第2話 ひなたの庭
タンポポが咲いていた空き地は、依然としてごみの山だった。
割れたガラス瓶、使い捨てられた電子レンジ、錆びた傘の骨——。
風が吹けば埃が舞い、誰もが足早に通り過ぎていく。
けれど、そこに確かに、花が一輪咲いていた。
小さく、黄色く、それでもまっすぐに、空を仰いでいた。
「なぁ、ハルばあ。あの空き地……きれいにしてもいいか?」
ユウトが言ったのは、花の壁に三枚目の紙を貼った翌日だった。
「どうして?」
「……なんか、あのタンポポ、一人でかわいそうだろ」
その言葉に、ハルは静かに笑ってうなずいた。
—
掃除は、夕方の誰にも見られない時間に始まった。
ユウトとミナ、そして最近店に顔を出すようになった小学三年のリク。
リクは足が悪く、学校では「使えないやつ」とからかわれていた。
「ゴミ拾うの、なんか楽しいな……。っていうか、変だよな、これ」
リクが言って、皆で笑った。
誰かと一緒に何かをすることが、ただそれだけで嬉しかった。
空き缶を拾い、壊れたベンチを運び、落ち葉を集める。
最初はうまくいかなくても、だんだんコツをつかみ、空き地の「顔」が変わっていった。
—
「ハルばあ、これ、植えてもいい?」
ミナが持ってきたのは、小さな鉢植えのシロツメクサだった。
近くの公園で拾ったと言う。
「もちろん。花は友だちを呼ぶからね」
その言葉を聞いたとき、ミナは小さく笑った。
——友だち、なんて、ずっと言われたことがなかった。
—
空き地には、端材で作ったベンチが二つ置かれた。
拾ってきた鉢、壊れたプランター、紙に描いた花の名前。
リクが足で踏んだレンガを並べて「道」にする。
誰もが思いつくままに作り上げたその場所を、ユウトがぽつりと言った。
「……名前、つけようぜ」
「え?」
「この場所。庭、みたいだし……なんか、いい感じの名前。ハルばあっぽい、やつ」
「……ハルばあって、太陽みたいだよね」
と、ミナが呟く。
「じゃあ……ひなたの庭、とか?」
その名前は、みんなの胸にすっと染み込んだ。
—
「ひなたの庭」ができたという噂は、ゆっくりと横丁に広がっていった。
最初に反応したのは、町内会の老人だった。
「子どもたちが、掃除してるって本当かい?」
「すごいじゃないの。あの子たち、何かやらかす子かと思ってたのに……」
「でも、どうしてそんなことを?」
答えは誰にもわからなかった。
けれど、「はるや」の前を通る大人たちの目つきは、少しずつ変わっていった。
—
ある日、ハルが店を閉めたあと、ユウトが一人、庭に残っていた。
「……ハルばあ、前に住んでたとこ、どんなとこだった?」
「ふふ。そうねぇ。もっと静かで、空気が澄んでいたよ。川の音が聞こえてね、夏はカエルがよく鳴いたもんだよ」
「そっか。……なんで、ここに来たの?」
ハルは少しだけ黙って、それから言った。
「ここにはね、昔、孫がいたのよ」
「……え?」
「ずっと昔。あの子も、学校が好きじゃなかった。絵を描くのが好きだったけど、誰にも認めてもらえなかった。……とうとう、声も出さなくなってね」
ユウトは何も言わなかった。ただ、じっと聞いていた。
「その子は、ある日……いなくなった。探しても、手がかりはなかった。いろんな人に言われたわ。あんたが悪いって。あんたが母親代わりをしたからって」
「……そりゃ、違うだろ」
「ありがとう。でも、それからずっと、わたしは自分を責めてた」
風が吹いて、庭のシロツメクサが揺れた。
「だからね、今度は、見てるだけにしたのよ。無理に抱きしめたりしない。答えを押し付けない。……ただ、そばにいる」
—
その夜、ユウトは紙にこう書いて、壁に貼った。
「誰かのために何かしたくなるのは、悪いことじゃないと思った」
その言葉は、ハルの胸に、静かに、優しくしみこんだ。
—
春の終わりが近づくころ、「ひなたの庭」には新しい子どもたちが集まるようになった。
中学二年のマサト、小学一年のアイ、姉弟のナオとユメ。
みんな、最初は黙っていた。けれど、花の壁を見て、少しずつ話し始めた。
「こんな場所、あるなら、早く来たかった」
「ここにいると、自分がダメじゃない気がする」
彼らは花を植え、水をやり、紙に言葉を書いて貼った。
—
「希望って、あるんだな」
ミナが呟いたとき、ハルは言った。
「あるよ。みんなの中に、もう芽が出てるんだもの」
—
影日向横丁。
ひび割れた路地裏に、いくつもの小さな芽が顔を出していた。
それはまだ、誰にも見えない。
けれど——確かに咲こうとしていた。
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