手回しミライ
猫LOVE
錆びた朝の音
「ジリリリリッ!」
けたたましいベルの音が、静かなアパートの一室に響き渡る。ハルトは反射的に腕を伸ばし、枕元の古い目覚まし時計のボタンを叩いて音を止めた。まだ薄暗い部屋には、埃をかぶったラジオと、ガラスの欠けた写真立てが並んでいる。窓の外からは、AIが自動運転するドローンタクシーの低いモーター音が、ひっきりなしに聞こえてくる。
「ハルト兄ちゃん、起きてる?」
隣の部屋から、弟のトアの声が聞こえた。ハルトは生返事をしながら体を起こす。まだ頭はぼんやりしているが、もう一度眠りにつくという選択肢は彼にはない。台所に行くと、トアが古びたやかんをコンロにかけている。
「おはよう、トア。飯にするか?」
ハルトは冷蔵庫を開けた。AIが自動で温度管理し、食材の鮮度を知らせるスマート冷蔵庫が主流の時代に、ハルトのそれは単なる冷気の箱だ。扉を開けると、ひんやりとした空気が頬を撫でる。昨日の残りの野菜と、半額になっていた卵を取り出した。
コンロに火をつけ、トアがパンを焼く。AIが最適な焼き加減で自動調理するトースターとは違い、ハルトのパンは時々焦げ付く。それでも、パンが焼ける香ばしい匂いは、AIの作り出す合成香料とは違う、確かな温かさがあった。
食卓を囲む間、トアが学校での出来事を話す。
「今日ね、クラスのタカシが新しいAIペットを買ったんだって」
トアは、キラキラと目を輝かせ、興奮を抑えきれない様子で身を乗り出した。その声には、隠しきれない羨望がにじんでいる。
「すごく賢くて、ちゃんと会話もできるんだってさ。タカシが『ただいま』って言うと、『おかえり、今日も一日お疲れ様』って言うんだって!それに、宿題も手伝ってくれるし、ゲームも一緒にできるんだ!僕も欲しいな、ハルト兄ちゃん。あとね、タカシの家のAIシェフが作ったご飯の話もしてたよ。栄養満点で、どんな料理でも一瞬で作ってくれるんだって。僕も、AIの作ったご飯を食べてみたいなあ……」
トアは興奮気味に、そのAIペットやAIシェフがいかに素晴らしいかを力説した。AIペットは、感情を読み取り、最適な返答をするだけでなく、学習能力まで備えていると聞く。AIシェフは、栄養バランスを完璧に計算し、あらゆる料理を瞬時に生成する。トアの学校では、ほとんどの生徒がAIペットを持ち、AIシェフの恩恵を受けているのだろう。ハルトは黙って、トアの皿に目玉焼きを乗せた。彼にはわかる。AIがどんなに便利で素晴らしいかを、そしてトアがどれほどそれらを欲しがっているかを。
ハルトのスマートフォンは最新モデルではないし、AIアシスタント機能もほとんど使っていない。通信費用を抑えるため、アプリも最低限しか入れていないのだ。友人たちが楽しんでいる最新のゲームや、AIがレコメンドするファッションの話も、ハルトにはどこか遠い世界の出来事のように聞こえる。彼の生活は、まるで数十年前の、“現代” と呼ばれた時代のままだった。
「へぇ、すごいな。でも、トアは俺が作った飯の方が美味いだろ?」
ハルトが冗談めかして言うと、トアは満面の笑みで頷いた。
「うん!ハルト兄ちゃんのご飯が一番美味しい!」
その言葉に、ハルトは安堵した。今の生活で十分だ。この温かい食卓があれば、今は十分。だが、いつか、トアにも、みんなと同じように最新のAIペットで遊んだり、AIが作った最高に美味しい料理を食べさせてあげたい。そんな、ささやかな憧れが、心の奥底に静かに灯っていた。
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