無題2

 中学に上がると、父とはほとんど話さなくなった。


 過去の話と未来の話しかしない父に、何を言えばいいかわからなかったのだ。


 父は、他者への理解の欠ける人間特有の分析でそれを「反抗期」と片付けた。


 私もまた、対話にかける人間特有の怠惰でそのレッテルに逃げ込むことを選んだ。


 本当は、どうすれば良かったのだろう。


 仕事在宅に切り替え、仕事をしている時以外は、昔の母の姿をじいっと見つめている男に対して、子どもができることとはなんだったのだろう。


 もっと話せることがあったのではないか。

 少しでも私が父のために何かできていたら彼も前も向けたのではないか。

 今でも時々、そんなふうに考える。


 母と私は時間によって隔たれていて、父と私が心が遠かった。それを縮めないまま、私は進級した。


 その年の夏、私は中間考査でずいぶん良い結果を出した。全てはもう朧げで、今の私にとってその結果は重要ではない。けれどそれを父に伝えたくて、失われた過去でも前提から成立し得ない未来でもなく、今の話を父に伝えたくて、帰り道を走っていたことだけは鮮明に覚えている。


 私は息を切らしながら、ドアに鍵穴を差し込んだ。母が買ってくれた時計のキーホルダーをつけた鍵が、昼下がりの陽光を浴びながら揺れていた。


 ドアを開けると、いつも通り外出しない父の靴があった。リビングから望昔灯の駆動音が聞こえて、私はゆっくりとその方へ向かった。


 父はいなかった。それから先もずっといない。


 夏休みを前に、父は失踪した。


 その日は夜遅くまで待って、そのまま寝て、翌朝普通にトーストを食べて、学校に行った。


 なぜ父が家にいないのか、帰ってこないのかよくわからなかったけれど、誰に相談すればいいかわからなかった。


 翌日もそうして、翌々日もそうした。


 その間も父が帰ってこないことに、感情は焦っているのに肉体も思考も何かの行動を取らせることはなかった。


 どこか他人事だったのだ。自分の身に起きていることが全て本を通して読んだ他人の体験談のようで、客観的にまずい状況であるとわかっていても深刻な気持ちになれなかった。


 あるいは、現実に直面することを回避しようとする防衛規制が働いていたのかもしれない。


 4日目の夕方にふと、望昔灯でリビングを照らしてみた。父がいなくなる直前のことがわかるかもしれないと思ったのだ。


 いや、今追憶すればこそあの時あの状況であればそう思ったはずだと推測できるだけで、実際にはただなんとなく手を動かしただけなのかもしれない。


 つまみを設定し、父が失踪した日に合わせる。ところがどうも年数のつまみを回してしまっていたようで、照らされた先には洗濯物を取り込む母の姿があった。


 私はなんだか無性に物悲しくて、その様子をしばらく見ていた。母は洗濯物を畳み終えると、一息つくように伸びをする。


 母から私は見えていない。これはただ失われた過去を再生するだけの機械だ。


 なのに私は、「お母さん」と口にし、手を伸ばしてしまった。


 当たり前に、母が返事をするはずがなかった。


 私に父を疎む資格などなかった。


 それが虚像に過ぎないとわかっていても、目の前に視覚として存在するそれに対して、どうしようもなくその実在を感じてしまう。


 目に見えるものは、そこにあるものだと、きっと誰もが無意識に信じているのだ。


 涙が出た。感情由来の、喉の奥から押し出されるような涙だった。私は涙を流しながら望昔灯を停止した。


 その時、ゆっくり消えつつある母の虚像がふとこちらを振り向いた。何か戸惑うように、軽く首を傾げる。


「誰か、いるの?泣いてる?」


 確かに、そう言った。


 私は咄嗟に母に手を伸ばした。伸ばした手が、母の頬に触れる。


 その場に定着した観測を映し出しているに過ぎないその母の象は、確かに体温と質量を感じさせ、次の瞬間消失した。


 そのあと何度試行しても、同じことは起きなかった。あの時確かに、観測されるだけの存在であった母が、こちらを観測したというのに。


 ふと、以前望昔灯を回しながら父が言っていたことを思い出した。


 母が生前、泣いている少年の幽霊を見たという話。それは、私のことだったのかもしれないと、さしたる根拠もなく私は思った。


 その日の夜、ようやく私は父方の祖父母に電話をした。


 それから先のことはテストの点数同様朧げである。確か警察が家に来て、何か色々と聞かれた気がする。その後、私は祖父母と暮らすことになった。


 引越しはそれなりに大変だった気もするが、叔父夫婦が手伝ってくれた。


 その際父の買ったあの望昔灯が捨てられたのか他の家財と一緒に売られたのか、はたまた祖父母の家に運ばれ倉庫に押し込まれているのかは定かでは無い。


 中学生活の残りと高校の3年間を過ごした祖父母の地元は、栄えてこそいなかったが良いところだった。


 父の失踪に対する困惑や、結局ろくに話せなかった後悔を抱えてもいちおう大学まで来れたのは間違いなく祖父母と近所の人々のおかげだ。


 同時に私の中では、ずっとある思考が巡らされていた。望昔灯の機能についてだ。


 望昔灯の仕組みや構造には、実は未解明の部分が多い。


 多くの人がなぜシャッターを押したら目の前の景色を保存できるのか知らずにカメラを使っているように、試行と結果の繰り返しの中で何をしたらどうなるのかわかっているだけで、その原理については曖昧なのである。


 もしかしたら、望昔灯の機能のある種のバグめいた、未解明な部分を応用すれば、過去を観測するだけでなく、過去にこちらを観測させることも可能なのではないだろうか。


 つまり、生前の死者とコンタクトを取ることが出来る。あの時のように一瞬ではなく、もっと安定して、持続的に。


 けれど、結局仮説は仮説のまま私は普通の文系大学を受験した。私の平凡な学力では専門的な研究ができる大学に行くのは難しく、祖父母を心配させたくなかったのだ。


 あるいは「できない」の言い訳に祖父母を使っただけかもしれない


 進学を機に東京に出た私は、久しぶりに幼少期に暮らした家に行ってみた。もう、ずいぶん前に取り壊され空き地になっていたようだった。


 私は近くのコンビニで購入した小型の望昔灯でその空き地を照らしてみた。1980円で買える廉価なそれは、数秒前に通過した蝶の姿をもう一度映すだけだった。

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