奇妙な雨漏りの話

 享保二年、平松佐内という藩士が体験した話だ。


 当時は藩の財政が逼迫する中、大半の下級藩士は困窮し、内職で何とか日々の生活を凌いでいたという。佐内もその一人で、お勤めのない日は日がな一日、薄暗い部屋の中で傘張りをして過ごしていた。


 さて、ある時いつものように佐内が傘張りをしていると、ぴちゃぴちゃと水音が聞こえてくる。


 ろくに手入れもしていないボロ屋敷、とうとう雨漏りしたかとため息をついた。


 直すのも面倒で無視をする。薄暗い部屋の中で水音がぴちゃぴちゃと続いた。


 だが、それも慣れてしまえばそれだけだ。わずらわしいが、気を乱すほどでもない。


 佐内は黙々と手を動かし続けた。


「平松様」


 ふと、間の抜けた声で左内の手が止まる。


「弥兵衛か」


 弥兵衛は、佐内が和歌を教えてやっている商家の次男坊であった。どうせ家業を継ぐこともないのだからと悪い仲間を集めてはふらふらと遊び回っているような男である。


 しかし佐内は、そんな弥兵衛とどこか馬が合い、出入りを許していた。


「へぇ。この前作った歌を平松様に見ていただきたく」


「殊勝なことだな。雨の中わざわざ」


「へぇ?雨ですかい?」


 左内の言葉に弥兵衛は呆けたような顔をした。


「降っているだろう。現にほれ、雨漏りをしておろう」


「いやぁ、外は晴れてやしたぜ?」


 佐内が驚いて障子窓を開けると、外は確かに雲ひとつない秋晴れであった。


「なればこの雨漏りは一体……」


 佐内は驚いて天井から滴っている雫をよく見てみる。畳にできた染みに顔を近づけてみると、妙に生臭い。


「これは、牛の乳でごぜぇますな」


 弥兵衛が同じように顔を寄せて言う。どうやら。天井から滴っているのは牛乳のようであった。


 牛乳自体は江戸時代からあるものだが、なぜそれが天井から滴っているのか?佐内は首を傾げる。


「二階で誰かが零したんじゃぁありやせんかい?」


 言われてみればそれもそうだ。


 佐内は部屋を出ると、階段を登って二階に上がった。すると、二階の部屋で牛乳パックが倒れている。


 佐内は呆れ、一階に戻り下女に掃除をするように命じた。


 すると下女はきょとんとした顔をする。


「なんだ」


「いえ、旦那様。この屋敷に二階なんてございましたか?」


 言われてみればそうだ。佐内の家は一階建てである。


 しかしであれば、なぜ弥兵衛は二階ではないか、などと言ったのだろうか?


 不気味に思っていると、下女は続けた。


「それに、弥兵衛さんは先月川に落ちて死んだでしょう」


 あ、っと声が出る。そうだ。葬式にも立ち寄ったではないか。


 頭がふらふらとする。部屋に戻ると、牛乳の染みは無くなっていた。


 自分が見たものは何だったのだろう。あの、牛乳パックが倒れた二階の部屋はいったい。


 そもそも牛乳パックというのは、いったい何なのだろうか。あの紙で出来た箱のようなものを、自分はなぜそう呼んだのだろう。


「平松様、大丈夫ですかい?」


 後ろから弥兵衛の声が聞こえた。


 振り向くと、薄茶色い液体が入った透明な湯呑みのようなものを持つ弥兵衛が立っている。なぜか佐内はそれが、ガラスコップに入ったコーヒー牛乳だとわかった。

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