鬼神と月兎
月神世一
序章
死を呼ぶ4番 -序章-
陽光が痩せた土を照らし、か細い作物の影を長く伸ばしている。土埃の舞う家の中に、乾いた咳の音が響き渡った。
「母さん!母さん!」
たつまろの声が、病床の母に届く。母はゆっくりと目を開けたが、その瞼は重く、呼吸は浅く速い。
「、、たつまろ、、はぁはぁ、ゴホッゴホッ」
そのやつれた横顔を見て、たつまろは背負っていた籠を静かに下ろした。中には、まだ青く小さいが、それでも命を繋ぐための作物が詰まっている。
「母さん、無理するな。俺が作物を売ってくるよ」
「ごめんね、、私が身体弱くてお前ばかりに背負わせて……」
母の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。その罪悪感が、たつまろの胸を締め付ける。彼は努めて明るい声を装った。
「気にするなよ。俺は丈夫に出来てるし、好きでやってるだけだ」
その時、部屋の隅の藁の寝床から、か細い泣き声が上がった。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
生まれたばかりの弟、ユウだった。
「ほら、母さんがつまんねーこと言うから、ユウが泣いちまったじゃないか」
たつまろがユウをあやすと、母はさらに身を縮めるようにして、か細い声で謝罪を繰り返した。
「ごめんよ、、本当に、、母さんを許しておくれ……」
その言葉に、たつまろは強い口調で遮った。
「何言ってんだ。母さんは俺を育ててくれたし、ユウを産んでくれた。俺は弟が出来て嬉しいんだ」
彼は母の手を握り、力強く言い放つ。その手は、年の割に節くれ立ち、硬くマメだらけだった。
「心配するなよ。俺は物書きも出来るし、昔、客だった奴の本を盗んで計算も出来るようになった。作物の作り方も売り方も知ってる。何の心配もいらない」
そして、たつまろは声を潜め、母の耳元で囁いた。その声には、幼い少年には似つかわしくない、凍るような冷たさと決意が宿っていた。
「……だから、もう母さんはアイツラに抱かれなくていい」
母の肩がびくりと震え、言葉にならない嗚咽が漏れた。自分がたつまろの未来を奪ってしまったのだと、そう悔いているのが痛いほど伝わってくる。
「、、本当に、、私がしっかりしてたら、たつまろは凄い子に、、ゴホッゴホッ」
激しく咳き込む母の姿に、たつまろは心を鬼にする。
「! いいから、寝てろよ! 後は任せろ」
それが、母との最後の会話になった。
数日後。
家の灯火が、また一つ消えた。母は、嵐の夜に枯れ葉が散るように、静かに息を引き取った。あまりにもあっけない最期だった。
「母さんは死んだ……」
たつまろの呟きは、がらんとした家に虚しく響く。腕の中では、事情も知らずにユウが泣き続けていた。
「おぎゃあ、おぎゃあ」
「ユウ、泣くなよ」
その温もりだけが、今のたつまろをこの世に繋ぎとめていた。
「心配するな。兄ちゃんが何とかする」
唇からこぼれた言葉は、誰に言うでもない誓いだった。母の亡骸を前に、彼は涙を流さなかった。悲しむ暇など、もはや彼には許されていなかった。
「……何とかするさ」
時は立ち、たつまろは弟の世話をしながら、たった一人で作物を売り、生計を立てる生活を始めた。その小さな背中は、過酷な現実を一身に背負っていた。
人々はまだ知らない。この貧しい村で、ただ必死に生きようとする少年が、やがて裏社会にその名を轟かせ、畏怖と絶望の象徴となることを。
これは、後に「死を呼ぶ4番 -Death4-」として恐れられ、血と裏切りに彩られた数奇な運命を辿ることになる男、たつまろの、始まりの物語である。
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