最推し作家の旦那さま
gari@七柚カリン
第1話 序
都の大通り沿いにある『茶寮むらくも』には、 『葬式のため、本日は臨時休業』の札が掲げられていた。
客のいない店内を通り抜けた先には、店主一家が暮らす家がある。
身内だけでひっそりと葬儀を終えたあと、八畳の和室には五人の男女が集まっていた。
「─────というのが、姉さんの残した遺言だ」
恰幅のよい中年の男、店主の
数日前に亡くなったのは、耕一の実姉の
生涯独身を貫いた彼女には夫も子もいないため、弟の耕一が喪主を務めていた。
「いま聞いての通り、姉さんは『姪に店を譲る』と言っている。だから……
突然名を呼ばれ、部屋の隅に座る少女がビクッと反応する。
まさか自分が指名されるとは思ってもいなかった。
「父さん、質問をしてもいいですか?」
真円型レンズの黒縁眼鏡をかけた青年は、耕一の長男の
「なぜ、真衣が相続人なのでしょうか? 姪なら、
「そうよ、兄さんの言う通りだわ!」
待ってましたとばかりに、長女の鈴代が声をあげる。
従兄の明夫からは指をさされ、一つ年下の鈴代からは憎々し気な視線を向けられた真衣は、小柄な体をさらに縮こませた。
耕一の隣に座る線が細い中年の女、明夫と鈴代の母は先ほどから一言も発していない。
従兄妹二人から鋭い視線を浴びた真衣は、針の
◇◇◇
幼少期に両親を亡くした真衣を引き取り育ててくれたのは、伯母の君江だった。
貸本屋を営みながら、女手一つで真衣を学校にまで通わせてくれた大恩人。
卒業後、真衣は耕一の茶寮で女給の仕事をしているが、店が休みの日には君江の店に顔を出し手伝いをしていた。
幼いころから貸本に触れていた真衣は、読書をこよなく愛する少女。
あまりにも夢中になりすぎて、寝食を忘れるほどだった。
貸本屋は、茶寮のある大通り沿いを走る路面電車で三駅ほど離れた場所にある。
通りからは一本奥へ入った、商店と住宅が入り交じった街の中。
近所に住む常連客相手に、君江は細々と商売をしていた。
店は老朽化が激しく、半年前に居住部分も含め改装をしたばかり。
君江が大事にしていた店を受け継ぐことができるのは、真衣にとっても嬉しいこと。
しかし、それを喜べるような雰囲気はない。
「父さん、あの貸本屋は私にちょうだい。本なんか売り払って、茶寮を開店しましょうよ」
「鈴代、慌てるな。実は、遺言書にはまだ続きがあるんだ。姉さんには借金があってな、『店の借金が返済できなかった場合は、相続人を債権者へ差し出す契約を交わしている』そうだ」
「……えっ、借金!?」
「借金の額が大きすぎて、あの店を売り払ったとしてもまったく足りない。だから……そういうことだ」
つまり、真衣は借金の
「アハハ! だから、伯母さまは相続人を『姪』としたのね」
「どういうことだ?」
「兄さんは、鈍いわね。債権者は、借金返済のために『相続人』を娼館へ売り飛ばすつもりなのよ」
「娼館か……なるほど」
先ほどとは打って変わり憐憫のまなざしを向けてくる明夫から、真衣は顔を背ける。
鈴代の言う通り、店を売り払っても残る返済分は、そこから充てるつもりなのだろう。
これから先のことを考えると、恐怖で手が震える。
それでも、何も言わず逝ってしまった伯母へ、感謝の気持ちはあれど恨みに思うことはない。
君江がいなければ、学校へ通うことはできなかった。
文字を覚えることも、本を読むことも叶わなかった。
耕一は昔から真衣を厄介者扱いしており、引き取られていたとしても使用人。もしくは孤児院へ預けられていただろうから。
現に、住み込みで女給として働く今も、家では女中のような扱いを受けている。
「今日限りで、おまえとの縁は切る。今後は、赤の他人だ。近々、債権者から連絡があるようだから、荷物をまとめて早々に出ていってくれ」
「……わかりました」
荷物といっても真衣の私物は必要最低限で、この家にはほとんどない。
大事なものは君江の家に置いてある。「あちらに持っていくと、きっと取り上げられる」からと。
少ない荷物をまとめた真衣は、翌朝家を出た。
◇◇◇
身の回りの荷物を持った真衣がやって来たのは君江の店。
遺言書によると、店で待っていたら債権者からいずれ連絡があるとのこと。
弔いが落ち着いたら、耕一にお願いして貸本屋の営業を再開させてもらうつもりだったが、こんなことになり先の見通しが立たない。
いつやって来るとも知れぬ債権者をただ待っていても気が滅入るだけなので、真衣は店内の清掃を始めた。
おそらく債権者から許可は下りないだろうが、いつでも店が再開できるよう準備だけはしておく。
もし可能であれば、貸本屋の売り上げから少しずつ返済し、身売りされることを回避できればと思う。
駄目で元々だと、交渉だけはするつもりだ。
◇
君江の自宅は一階が貸本屋になっていて、二階が寝室などの居住部分である。
店内の書棚に並ぶのは、君江自慢の蔵書だ。
そのほとんどが大衆小説で、客から
大事な商売道具を傷付けないように、上の段から順番に慎重にハタキをかけていく。
君江はいつも綺麗にしていたから、埃も大して積もっていない。
店の奥は上がり
客が履き物を脱ぎ寛げる憩いの場だ。座卓もあり、書き物や借りた本を持ち込んで読むこともできる。
最後に畳をサッと
一区切りがついたところで、休憩を取ることにした。
台所でお茶を淹れ、座敷へ戻る。
湯呑を片手にしばらく読書をしていた真衣は、ふと視線を感じ顔を上げた。
そこに居たのは、天井から半分だけ体を覗かせていた若い男と
彼は、袴を履いた書生姿をしていた。
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