫(特殊)』『鑑定(Lv1)』

ステータス:開示不可

現在地:トレイヴァの森・南部外れ



 「……ゲームかよ」


 思わず突っ込んだ。だが、目の前のウィンドウは消えもせず、宙に浮かんでいた。


 これは異世界転生……ってやつか。


 ファンタジー好きの俺が、いつか夢見ていたやつだ。けれど——こうして実際にその“夢”が目の前にあると、どこか現実味がなかった。


 


 森を歩く。陽の光が木々の間からこぼれているが、方向感覚はさっぱりだ。道もない。


 水を求めて下り斜面を選び、慎重に足を運ぶ。途中、奇妙な鳴き声が聞こえて、身を縮めた。まだ何がいるのかわからない。気を抜けば、命を落とすかもしれない。


 そして——


 それは突然、現れた。


 リスのような姿だが、牙が鋭く、目が赤い。全身の毛が逆立ち、威嚇の姿勢をとっている。


「う、うわ……魔物、か?」


 俺の脳裏に、再び文字が流れる。



スキル『記憶の書庫』発動

対象:森獣種ファングリス

危険度:Cランク(低)

特徴:火に弱く、集団行動を好む。攻撃時は目を狙う。



「火……火、火か!」


 だが、今の俺には火をつける術なんて——


 そのとき、落ちている枝と石に目が行った。そうだ。昔、キャンプでやったことがある。火打石代わりに石を擦り、乾いた草を集める。


 震える手で何度も石を打ち鳴らし、ついに小さな火があがった。


 ファングリスが一瞬ひるみ、距離を取った。


「いける……!」


 火を前に出し、じりじりと後退。ファングリスは火を怖れ、やがて姿を消した。


 全身から汗が噴き出した。


 「……助かった……」


 だが、それは同時に痛感させられた。俺には、剣も魔法もない。ただの無職。あるのは、この“知識”だけ。


 この世界で生き残るには、頭を使うしかない。


 


 森を抜けたのは、夕方近くのことだった。


 小さな川が流れており、近くには細い獣道のようなものが続いていた。その先に、煙が立ち上っているのが見えた。


「……人間の、住処か?」


 警戒を解かず、そっと近づく。やがて開けた場所に出ると、そこには数軒の小屋が立ち並んでいた。


 村——というより、集落だった。


 


「おい、誰だ!」


 声に反応し、振り返る。弓を構えた男が一人、こちらを見下ろしていた。


「待ってくれ! 俺は……その、道に迷って……!」


「服装が変だな。どこの出だ?」


 返す言葉に詰まる。だって、そもそもこの世界の“地名”なんて知らない。


「……西の森の方から来た。記憶がちょっと、混乱してて……」


 怪しまれたが、男は弓を下ろし、村へ連れて行ってくれた。


 


 村の名は「ナグニア」。


 魔物の脅威から逃れた者たちが暮らす、辺境の集落だった。


 村長のロナという老人が出迎えてくれ、簡単な事情を話すと、しばらく滞在を許してくれた。


「この辺りは夜になるとファングリスの群れが出る。お前、よく無事だったな」


「火を……焚いたら、逃げていったんです」


 その言葉に、村人たちが少し驚いた顔をした。


「火打石も持たずに……まさか、枝と石で?」


「ええ、昔やったことがあって……」


「器用なやつだな。あの獣に襲われて生き延びたよそ者なんて、久しぶりに見たわい」


 ロナの言葉に、周囲がざわめいた。


 どうやらこの村でも“転移者”や“異世界人”の存在は、まったく知られていないわけではないようだ。


 


 その夜、借りた小屋の藁布団の上で、俺は天井を見つめながら考えていた。


 この世界に、なぜ俺は来たのか。あの時、願った。「やり直したい」と。——それが聞き届けられたのか。


 与えられたスキル『記憶の書庫』と『鑑定』。これはたぶん、“俺らしさ”の延長線なんだろう。積み重ねてきた小さな知識や経験。それだけが、今の俺を支えている。


 ならば——


「……もう一度、生きてみるか。この世界で」


 誰も知らない、新しい世界で。


 過去にしがみつかず、無理に何かを証明しようとせず。


 自分のペースで、自分のやり方で。


 


 そう決めたとき、不思議と心が軽くなっていた。


 まだ何も始まっていない。でも、確かに前へ進もうとしている自分がいた。


 その夜、久しぶりに、穏やかな眠りについた。


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