第2話 魔道馬車に揺られて
『……ようこそ、
何処まで遠目に山を眺めながら進めば良いのか、大きめの岩を避ける為にハンドルを回した瞬間、牧野(まきの) 輪(りん)の前で今まで暗転していたカーナビの画面が淡く光った。
そこから響いたのは、落ち着いた、まるで案内役の秘書のような女性の声。
『
輪は驚いた顔で画面を見つめた。
さっきまでただのカーナビだった機械が、まるで人と話すかのように振る舞っている。
『本機は“話せる”だけでなく、使用者に対し最適な行動提案、周辺情報の分析、魔力管理および進路案内まで一括して行います。異世界適応仕様ですので、安心してお任せください』
機械的に流される説明を聞きながら、輪は小さくため息をついた。
異世界に来た衝撃が残る中で、車まで“覚醒”して、異世界に飛ばされた事実を再認識させられるとは想像もしなかった。
ワゴンRは、エンジン音の低い唸りをあげながら草原を走っていた。
車体の下では、四つのタイヤがしっかりと地面を捉えて回っている。
どうやら魔力による“魔動エンジン”が、物理的な車輪の駆動も担っているようだった。
「えっと……じゃぁナビ子、この世界の状況をもう少し詳しく教えてくれ」
輪が問いかけると、カーナビに読み込み中の文字。ネット環境も無さそうな場所なのにAIが検索など出来るのだろうか。
輪の心配をよそにナビ子の返事はすぐに返ってきた。
『承知しました。現在、
「なんだ魔物って……危なそうだな。物流は崩壊しかけてるってことか」
配送業に携わっていた彼にとって、物流の崩壊という言葉は他人事ではなかった。
徐々に減る人手、にも関わらず増える配送物。増加する1日の配達件数──思い出すだけでも恐ろしい。
『はい。従来の馬車輸送では、魔物の脅威を防げないとの報告が多数上がっています』
ナビ子の返答は冷静で正確だった。
その口調はまるで、異世界の交通インフラ全体を把握しているかのようだ。
『なお、輪様におかれましては、現時点において世界の命運や魔王討伐などの“物語的使命”は付与されておりません。従って、自由行動が許可されています』
「はあ……自由って言われてもな……え、今魔王とかなんとか言わなかったか……?」
輪は額に手をやりながらフロントガラス越しに広がる草原を見つめた。
役割も何も自分がこれからどこへ向かえばいいのかもわからない。宛も土地勘もない場所に放り込まれて魔物やら魔王やらと不吉な単語(ワード)がバンバン出てくる。
『現在地より約2.7km北に、
「村か。確かに今の俺に必要なのは、人と情報だな」
『言語は自動翻訳フィルターにより、相互理解可能です。耳からの音声と視覚的な文字は輪様に適応済みです』
ここまで至れり尽くせりなナビゲーションは、逆に不安になるほどだった。文字も言語も異なる異世界に来た事を再認識させられた。
* * *
しばらく進むと、前方には森の境界線と、その中に伸びる土の道が見えてきた。
どうやら、これが村へ通じる街道のようだ。
「このままこの道で村まで行けるか?」
輪の問いに、ナビ子が即答する。
『物理的には可能ですが、現地の文化的観点から言えば、乗用車両での侵入は不審視される可能性が高いと判断されます。変形を推奨します』
「変形って……え?」
ダッシュボードの画面に、新しいアイコンが浮かび上がった。
⸻
《形態選択:変形可能》
→ 通常車両モード(現行)
→ 魔導馬車モード(推奨)
⸻
「魔導馬車……そんなのまであるのか」
輪は感心したように操作パネルに指を伸ばした。
『本車両は《文化擬態》オプションを標準搭載しており、地域社会への違和感を最小化する目的で、外見と一部機能の切り替えが可能です』
「外見を馬車、中身は車……ギャップがすごいな」
変形の指示を出すと、車体全体が淡く光り出し、ボンネットは木製の荷台へと変形。
前方には幻影のような馬が二頭、ふわりと現れた。足音も吐かれる息も本物と見紛う栗毛2頭。
『変形完了。馬は実体ではありませんが、視覚的には完璧な模倣となっています。近くで見ても“ただの馬車”と認識されます』
自動車の時よりも揺れ自体は大きい。内装も馬車仕様になり、輪の座る長椅子の足元に馬車には似合わないペダルが2つ。ハンドルは手綱になっていた。そしてカーナビは設置する場所に困ったのか、左の幻影馬の尻に不自然に設置されている。
「お前はそこで良いのか……?」
外から見れば完全に一台の馬車に変形していた。
『村まであと1km。魔獣の反応は検知されていません。安心して進行可能です』
索敵能力まで完備されているナビ子の声に小さく笑い、車──土煙を上げながら、変形した“馬車”は静かにサラン村へと向かっていった。
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