インタビューの書き起こし③
まず、厚さとかって基本的に触っていることでしか正しく知覚できないんです。分厚い本というのは、本を見た時の視界における側面の占有率でしかないわけじゃないですか。触ってみないと実際の厚さはわからないですよね
で、その実際の厚さというのも不確定なんです。なぜなら私たちは視覚では厚さを正確に認識できないのに視覚的観点から、視覚的計測から厚さを示そうとする
手をどのくらい開いたら挟めるか、というのも結局手を開くという、実際の視覚と同期しているか怪しい「感覚」なわけです。つまりのその相対的感覚の総体こそが、いわゆる厚みなわけですよね
それから距離とか長さとかというのは、それに至るまでの時間を算出したもので、言い方を変えると視覚上で対象物が大きくなっていくのにかかる時間、小さくなっていくのにかかる時間です
だから目に映るものの中に三次元性なんてないんですよ
──素晴らしい視点だと思います。この場合視点という表現が適切かはわからないんですが、距離がつまり時間であるというのは僕も同感なんですよ
ああ、確かあなたは寺坂理論の支持者だと言っていましたよね。私も氏の著書はいくつか読みましたが、果たして彼の本来の時代はいつなのでしょうね
──さぁ。少なくとも僕が寺坂先生と会ったのは、彼が江戸時代の人物になってからですから。他の関係者、例えば大武さんとかならもう少し詳しい出自を知っているんでしょうけれど
なんだ、大武さんのご友人だったんですね。彼女が紹介するわけだ
──友人では無いです
彼の友人はみんなそう言いますけどね
──いや、別に大武さんに対する敵愾心から言っているわけではなくてですね。もちろん大武さんのことは嫌いなんですが、それはそうと僕はあの人の友人なんて言えるラインにはいないですよ。あんなでも寺坂先生に相当長く付き合っていらっしゃる方ですし
謙虚なんですね。⚫︎に関わる人間としては珍しい美徳だと思いますよ
──ありがとうございます。さて、お話を戻しますと距離と時間というのは同一であるとともに、いや、だからこそ不確定なものだと思うんです。つまり、時間というのはかなり身体的なものなのに、それを観測しようとすると非身体的になってしまう
──僕たちが日常的に目にする距離とか数値とかの「基準」めいたものって全部視覚化された形でしかパラメータを認知できないじゃないですか。そこに身体性は欠落していて、僕たちがそれを本当の意味で共有できているのか確証がない
──というか確証が持てるわけがないんですよね。だって僕たちはそれぞれ違う時間を生きているんですから。時間を生きてる、は違うな。時間である?時間を有している?ともあれ、同じ地点を目指して移動してもそこに至る時間が違えば本当は距離って違うはずなんですよ
──僕たちはそれぞれ違う時間の中でしか生きられない。というかそもそも、距離も時間もないのかもしれない……それって一見寂しげですけれど実はすごく大切で、意義のあることなんじゃないでしょうか
──だってもしそうだとしたら、僕たちはどこにでも行けるし何時にでもいれる、ただ方法を知らないだけで!
──失礼しました。インタビューという趣旨を外れて自論を語ってしまいましたね
いえいえ、私こそ興味深い話が聞けました
確かにおっしゃる通り、私たちの間に同じ時間は流れていない
距離とは触覚と時間であると申し上げましたが、時間というのは万人に同じように流れているわけではない
私たちは時計の針が進んだ回数を時間と呼びますが、それはすなわち円形を細かく分割した点と点の間の移動距離でしかない
そして、その距離を歩むのにかかる時間は人と虫とでは違い、私とあなたとでも違うのです
──そう、こうして話していてさえも!
あはは、楽しい人ですね。
──いやいや、よく変わってるって言われますよ
それを楽しいというんですよ。しかし、人に自論を話すというのは楽しいものですね。長い間襖で過ごしていると自然とあれやこれやと考える時間が長くなりますから、たまにはアウトプットしないと煮詰まってしまう
──お役に立てたなら何よりです。ところで、襖絵って体感としてはどんな感じなんですか?
ううん、そうですな。先ほどの論に結びつけるようですが、触覚がないですね。例えば、このように花を摘めば普通花の感触やわずかな重さを感じるでしょう
(佐川氏が襖絵に描かれた花を持ち上げる)
──まぁ、そうですね
ですが私の場合は、情報しかないんです。ああ、花を持っているなぁという視覚情報と思考だけ。
つまり感触がない。言ってしまえば主観が主観として機能しない。手を振っても手を振った映像が目に映るだけで、手を振っている感覚はない。だから目を瞑れば思考以外はすべて無です
──それは辛く感じないんですか?
いえ、全く。別にいいものではないんですが、それほど不便もないですよ
感触がないと同時に、平面には前後の距離もない。私は身体性に囚われずあらゆる地点に存在している
(佐川氏の姿が襖全体に広がる)
二次元の中には本質的に、差異がないんですよ。全てが等価である。だから、私とこの花は同一であり、遠くと近くは同一である
距離も厚みも、所詮画面上の占有率と座標でしかないのだから
つまり、今の私は純粋に知覚だけで出来ていると認識しています
──知覚だけですか
ええ。観測と言ってもいい
観測される存在でしかない私は、あの火事と似ています。後の時代に観測され、私たちの時代に流れ込んだ熱さ、つまり身体性の無い火に
(佐川氏を包むように火の図像が部屋中に燃え広がっては消えていく)
ここでは、身体性が剥奪され、過去も今も未来も全てが等価になってしまう
距離が消失する
それがこの地の、本質的な怪異なのでしょう
──ありがとうございます。面白い話が聞けてよかったです。そして、僕たちの目的の正しさをより確信できました
正しさ、ですか
そういえば、あなたは⚫︎藩を知ることが目的ではないのですか?今回のインタビューの内容は、少々そこから離れていたように思えますが
──あー、やっぱりわかります?
ええ。丸わかりです
──あはは。できれば内緒にしておきたいんですが……ダメですかね?一応言える範囲で言うと、⚫︎という土地の可能性をもっと活かしたいんですよ、僕は
可能性ですか。そもそもあなたはどの程度この土地の性質を理解されているんでしょうか?
──全然ですよ。最低限、この土地では時間が著しく乱れる、いや、圧縮されて混じり合うということだけです。だからこそ、ここの法則をもっと知らなくてはいけないと思っています
なるほど。そういうことならお譲りしたいものがあります。ここの文机の、3段目の一番右側の小さい引き出しを開けてください
(佐川氏はさらに部屋全体に広がり、壁面に沿うようにして手の図像が移動していく)
(佐川氏の指の図像が文机の表面に沿って伸び、そのまま全面で折れ曲がって引き出しを指差す)
(筆者が指示通り引き出しを開けると、そこにはUSBメモリが入っている)
(持ち上げると少し冷たかった。空気よりは重いはずなのに、何も持っていない時より“軽い”という重量を感じる)
──うわー!すごいですね。竹製のUSBなんて初めて見ました!
ははは。江戸時代に作られたものですから
そちらをお譲りします。
──いいんですか?
ええ、あなたに役立つなものが入っていると思います。過去に⚫︎藩内の匿名掲示板で交わされた会話、まぁ要はネットの書き込みのコピーなんですけれど
当時を生きた人々の声というのであれば、思い出して語っているだけの私より当時記録されたもののほうがいいでしょう
最もその記録に何も流入していないとは限りませんけれど
木製PC用のものではありますが通常のPCでも読み取り自体はできるはずです。ぜひお役立下さい
──重ね重ねありがとうございます。本日は貴重なお話を聞けて本当に良かったです
いえいえ、むしろ私の四方八方に飛び火する話を最後まで聞いていただいてありがとうございます。研究頑張ってください
──はい、今回のお話も必ず研究に活かさせていただきますね
(終話)
(2018/08/12)
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