第26話 悪魔の影、英雄の誇り

 崩れた中継橋の上、舞い上がる砂煙の中で、カイルは腕の中の人物を凝視した。

 艶やかな紫の髪、変わらぬ笑み――十年前と同じ姿のザフィーラ。


「……まさかホントに復活するなんて…。」


 ザフィーラは軽く口角を上げ、カイルの頬に触れる。

「十年前のガキが、こんな立派な男になるなんてね。」


「……あの時渡してくれた大剣、今も現役だぜ。今は訳あって預けてるけどな。

 それにしても……なんで歳ひとつ取っちゃいねぇんだ?」


 その問いに、彼女の瞳が一瞬だけ陰る。

「……私は望まない形で蘇生された。この国の裏で進められてる闇の魔導科学……そしてそれを主導する悪魔によって。

 肉体年齢はその悪魔の趣味だろうさ…。」


 カイルは鼻で笑った。

「悪魔? そりゃあこの国の上は皆クソ悪魔だろうよ。」


「違う、そうじゃない。あんたが言う連中は欲望のためだけに動く小者。

 この世界にはね…本物の悪魔がいるのさ。」


 その声音は静かで、重かった。


「……神話の中だけの話じゃねぇのか?」


「神話じゃない。私も信じられなかったけどね、でも悪魔は確かに昔からも存在し、人を苦しめたり、殺したり、扇動している。

 私は悪魔を殺す。だから、あなたは安全な場所へ。」


 カイルは短く息を吐き、首を横に振る。

「ザフィーラが嘘つかねぇのは知ってる。でも俺には仲間がいる。今からあの騎士団長をぶっ殺しに行くんだ。」


 ザフィーラは小さく頷いた。

「事情は知ってるよ。レオンのことも…。」


 カイルはレオンの名を聞いた途端、顔を曇らせ手に持つ蒼雷をザフィーラに見せる。


「あいつ……ずっと前から政府の犬として灰狼を率いていやがったんだ。

 ほら見ろ!レオンの剣だ!俺はこいつを返そうとしたら俺に剣を向けやがった!

 裏切られてたんだよ…。」


 ザフィーラは悲しそうな顔をしたが、すぐにシャキッとした雰囲気に戻りカイルに告げる。

「違う。あの人はずっと、あなたを守ってきた。」


「俺を殺そうとしたんだぞ、闇の力に頼ってまで!

 それが何で守るってことになんだよ!」


「ごめんな…今は知る時じゃない。

 …でも信じて。彼は灰狼の皆も、あんたのことも誰より想ってる。」

 そして少し微笑む。

「……もちろん、私もだよ。」


 唐突に抱きしめられ、カイルは顔を真っ赤にする。

「お、おい……わかったから離せって!

 その下着みたいな格好なんとかならねえのかよ。」


 彼女は笑って身を離す。

「これは私が抜けてきた研究所から奪った外骨格スーツだよ。

 鎧より軽いし、身動きとれるし、バカな男を惑わせられるだろ?」


  カイルはザフィーラを直視出来ず、顔を逸らす。

 その様子にザフィーラは昔を懐かしむかのように微笑んだが、彼女には時間がなかった。


「私はあの悪魔を放っとけない…。

 だから行かないと。」


 立ち上がるザフィーラにカイルは真剣な眼差しを向ける。


 「なあ…!?…ホントに戻ったんだよな。

 また一緒に武器造ってくれたり、戦ってくれんだよな!?」


 ザフィーラはカイルを見て微笑む。


 「正直に言ってわからない。私は闇に蘇らされた存在だ…。本来だったら死んでる身だよ。

 でもこうして成長したカイルに会えたらまた生き続けたいと思うよね!」


 その言葉と共に、ザフィーラの姿は闇のオーラを纏い、一瞬で闇と共に高速で瞬間移動した。



--------


 広間に、金属が悲鳴をあげる音が連続して響く。


 黒銀纏う巨躯――グレゴール・ヴァンデンベルクが、背丈を超える両刃の大剣デウス・クラストを片手で構え、容赦のない斬撃を叩き込んでいた。

 鎧の背部に埋め込まれた魔導石が赤く脈動し、その巨体にさらなる速度と力を与える。


 蒼井は《雪霞》を構え、蒼華流の骨軌道の足さばきで間合いを測る。


 エリックは重厚な騎士盾で正面から圧力を受け止め、隙を見てロングソードで突きを放つ。


 そしてライザは巨大ハンマーを全身で振り抜き、衝撃で床石を砕きながら包囲の一角を担っていた。


「はあああっ!」

 ライザのハンマーがうなりを上げ、グレゴールの背後を狙う。

 だが鎧背部が光を放つと同時に、巨体があり得ない滑らかさで横に回避。

 返す剣閃がライザの視界を覆い――。


「くっ!」

 衝撃波が直撃し、ライザの体が横に弾き飛ばされる。

 床に膝をつき、呼吸を乱す彼女に追撃が迫る――が。


「ライザ!!」

 蒼井が割り込み、刃と刃が火花を散らす。

 強烈な一撃を受け止め、足裏で床を削りながら押し返す。


「ライザを下げろ、エリック!」


「ああ!」

 エリックはすぐに駆け寄り、ライザを引きずるように安全な距離まで下げた。


 しかしその動きを見逃さないのが、戦場を知り尽くした元英雄。

 グレゴールが低く踏み込み、疾風のような速度でエリックに迫る。


「うっ……!」

 盾で受け止めるが、機構鎧の補助を受けた力は人の域を超えていた。

 鈍い衝撃音とともに盾が衝撃に耐えきれず、右手のロングソードが弾き飛び、床を滑って遠くへ転がっていく。


 広間の中心に、蒼井とグレゴールだけが残った。

 蒼井は深く息を吸い、《雪霞》を中段に構える。

 踏み込み――蒼華流・連閃が矢継ぎ早に放たれた。


 斬撃が見えぬ速さで重なり、剣圧が広間を裂く。

 蒼井の剣はどんどん加速していく。

 刃がまるで吹雪のように連続し、鎧の駆動補助があっても完全に受け流すのは難しくなってきていた。


 金属と金属が衝突する火花の中、グレゴールはわずかに息を荒げ――大きく後方へ跳んだ。


 広間の中央に距離が開く。

 グレゴールは胸の前で大剣を立て、息を整えながら視線を蒼井に向ける。

 その眼差しには、苛立ちと、わずかな…迷いが混ざっていた。


 「…フンッ、アマツの剣ごときに…!」


 ゆっくりと懐に手を差し入れる。

 そこから取り出されたのは、闇色に濁った魔導石。 

 見ただけで肌を刺すような邪悪な波動を放つ。

 その石を見つめるグレゴールの瞳が、一瞬だけ陰を帯びた。


 (……こんなものに、頼る必要など……!)

 己の中の英雄としての誇りが、握る指先を鈍らせる。

 だが、同時に戦場で培った冷徹な判断力が告げる――使えば確実に勝てる、と。


 グレゴールは短く息を吐き、苦く笑った。

「力は、いくらあっても困らぬ……だが、貴様ごときに使うまでもない!」


 そう言って、手の中の魔導石を、蒼井の背後で退避しているエリックの方へと放り投げた。

 黒い魔導石は床を滑り、エリックの足元で止まる。



 グレゴールは再び剣を構え直す。

 だが、その瞬間。


 中継橋の方角から、轟音と衝撃が広間を揺るがした。

 床石が微かに浮き上がり、天井から砂塵が降り注ぐ。


「……何だ!?」

 両者が同時に動きを止める。


 直後、グレゴールの耳飾り型通信機から冷たい声が響く。

『作戦室に戻ってください、ヴァンデンベルク卿。

中継橋は今壊れてしまったので、そちら側のテレポート装置からこちらまでお越しください。』


 グレゴールは嫌悪の表情を浮かべ、黙って通信を切る。

「チッ、また邪魔が入ったようだ。勝負はまた預けるぞ…。」

 背を向け、広間の奥へ消えていく巨躯を、蒼井は最後まで睨み続けていた。

 


--------


 別塔にある作戦室。

 部屋の端には、光を帯びた巨大な円環型の転移装置が魔導石の力で輝いている。


 低く唸る音と共に、その装置が一瞬だけ眩く閃いた。

 次の瞬間、黒銀の鎧を纏ったグレゴール・ヴァンデンベルクが、転移の光の中から姿を現した。


「お帰りなさい、ヴァンデンベルク卿。」

 机の前に立つカシアンが、口元だけで笑う。

「何をされていたのですか?」


「──ちょっとした息抜きだ。」

 短く吐き出すように言い、大剣を背に収めるグレゴール。


「それはそれは、何よりです。」

 カシアンの声は穏やかだったが、その瞳の奥には鈍い光が揺らめいていた。

「なにせ大仕事が待っていますからね。

 ところで……レオン殿には灰狼の始末をお願いしていたのですが、あのクソガキ…しぶといようで。」


「……あいつは俺が殺る。手出しは無用だ。」

 壁際に立っていたレオンが低く言い放つ。


 カシアンは一瞬、笑みを引きつらせたが、すぐに口角を持ち上げ直した。

「そうですか……。本当は、是非とも私の手で殺したかったのですがね。」


 椅子に軽く腰掛け、指先で机を叩く。


「レオン殿がどうしても、と言うのでね。

 約束は守りましょう。何せ、クソガキが最も信頼した灰狼旅団のリーダーの手で殺されるというシナリオも、実に感動的ですから。

 これ以上、私の機嫌を損なうようなことなくしっかりと苦しめて殺してくださ……。」


 その言葉は、金属音で遮られた。

 背後から迫る冷たい気配。

 カシアンの首筋に、鋭い刃が突きつけられている。


「……何のつもりですか、ヴァンデンベルク卿?」

 カシアンはなおも不気味に笑った。


「これ以上、貴様の下らん悪趣味な話を聞く気はない。」

 グレゴールの声は低く、鋼のように硬い。


「お戯れはやめてくださいよ……。」


「──いい加減、その猿芝居には飽きたぞ。」

 グレゴールの瞳が、まっすぐにカシアンを射抜く。

「貴様……悪魔だな。その瞳と歪んだ性根。そして隠せぬ闇の気配……私が気づいていないとでも思ったか?」


 視線を横に向ける。

「灰狼の頭よ。お前も知っているのだろう、この男の正体を。」


 レオンは、長く抑えていた感情を噛み殺すように唇を結び、黒鉄の大剣をカシアンへと突きつけた。


 カシアンは笑みを崩さなかった……いや、崩していった。

 口元が引き裂かれるように歪み、瞳の色がじわじわと深紅に染まっていく。

 その奥には、人の形を真似た悪魔の本性が、露わになりつつあった。 

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