【300PV感謝】異世界転生×ユニークスキル どんぶりマスターで無双する!?
月神世一
どんぶりの勇者
牛丼と南斗と女神様
田中貴史、二十歳。安アパートの部屋に明かりはなく、彼の帰りを待つ者もいない。あるのは、コンビニバイトで稼いだ金で買った、ささやかな贅沢――特盛牛丼、つゆだく卵付き。それが今日の、いや、ここ最近の彼の生きがいだった。
「はぁ…」
夜風が少し肌寒い五月の夜。首にかけた安物のヘッドフォンからは、昨日見つけたばかりのマイナーなインディーズバンドの曲が、貴史だけの世界を彩っている。左手にぶら下げたビニール袋の中で、牛丼の容器がほかほかと温かい。その確かな重みと、漏れ聞こえる甘辛い香りが、すり減った神経を優しく満たしていく。
「うはー、早く帰って牛丼…牛丼食べたいでござるな…」
自然と口元が緩む。友達もいなければ、特に夢中になれるような趣味もない(ハーモニカは時折吹くが、誰かに聴かせるようなものではない)。YouTubeでサバイバル動画やサバゲー動画をぼんやり眺めるのが日課。そんな彼の日常において、この牛丼は一日の終わりを告げる祝砲であり、孤独な食卓を彩る唯一のスターだった。
アパートへの近道である、薄暗い路地を抜けた先の横断歩道。赤信号で立ち止まった貴史の足元に、ふいに柔らかな感触があった。見下ろせば、痩せた三毛猫が、彼の持つ牛丼の袋に鼻先を寄せ、期待に満ちた瞳で「にゃあ」と鳴いている。
「ん?おっと、これはダメでござるよ」
思わず、昔染み付いた「ござる」口調が出た。元中二病の残滓ざんしであるそれは、油断するとこうして顔を出す。貴史は少し気恥ずかしくなりつつも、猫の頭をそっと撫でた。
「玉ねぎは猫には毒なのでござる。拙者の牛丼には、それがたっぷり染み込んでいる故…」
自炊をする貴史は、その程度の知識はあった。猫は「ふみゃあ…」と残念そうな声を出すと、するりと貴史の足から離れ、何を思ったか、まだ赤信号の車道へひょいと飛び出してしまった。
「あっ、こら!」
その瞬間、大型トラックが猛スピードで交差点に突っ込んできた。ヘッドライトが猫の小さな姿を白く照らし出す。貴史の頭の中で、昨日見たサバゲー動画のワンシーンがフラッシュバックした――仲間を庇って銃弾に倒れるヒーロー。
「南斗ォォォ――危ないッ!!」
気づけば叫んでいた。南斗聖拳の継承者でも何でもない、ただのコンビニバイトの田中貴史が、まるで宿命に導かれたかのように、猫を庇うべく道路に飛び出した。手にしていた牛丼が宙を舞い、甘辛い香りが悲鳴のように夜気に拡散する。衝撃。熱。そして、急速に遠のいていく意識の底で、彼は思った。
(あぁ…拙者の…牛丼…つゆだくが…)
それが、田中貴史の地球での最後の記憶だった。
◇
次に貴史が意識を取り戻した時、そこは見慣れたアスファルトの上でも、病院の白い天井の下でもなかった。
どこまでも続くかのような、柔らかな光に満たされた純白の空間。そして目の前には、水色の髪を風もないのにサラサラと揺らし、神々しいまでの美貌を持つ女性が、少し困ったような顔で立っていた。服装は、どこかのファンタジーゲームで見たような、露出は少ないが体のラインが分かる白いローブだ。
「あ、起きました? よ、ようこそ、田中貴史さん」
鈴を転がすような、しかしどこか間の抜けた声だった。
「え? え? だ、誰だぁっ! 貴様ッ!?」
混乱と状況の理解不能さが、貴史の口から普段なら絶対に出ないような尊大な言葉を叩き出した。元中二病の血が騒ぐ、というよりは、完全にパニックだった。
「ひっ!?」女神らしき女性は、美しい顔を盛大に引きつらせた。「わ、私はアクアと申します! その…貴方たち人間が言うところの、神、のような存在です! あ、正確には少し違うというか、担当の一つというか…」
しどろもどろな説明に、貴史は眉をひそめる。
「ここは…どこでござるか? 拙者は確か、聖帝の非道を止めるべく…いや、猫を助けようとして…」
「あー、えーっとですね…平たく、かつ単刀直入に申し上げますと…貴方は、お亡くなりになりました」
アクアと名乗る女神(仮)は、どこか申し訳なさそうに目を伏せた。
「ナ、ナニィィィィィィッ!?」
貴史の絶叫が、純白の空間に虚しく響いた。
「ひぃぃぃ! そ、そんな大声出さないでください! こ、鼓膜が破れるかと思いました!」アクアは耳を塞ぎながら涙目になっている。「と、とにかくですね! 色々ありまして、貴方をこれから異世界へと転生させることになりました!」
「異世界だと!? そんな勝手な真似、この胸に刻まれし七つの傷が許さんぞッ!」
実際には傷など一つもない胸をドンと叩きながら貴史が言い放つと、アクアは完全に怯えた表情になった。
「も、もう! いちいちオーバーなんですよ! 七つの傷とか絶対ないでしょ!? とにかく時間がないんです! ええと、特典として…はい、『言語理解能力』、これは必須ですね。それから…何かしらコレは? よく分からないけど…『どんぶりマスター』? ま、まあ、何かのお役に立つでしょう! たぶん!」
女神(仮)は、まるで通販のオマケを選ぶかのように、パッパと何かを貴史に付与したらしい。スキル名が聞こえたような気がしたが、貴史の耳にはほとんど入っていなかった。
「え、ちょ、待て! 話が早すぎるでござる! まだ心の準備が! 俺の牛丼はどうなったんだーッ!」
「はい、それでは田中貴史さん、新しい世界でのご活躍を心よりお祈りしておりませーん! じゃ、いってらっしゃーい!」
アクアがパン、と柏手を打ったような気がした瞬間、貴史の足元が消失した。
「南斗ォォォォォォ――ッ!!」
今度こそ正真正銘、最後の雄叫び(と牛丼への未練)と共に、田中貴史は目も眩むような光に包まれ、意識を手放した。
こうして、元中二病のコンビニアルバイター、田中貴史の、丼を巡る異世界冒険譚のプロローグが、本人の意思とは全く無関係に幕を開けたのであった。
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