EP 2

見知らぬ森とゼロポイント


光の洪水が止み、猛烈な浮遊感が消え去った瞬間、中村勇太の体は、ふわりとした何かに受け止められた。いや、落ちた、と言うべきか。


「うぐっ……!」


背中と尻に鈍い衝撃。むせ返るような、濃い土と草いきれの匂いが鼻をつく。恐る恐る目を開けると、視界に飛び込んできたのは、見たこともないほど巨大な木々の幹と、それらを覆い尽くすように生い茂る、奇怪な形のシダや蔦だった。


空を見上げれば、幾重にも重なる緑の葉の隙間から、鮮やかな青色と、今まで見たこともない、ほんのり赤みがかった太陽(?)が見え隠れしている。耳には、不気味な鳥の声とも獣の声ともつかない鳴き声や、ざわざわと葉が擦れる音が響いていた。


「……どこだ、ここ……?」


さっきまでの真っ白な空間とはまるで違う。トラックに轢かれたはずの体には、不思議と痛みはない。女神アクアの言葉が脳裏をよぎる。


『な~んと! 貴方を異世界『ゼセルティア』に招待しちゃいます!』


「異世界……本当に……?」


夢ではない。肌を撫でる生暖かい風、湿った土の感触、強烈な植物の匂い。五感すべてが、ここが自分の知る世界ではないと告げていた。トラックに轢かれて死んだはずなのに、こうして生きている。それは喜ぶべきことなのかもしれないが、今はただ、底知れぬ恐怖と混乱が心を支配していた。


(落ち着け、落ち着け中村勇太……! まずは状況確認だ。ボーイスカウトで習っただろう、パニックは最大の敵だ!)


彼は深呼吸し、医学部で学んだ知識も動員して自分を落ち着かせようと試みる。そして、女神が与えてくれたというチート能力を思い出した。


「そうだ、スキル! 『地球ショッピング』……!」


藁にもすがる思いだった。これが使えれば、とりあえず食料や水、あるいは身を守る武器だって手に入るかもしれない。


「地球ショッピング! 出てこい!」


どうやって発動するのか分からなかったが、強く念じながら叫んでみた。すると、目の前の空間に、すぅっと半透明の青い画面が現れた。まるでSF映画に出てくるような、スタイリッシュなデザインの電子ボードだ。


「お、おお……!」


希望が湧き上がる。画面には、『コンビニ』『スーパー』『ホームセンター』『ドラッグストア』『武器・ミリタリー』といったカテゴリーが並んでいる。まさに、地球のお店そのものだ。


(すごい! これなら……!)


勇太は震える指で、『コンビニ』のカテゴリーに触れた。すると、おにぎりやサンドイッチ、ペットボトルの飲料など、見慣れた商品がリストアップされる。値段らしき数字も表示されているが、それは円ではなく『P』という単位だった。おそらくポイントだろう。画面の隅には『所持ポイント:0 P』という無慈悲な表示が見えた。


(まずは水とおにぎりを……)


一番安そうなおにぎりをタッチしてみる。すると、画面中央に赤い文字が浮かび上がった。


『ポイントが足りません』


「え?」


何度か試してみるが、表示は変わらない。他のカテゴリーも見てみる。当然、銃や医療品はもっと高いポイントが必要なようで、表示される『P』の桁が違う。どれを選んでも、返ってくるのは冷たい『ポイントが足りません』の文字だけ。


「そ、そういえば……女神が言ってた。『ポイントは必要だけどね!』って……」


そのポイントはどうやって手に入れるんだ!? あの女神、肝心なことを何も説明せずに……!


「嘘だろぉぉぉぉぉ……!」


希望から一転、絶望の淵に突き落とされた勇太は、その場にへたり込んだ。チート能力は手に入れた。しかし、それは「絵に描いた餅」だったのだ。この、何が出てくるか分からない危険な森の中で、丸腰同然。


「……いや」


ふと、背中の重みを思い出す。


「リュック……!」


慌ててリュックを下ろし、中身を確かめる。あった。医学書、十徳ナイフ、サバイバルシート、水筒(中身は空っぽだが)、応急セット、サバイバルグッズ缶……。いつも持ち歩いていた「備え」が、今、唯一の頼みの綱だった。


「……ゼロからのスタートってわけか」


自嘲気味に呟く。だが、いつまでもオロオロしてはいられない。恐怖はある。しかし、ここで死ぬわけにはいかない。医者になるという目標も、まだ諦めたわけじゃない。それに、あの軽い女神に「ほら、やっぱりダメだったでしょ~」なんて笑われるのは癪だ。


(まずは水の確保と、安全な場所探しだ。それから……ポイントを稼ぐ方法を探さないと)


勇太は十徳ナイフを握りしめ、ハーモニカがカタンと音を立てたリュックを再び背負う。医学書が、今はただ重いだけなのが皮肉だった。


彼は、警戒しながらゆっくりと立ち上がり、未知の森へと、その第一歩を踏み出した。電子ボードは、彼が望むまでもなく、すっと空間に溶けるように消えていた。

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