第32話 雷光に還る思い出
悪魔アスモデウスが展開した黒炎と鏡に囲まれた砂地。
地獄のような戦場は、既に死と絶望に覆われていた。
蒼井たちが切り伏せた無数のゾンビの亡骸が、砂上に無惨に転がり、まだ燻る黒煙が漂っている。
だが戦いは終わってはいなかった。むしろ、ここからが本番だった。
その只中、槍を構えたグレアムが一歩、アスモデウスへと踏み出す。
瞳には冷静さと、底知れぬ闘志。
そして仲間に振り返ることなく、ただ背で語った。
「皆、奴は俺が引き受ける。
お前たちは……操られた彼女を取り戻せ。」
その言葉は命を賭す覚悟を帯びていた。
皆が息を呑む間もなく、アスモデウスの口元が歪む。
「ホホホ……面白い。だが傲るな、悪魔殺し。
人間ごときが踏み込んでよい領域を忘れるな。
貴様が狩ってきた下級の悪魔どもと私とでは格が違う。」
黒き炎が爆ぜ、鏡が波打ち、戦場全体を飲み込まんとする。
しかしグレアムは一歩も退かず、槍先を相手に向けた。
「ならばその言葉が虚飾か真実か、このグングニルで試すとしよう!」
黒炎と砂塵が衝突する轟音と共に、二人の死闘が幕を開ける。
その刹那――。
ザフィーラが、漆黒の残光を引き裂きながら仲間たちへと突撃してきた。
操られし肉体は矢のように速く、かつての慈愛の面影は微塵もない。
「ザフィーラおばさん……!」シエラが声を震わせる。
「来るぞ!」蒼井が叫び、刀を構える。
暴走するザフィーラを前に、蒼井、エリック、カイル、ライザ、シエラ、リタの六人は必死に立ち向かうしかなかった。
ザフィーラの蹴りを蒼井が刀で受け流す。
それでも鋭い衝撃が刀身を伝い、骨に響く。
だが蒼井は反撃には移らず、ただ受け流し、間合いを作るだけだった。
「……殺すわけにはいかない!」
その声は、仲間への諫めでもあった。
エリックは剣をしまった状態で、盾を使い、柔軟な身体操作で攻撃を逸らし、足を払おうとする。
しかし、ザフィーラの体術は凄まじく攻撃を受け止め、弾くのが精一杯だった。
「何とかチャンスは作る! 誰か止めてくれ!」
その隙を狙い、ライザが巨大なハンマーを地面に叩きつける。
轟音と共に地面を砕き、その衝撃でザフィーラの体勢を崩そうとした。
だがその地を這う衝撃は寸前で逸らされており、ザフィーラは素早く飛び上がる。
「起きろよ、ザフィーラおばさん! こんな事ってないよ!!」
カイルとリタはザフィーラに近接戦を仕掛け、息をつかせぬギリギリの攻防を繰り広げていた。
だが二人の剣筋も狙いは迷いから定まらず、カイルは蒼雷の威力だけで牽制し、リタは強化されたその身体能力を頼りに、ザフィーラの攻撃をスレスレで避けることに専念していた。
「くそっ!いい加減に目を覚ませよ!」
「闇の力に呑まれないで!」
仲間たちは誰一人、本気の攻撃を繰り出さない。
傷つけぬよう必死に動きながら、ザフィーラの猛攻を防ぐだけで精一杯。
そんな中、シエラだけが冷静に動きを観察していた。
(この速さと力、ただ蘇生されただけで出せる筈がない…。何処かに力の源がある。)
目を凝らすと、ザフィーラの露出の高い外骨格スーツから覗く、みぞおちの部分に黒い魔力の脈動が見えた。まるで闇の心臓のように蠢いているのを感じた。
「……あそこ…!」
シエラは息を呑み、声を張った。
「皆!みぞおちに……闇の魔導石が埋め込まれてる! おそらくあれが操られる原因……でももしかしたら…破壊したらザフィーラおばさんは死んじゃうかもしれない!」
仲間たちの動きが一瞬止まり、空気が凍る。
その時、リタがザフィーラから距離を離し、自分に移植されている魔導石を見つめる。
「シエラ! 私の魔導石使えるかも!」
リタは自分の魔導石を押さえる。
服の下で白銀の聖なる魔導石が、心臓の鼓動に呼応して淡く輝いた。
「鉱山でゾンビになりかけた私に、シエラが加工してここに移植してくれた“命”。
これをザフィーラに。」
「だめ!!」シエラが悲鳴を上げる。
「それを外したら、リタが死ぬ! 絶対にそんなことさせない!」
「構わない! 大切な人なんだ…。
私は灰狼だよ、救うべき人のために命を捧げるんだ!」リタは揺るがない。
シエラはリタの覚悟に涙を流す。
「愛する人を失いたくない…!
あなたもザフィーラおばさんも…!!」
どんなに悲しもうとザフィーラの蹴撃が容赦なく嵐のように襲う。
蒼井とエリックは仲間を庇うように必死に防ぎ、ライザが地を砕いて攻撃をずらすが、押し返すには足りない。
「くそっ……! リタ…お前って奴はよ…。」カイルが歯を食いしばる。
「ん!?……いや、待て!」
彼は大剣を握り直した刹那、何かを思い出したように眼を見開いた。
「シエラ!リタ!もしかしたら代わりの魔導石あるかもしれねえ。」
「どういうこと?」
カイルは意気揚々と蒼雷に嵌め込まれている魔導石を見つめ答えた。
「こいつだぜ…。こいつだぜえぇ!!」
カイルはレオンの魔導大剣〈蒼雷〉を地に突き、柄の基部に指をかける。そして捻り、引き抜く。
取り外した魔導石からは雷光が彼の掌で脈動した。
蒼の稲妻を封じた蒼雷の魔導石が辺りを蒼白に照らす。
「こいつぁただの魔導石じゃねえ。
ザフィーラがレオンのために造った剣に埋め込んだものだ。
剣にだけじゃなく、使う者の生命を高め、力を引き出す。
もしかすると生命そのものを補助し、強化する効果があるんだ!!」
リタがその言葉に反応する。
「確かに…。 親父は戦ってる時いつも雷バチバチだった。雷獄の獣の異名はそこから来てた。」
その言葉を聞いてシエラの涙は希望に変わる。
「いけるかもしれない…。」
ザフィーラを引き受ける蒼井とエリックとライザ。
その話を聞き、エリックは必死に叫んだ。「頼む! 早くしてくれえ!! このままじゃもたない!!」
「ダメだ、限界だよ…!」ライザが歯を食いしばる。
「下がるな!」蒼井が叱咤する。
その声の奥には仲間を守る信念の強さを感じさせる。
「斬らず、止める。それが今の俺たちの役目だ!」
エリックは盾を構え、力の流れを読んで攻撃を逸らす。衝撃を吸い、力を返す。
蒼井との騎士団の新人時代に習得した、彼の独特な戦い方が、暴れるザフィーラの軌道をわずかに鈍らせた。
そこへカイルが声を張り上げる。
「ザフィーラ!!」
雷光を纏う魔導石を高く掲げると、稲光が空気を震わす。
するとザフィーラの目が一瞬だけ蒼い光に反応し、わずかに揺らぐ。
「見えるか! あんたがレオンに託した力だ! 俺たちはその想いを受け継いでるぞ!!」
カイルの叫びは、暴走するザフィーラの心に届いたのか、それとも一瞬の錯覚か。彼女の動きが鈍る。
シエラが迷いを振り切るように叫ぶ。
「今しかない! 闇の魔導石を壊す。
カイル!石を準備して!」
「おぅよ!」
カイルが蒼雷の魔導石を握り、蒼白の雷光を走らせる。その光は、まるで命の鼓動そのもののように脈打っていた。
しかし――。
「ホホホ…無駄だ!」
黒い鏡の奥からアスモデウスの声が轟く。
「その女はすでに我がもの。お前たちの甘さごと呑み込む。」
次の瞬間、黒炎の分身が四方の鏡から飛び出した。
数十の影が一斉に蒼井たちへと襲いかかる。
「くっ……まだ来るのか!」ライザが巨槌を振り抜き、影を吹き飛ばす。
「持ちこたえろ!」エリックが盾で薙ぎ払い剣を抜き、蒼井が一閃で分身を払う。
だが本体であるザフィーラは、なおも暴走を止めない。
その時――。
「カイル! 俺の剣を返せ!」
血に濡れ、満身創痍のレオンが戦場に飛び込んできた。
「ようやくかよ裏切りモン!」カイルは蒼雷を投げ渡す。
レオンは受け取るや否や「お前の剣はどうした? なくしてねえだろうな!」と怒鳴る。
「あっ……!」リタが顔を青ざめさせ、自分の左腕輪を叩く。
「ごめんカイル! これ!」
腕輪から光が走り、預かっていたカイルの大剣が姿を現す。
「忘れんなよ、大切なもんだ!」カイルは剣を受け取り、体勢を整える。
「よし、これで本気でいける!
蒼雷は俺には使いこなせねぇ。」
レオンはカイルの手にある蒼雷の魔導石を見やり、荒い息を吐いた。
「……確かにそれは、ザフィーラから俺が託された力だ。命を高める効果はある。だが…試したことはねえ。」
「賭けるしかねえだろ!
それ以外に方法はない。」
レオンは深く頷き、ザフィーラに向き直る。
「なら、俺が抑える。あいつのことは誰より知ってる……! 絶対に離さねえ!」
ザフィーラの蹴りを紙一重でかわす。
彼の眼差しはザフィーラのわずかな肩の揺れ、腰の捻り、その全てを読み切っていた。
「その速さも、その癖も、全部……俺が一番知ってる!」
同時にレオンは蒼雷を逆手に持ち替え、剣を囮にして一瞬の隙を生む。
ザフィーラが反射的に蹴りかかってきた瞬間、その脚をすり抜けるように潜り込み、背後に回り込む。
足を払うと同時に、自らも地を滑り込みながら片腕で彼女の首を、もう片腕で腰を抑え込む。
「ぐっ……!」ザフィーラが唸り、肘で振りほどこうとするが――
レオンは苦悶に顔を歪めつつも、決してその腕を離さない。
「……俺は、絶対にお前を取り戻す!」
必死の拘束。
それは力ではなく、元恋人だからこそ知り尽くした「動きの癖」を利用した、魂を込めた技だった。
「今だ!頼む!」
レオンが全身の力を込めてザフィーラの動きを押さえ込む。
その隙を逃さず、カイルは荒く息を吐きながら前へ飛び出した。
「……悪いな、ザフィーラ!」
剣を振りかざし、みぞおちへ突き出す。
刃は決して肉を裂かず、ただ闇の魔導石を正確に打ち砕いた。
鈍い破砕音と共に黒き光が四散し、ザフィーラの身体が大きく痙攣する。
その崩れかけた空洞に、カイルは手に握りしめた蒼雷の魔導石を迷いなく押し込んだ。
砕け散った闇の魔導石の残滓に、雷光を宿した蒼雷の魔導石が嵌め込まれる瞬間――。
ザフィーラの瞳に一瞬、かすかな光が戻った。
「……レオン……? カイル……?」
震える声で名を呼んだその眼差しは、間違いなく本来のザフィーラそのものだった。
雷光が胸を焼く痛みと共に彼女の中を走り抜ける。
だが、その痛みは決して苦しみではなく、遠い記憶を呼び覚ます温かさを孕んでいた。
――幼きレオンの小さな手を握り、笑い合った日。
――道端で泣いていたライザとシエラを抱き上げ、「大丈夫」と声をかけた夜。
――レオンと愛を交わした思い出。
そのすべてが稲妻の閃光のように一瞬にして胸を駆け巡る。
「……私……守れた……かしら……。」
涙に濡れた瞳で、レオンとカイルの姿を焼きつける。
次の瞬間、力尽きたように彼女の身体は雷光の中で崩れ落ちていった。
仲間たちの叫びと祈りを背に、ザフィーラは光の彼方へ沈んでいく――。
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