無題
※同一ファイル内に保存されていたデータだが、旧⚫︎藩に言及したものではなく、意図は不明。
母の通夜が終わってすぐ、父は業務用の望昔灯を購入した。
200万はしようものだが、家電量販店で売っているようなものでは数分から数時間前を照らすのがせいぜいだから仕方が無い。
母はもう、数年前から病院のベッドに臥していて、亡くなる直前にはわずかに目を動かすのがやっとである。たかだか数分過去を照らしたところで、この家に母が暮らしていた時間はないのだ。
青い作業服を着た大人たちが、小分けに箱詰めされた部品をリビングに運び込んでいく光景は、なんとなく子ども部屋にベッドが設置された日のことを思い出した。
あの時はまだ母が元気で、興奮しながら作業工程を見つめる私の頭を母の手がそっと撫でていた。
組み上がった望昔灯は、当時中学生だった私より少し背が高い白色の箱で、側面にハンドルとツマミがある。授業で使った手のひらに収まるほどのものとは全く別物で、異様な存在感を感じた。
私の顔の高さと同じあたりにレンズが嵌めてあった。真っ黒いドーム型のガラス面に、虹色の反射光が蛇のようにうねっていた。
背部に回り込むと、取手付きの小窓があった。
小窓を開くと中は一面が鏡張りになっていた。
中心に直径の異なる六角柱が二つ重なっていて、そのすべての面に同じ大きさの円形の穴が空いていた。それはどこか、小学校の頃に図工の授業で作った手製のゾートロープに似ていた。
「ハンドルを回してごらん」
父はツマミを軽くいじると、私を見下ろしながら言った。私は言われるままに小窓を閉めてハンドルを回してみた。
すると望昔灯のレンズから懐中電灯のように光が伸びて、前方を照らした。
私が生まれた時に母の希望で購入されたらしい横長のソファが、光を浴びてわずかに鮮やかに見えた。
かつては夕食が終わると抱き合うように身を寄せて下らないバラエティ番組を見ながら微睡んだ。
そのことを思い出すと悲しい気持ちになった。同時に、悲しい気持ちは懐かしい気持ちに似ていて、懐かしい気持ちは幸せな気持ちに似ていると思った。それが無性に怖いような気がして、ハンドルを回す手に力が入った。すると光も強くなった。
30秒ほど照らしていたら、光の中にぼんやりと人影が見えた。それは左右に振動しながら、少しずつはっきりと像を結んでいった。
それは半透明の母の姿だった。
ソファに座って、膝の上で洗濯物を畳む母の姿だった。母の病気が見つかる直前まで、学校から帰るたびに見ていた光景だった。
私は思わずハンドルを回す手を離して、母に駆け寄ろうとした。すると、プツンと光が消えて母の姿も消えた。
父は「4年と3ヶ月前に設定したんだ」と言った。病気が見つかる1ヶ月前だった。この頃はまだ、あんな日々が永遠とは言わずとも、少なくとも成人して家を出るまでは続くと思っていた。
父は再びつまみをいじってからハンドルを回した。うたた寝する幼い子どもの頬を母が幸福そうに突く様子が映し出された。
「これは7年前。この家に来たばかりの頃だね」
子どもは私だった。幼い自分を見ているのは奇妙な気分だった。母を真似て幼い私の頬のをつつこうとしたところ、指は幼い私の皮膚には触れずにすり抜ける。
「あくまで見えるだけ、だからね」
父が苦笑した。そのくらい知っていると反論しようと思ったが、やめておいた。父はまたツマミをいじり、ハンドルを回した。
次に映し出されたのは、雑巾に刺繍をする母の姿だった。
「これは、君が小学校に入学した時」
次は、大きな腹部を撫でる母。
「14年前。まだ君が生まれる前だ」
次は若い両親が床の上で抱き合う様子。
「結婚してすぐだ。この家も長く住んでるなぁ」
父の声は、どこかうっとりしていた。私はそんな父を見つめながら、何故かとても悲しい気持ちになった。
きっと父は、母が臥せってからずっと望昔灯の購入を検討していたのだろうと思ったからだ。
通夜の後すぐに購入を思い立ったにしては、業者を家に招き入れる父の姿はあまりにも手際が良すぎた。専門の研究者でもなければ、相当前からあれこれと調べていたとしか思えなかった。
振り返ってみれば、父は、母が病になってから母に対してそっけなかったように思う。
途中までは毎日仕事が終われば見舞いに来ていたし、色々な話をしてもいた。けれどそれはどれも未来の話ばかりで、母の病が治った後の展望だった。
もうその時には母は余命宣告を受けていたのに。
やがて病が進むと、母は言葉をうまく話せなくなり、目や指先の動きで僅かに意思表示をするだけになった。きっと他人が見れば別人のように見えただろう。
私にはずっと母に見えていた。手のひらを握っても、以前私を撫でてくれた時の柔らかさが少しも残っていなくても、それでも母は母だった。
父には、どう見えていたのだろう。
その頃から父は母への見舞いの頻度を週に一度に減らした。
そして、健康であった頃はあんなに愛おしそうに触れていた母の体に、全く触れなくなった。
その一方で、家に帰ると父はよく母の昔話をした。元気だった頃の母の話を、愛おしそうに話した。今病気で苦しんでいる母の話は決してしなかったのに。
きっと、怖かったのだと思う。もう、死の方向にしか進まない母が、父にとってはとてもとても怖かったのだ。
私はそう納得して、父の態度を受容していた。
けれど、私の頭は常にもう一つの可能性を想起していた。母の話をする父の口調は、まるで死人を懐かしむようだったから。
父の中ですでに、ベッドで寝ている母は死人と変わらないのではないか、と。
望昔灯を覗く父の表情を見て、私はそれを確信してしまったのだ。
あの人は病に伏せる母に対し、明確に興味を喪失していた。
痩せ細り、笑わない、言葉の通じない母は、あの人の中ではもう母ではなかったのだ。
そんなものよりきっと、思い出の中の美しい“本物の母”に会いたくて、ずっと望昔灯でその姿を照らしたくてたまらなかったのだと、今ならわかる。
それでも母が死ぬまでそれをしなかったのは、なけなしの良心と情があったからだ。母が死んで、それも意味をなさなくなった。
私の中で父は、なんだかとても気持ちの悪いものになってしまった。きっと父にとって晩年の母がそうであったように。
その日から父は毎日、望昔灯で家のあちこちを照らすようになった。
食事をすれば、いつも決まっていた母の席を照らし、朝起きればキッチンを照らす。
フライパンを見つめる母を父は見つめ、おはようと笑顔で手を振る母に父はおはようと答える。
仕事が終われば、父は母にその日あったことを話し、私にも話題を振った。私がぎこちなくテストの点が良かった話をすると、父は大袈裟に私を褒め、それから母に「君もそう思うだろう?」と同意を求めた。
照らし出された母は過去の肖像でしかなく、だから今の父の言葉に答えることなどなく、過去の父と会話している。当然会話は噛み合わない。
それを父は気にするでもなく、ずっと嬉しそうに話し続けていた。母が死ぬ直前よりずっと、父は母が生きているみたいに振る舞った。
それをやめて欲しいと言えるほど、私も強い人間ではなかった。ただ、ひたすら、私にとってその頃の家の全てがぎこちなくて、それを反映するように私もぎこちなかった。
卒業式が終わった日、私は父とたまには外食に行こうと言った。けれど父は、それを嫌がった。
大事な日なんだからたまにはいいじゃないかという私に、父は諭すように言った。
「大事な日だからこそ、家族3人で祝おうよ」
私が運動会で1番になった時は、病床の母を差し置いて2人でレストランに連れて行ったくせに。その日は父がケーキを買ってきたけれど、私は全て吐いてしまった。
父はそのことに気づかずに、照らし出された母にありもしない家族3人の未来の話をしていた。
吐瀉物は少し甘くて、口の中でべとべとした。
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