第31話 黒炎の幻影と操られし者

 戦場は血と煙に包まれていた。

 村人や騎士達はほとんどゾンビに変化し、群れをなして押し寄せる中、到着した四人はゾンビを引き付けグレアムを支えていた。



 蒼井レイモンドは静かに雪霞を抜く。

 鞘走りの音は鋭く、斬撃はまるで鋭い冷気そのもの。

 刀身が振るわれるたび、ゾンビの首が音もなく宙を舞った。

 彼の顔は冷ややかで、まるで感情を殺した能面のよう。

 ただ淡々と、必要な動作だけでゾンビを斬り伏せる。



「皆気を引き締めろ!」



 短く吐かれた言葉は、戦場の掟を告げる死刑宣告のようだった。



 その横で、エリック・モーガンが身軽に動く。

 盾は左腕に備えているものの、それを無闇に振り回すことはしない。

 ゾンビの爪が襲いかかれば、一歩踏み込み、逆に相手の腕を弾く。

 体重移動で軌道をずらし、勢いを殺さずに背後へと投げ飛ばす。

 その返しに聖銀の剣を突き込み、正確無比に脳髄を貫く。

 軽やかに回避し、流れるように反撃する。

 彼の戦いは、無駄がなかった。



 一方のカイル・マクレガーは、まるで正反対。

 蒼雷を振るうたび、稲光が走り、空気を焦がす。

 豪快な一撃が群れを薙ぎ払い、轟音と共にゾンビの群れを吹き飛ばす。



「ははっ! まだまだ足りねえな! もっとかかってこいよ!」



 笑いながら血にまみれ、恐怖も悔恨も感じさせずに突き進む。

 その姿は味方すら圧倒するほどの暴威だった。



 ライザは巨体のゾンビに立ち向かい、背丈ほどの大槌を振り上げる。

 鍛冶の炎で鍛え抜いた鉄槌は、一撃ごとに骨を砕き、肉を粉砕する。

 轟音が響くたびに大地が揺れ、ゾンビが瓦礫のように潰れ倒れていく。



「こっちだ! まとめて吹っ飛べッ!」



 筋肉の軋みをものともせず、彼女は荒々しくも力強く戦場を切り拓く。



 こうして四人は、まるでそれぞれの生き様を刻むように戦い続けていた。

 だが、その群れの中に――まだ幼さを残した子供や女がいることに気づいたとき、空気が一変した。



 エリックが一瞬ためらい、ライザの顔も歪む。

「……こんな子まで……まだ傷が新しい…。」


「こいつらもしかして、まだゾンビになりたてか!?」


 その迷いを断ち切ったのは、蒼井の声だった。



「……躊躇うな!」



 冷たく言い放つと同時に、雪霞が弧を描き、少年のゾンビを無慈悲に斬り伏せる。

 その光景に、エリックもライザも唇を噛みしめ、しかし戦意を取り戻す。



 ただ一人、カイルだけは何の迷いもなく豪快に笑っていた。

「はっ! 死んだ奴はもう死人だろ! 悩むだけ時間の無駄だ!」

 稲光が奔り、数体のゾンビをまとめて薙ぎ払う。



 --------



 戦場に満ちていた不気味な唸り声とゾンビの呻きが、ふいに弱まり静寂が落ちた。

 蒼井たちが次々とゾンビを斬り伏せていく中、黒炎の主――アスモデウスは一歩、悠然と前へ進み出る。



「……やれやれ、邪魔者の登場か…。

 人間どもめ。せっかくの余興を、ことごとく台無しにしてくれる。」



 低く冷ややかな声とともに、彼の背後に揺らめく黒炎が形を変える。

 それはまるで闇から生え出した四本の腕。炎の軌跡が空間を切り裂き、戦場の空気そのものが歪む。



 大地が震え、亀裂が走り、砕け散った破片が次々と黒い鏡面へと変貌していく。

 次の瞬間、戦場全体が異界へと書き換えられた。

「鏡欲の間」。



 無数の黒い鏡が出現し、そこに映るのはただの姿ではない。

 それぞれの心の奥底に潜む欲望、後悔、恐怖。

 アスモデウスはその映像を愉悦に浸りながら眺めていた。



「さあ……己の心と向き合え。欲に溺れ、過去に囚われ、いずれ我に屈するがいい。」



 ザフィーラはすぐに声を張り上げる。

「惑わされないで! これは幻影よ! 心を乱したら飲み込まれる!」


 だが、その忠告が届く前に、それぞれの鏡が動き出す。



 グレアムの見た鏡の中から現れたのは、かつて守れなかった民と部下たち。

 その顔は血に塗れ、口々に叫んでいる。



「なぜ助けなかった!」

「お前が槍を振るう意味は何だ!」



 幻影の槍が雨のように彼へと降り注ぐ。

 グレアムは一瞬たじろぎ、地面に膝をつきかけた。



「……また……俺は……救えないのか……!」



 しかし彼は、己の槍を強く握り直す。

「違う!俺は、まだ戦える!

 惑わされるな!」

 全身を振り絞り、幻影の攻撃を弾き飛ばし、前を睨み据える。

 するとグレアムの目の前に広がる空間から幻影は消え、鏡には何も映っていなかった。



 シエラの目の前に現れたのは、孤独に泣き続ける幼い自分。

 差し伸べられることのなかった手。

「どうして、私だけ……誰も助けてくれなかった……。

 すべての人は敵。

 この世は地獄そのもの…。」

 声は脆くも鋭く、シエラの心を突き刺す。



 彼女は手を伸ばしかける。――その瞬間、背後からザフィーラが彼女を抱え、幻影の中から引き戻した。


「駄目! それに触れたら呑まれるわ!」

 シエラは震えながらも必死に頷く。



 リタの黒い鏡の中にも、幼い自分が立っていた。

 その背後では、狂気に染まったザイファ教信者たちと民衆が、母の服を脱がし強姦している。

 欲望のまま掻き乱される母がボロボロになると、皆が石や刃で滅多打ち、切り裂き殺された。


「やめろおぉぉ!!」

 必死に叫ぶリタの声を無視し、母は血に染まり、無惨な肉塊になっていた。


 その直後、父が現れる。

 険しい顔で、娘に剣を突きつけていた。

「リタ……神に背くな。お前も母と同じ道を行くのか…。

 教えが全てだ!それに従う者達に逆らうな!」



 刃が振り下ろされる寸前、グレアムが駆け込み、リタを抱えて幻影から飛び退いた。

「大丈夫!これは幻影だ! 息を吸え。

 大丈夫だ、大丈夫…。」


 リタは涙を滲ませながらも、グレアムの声で意識を取り戻す。



 幻影に翻弄される彼らを見て、アスモデウスの冷笑が響く。



「ホホホ…人は弱い。心を暴けば、いとも容易く折れる……剣も槍も、ただの飾りに過ぎない。

 人の壊れる様とは実に愉快。」



 黒炎を纏った両腕を振るい、鏡から伸びる幻影の腕が現実へと実体化して襲い掛かってきた。

 皆――精神と現実、二重の戦いを強いられるのだった。



 グレアムは槍を握り直す。

 揺らぐ黒炎の鏡面から伸びる腕が何本も襲いかかってきた。

 彼は静かに目を瞑り――次の瞬間、稲妻のような速さでグングニルを振るった。



「……人の心を弄ぶとは悪魔め。」



 鋭い切っ先が黒炎纏う腕を次々と斬り裂く。

 炸裂する火花、消し飛ぶ闇。

 彼の眼差しは激情ではなく、静かに燃える怒りに満ちていた。



 アスモデウスはその光景に不敵な笑みを浮かべる。

「さすがは〈悪魔殺し〉の英雄。だが、これはどうかな?」



 言葉とともに、周囲を取り巻く黒い鏡が一斉に震え、亀裂を走らせる。

 そこから這い出るのは――アスモデウス自身の影を象った分身たち。

 それぞれが黒炎を纏い、赤い眼を爛々と輝かせていた。



「クク……我は一人にあらず。欲望とは増殖するものだ。」



 分身が一斉にグレアム、そして精神と身体が疲弊したシエラ、リタへと襲いかかる。

 グレアムは槍を振り回し二人を守るが、数は膨大。

 槍を振るうたび、闇が裂けるが――すぐに別の影が迫る。



 その時、アスモデウスが片手を掲げた。

「さぁ……ザフィーラよ。そろそろ我がものとなれ。」



 闇の光がザフィーラの瞳に宿り、一瞬にして彼女の表情から血の気が引いた。

「……っ!」

 動きが止まり、瞳が赤黒く染まっていく。



「我が命に従え。目の前の英雄を、殺せ。」



 次の瞬間、ザフィーラの姿は掻き消えた。

 残像とともに、彼女はグレアムの背後に回り込み、鋭い蹴りを突き込む。

 グレアムはとっさに槍を盾代わりにして受け止めたが、衝撃で地面を滑り、大きく体勢を崩した。



「ぐっ……! やめるんだ!正気に戻れ!」

 彼は呼びかけるが、返るのは無機質な眼差しだけ。

 攻撃を防ぐことはできても、彼女に刃を向けることはできない。



 そこへさらに分身たちが襲い掛かる。

 黒炎の腕が何本も振り下ろされ、リタとシエラを庇うグレアムの腕に限界が迫っていた。



「くっ……このままでは……!」



 その時――轟音が戦場を揺らした。

 闇の分身たちの頭上に、巨大な影が振り下ろされる。

 ライザの戦闘用ハンマーが分身の一体を粉砕していた。



「待たせたね!」



「申し訳ありませんグレアム殿!

 おまたせしました!」と盾を構えたエリックが分身の突撃を受け止める。



 そして後に続くカイルは蒼雷を振り抜き、豪快に分身を薙ぎ払い、そしてアマツ刀を構えた蒼井も分身を一太刀で斬り裂く。



「加勢に感謝します、グレアム殿。」



 轟音とともに戦場に現れた蒼井たち四人。

 黒炎の分身を押し返す彼らの姿を見て、グレアムは荒い息を吐きながらも声を上げた。



「助かった……! 皆、感謝する!」

 彼は槍を構え直しながら叫ぶ。

「だが気をつけろ!この女性は操られている!」



 そう言って視線を向けた先には、なおもグレアムを狙うザフィーラの姿があった。



「……ザフィーラおばさん!」

 ライザが叫ぶ。



「ザフィーラ!」

 カイルも声を張り上げる。

 かつて自分を育て導いてくれた存在――母のように慕った女性のその姿に、彼の瞳は怒りと悲しみで揺れる。



 ライザにとっても同じだった。

 誰も頼れず、路頭に迷っていた自分とシエラを救い、育ててくれたのは他ならぬザフィーラだった。

 その彼女が、今は敵の手に操られ、自分たちに牙を剥いている。



「戻ってきて……ザフィーラおばさん!」

「ザフィーラ、あんたはこんなクソバケモンに操られるような人じゃないだろ!」



 必死の声が戦場に響く。

 カイルを見たアスモデウスは一瞬で不敵な笑みから嫌悪の表情を浮かべる。



 「カイル…。 

 殺す…殺す…殺す…殺す!!」



 カイルはその呪いの声を叫ぶアスモデウスを直視し、豪快に笑ってみせた。

 「ハッハッハ!! やってみろよクソバケモノ!

 俺がその醜悪な身体をバラバラにしてやるよ!」



蒼井とエリックは表情を険しくしながら、静かにザフィーラを取り囲む。

 二人とも事情を知っていた。彼女が仲間たちにとってどれほど大切な存在かを――。



「必ず取り戻すさ。」

 蒼井が低く呟き、刀を構える。



「絶対に止める! 何とか取り押さえるぞ!」

 エリックも盾を構え、仲間たちに合図を送る。



 こちらを睨むザフィーラと、彼女を救おうとする仲間たち。

 両者の視線が交錯し、戦場の空気がさらに張り詰めていく。

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