影法師

柳 凪央

第1話

五年ぶりに見る空は、

思っていたよりも低く、そして、静かだった。


 


キィキィと古びた鉄の扉が音を立てて閉まる。

背後で鳴るその音は、どこかで聞いた墓標のようでもあり、

それでいて、二度と戻るなという釘を刺すような警告のようにも聞こえた。


 


刑務所という場所には、音が少ない。

騒がしさではなく「生活音の不在」と言った方が正しいかもしれない。

重ねられた規則と監視の目の中で、人間たちは「静かに生きること」を義務づけられる。

話すこと、動くこと、心を動かすこと──それらはすべて、慎重に計算されたうえで許される。

だから、五年もいれば、外の音に、すぐには馴染めない。


 


蝉の声が遠くで鳴いていた。

梅雨が明けたばかりの東京は、まだ夏を始める準備しかしていない。

そんな季節の隙間に、俺は社会へと押し出された。


 


駅までの一本道に、誰の姿もなかった。

出迎えなど、あるはずもないと知っていた。

両親は、もういない。

妹は……会いたい気持ちもあったが、連絡はしていない。

社会に戻るということは、まず「一人になる」ことから始まるのかもしれない。


 


支給されたスーツは、少し古臭いデザインだった。

自分で選んだものではない。

ネクタイを締める感覚も、靴を履いて舗道を歩く感触も、

かつてのそれとは違っていた。

五年という時間は、社会を忘れるには充分すぎた。

そして、俺の時間は、あの瞬間から止まっていた。


 


冤罪だった。

俺は殺していない。

それでも、殺人犯として裁かれ、裁判で争い、証拠が足りず、有罪となり、

塀の中で五年の時間を費やした。

空白の5年間。

 


出所すれば無罪になり罪が消えるわけではない。

冤罪が認められたわけでもない。

ただ、刑期を終えたというだけ。

ひとつの区切りができただけ。

前科は残り、世間は知らないまま、忘れることもない。

世間の目は、無関心を装って突き刺さるように鋭い。


 


信じてくれた人間は、ほんの一握りだった。

──妹だけは、ずっと、俺を信じてくれていた。

それだけが、あの塀の中で俺が壊れずにいられた理由だった。


 


アスファルトの熱が薄い靴底からじんわりと伝ってくる。

足を前に出すたび、一歩、一歩と世界に近づく。

けれど、世界は、俺を迎え入れる気配を見せない。

ただそこに、無機質に、容赦なく、存在している。


 


刑務所から出てきた人間を、

世界は「自由になった」と言う。

けれど本当のところは、

俺の方が──「世界の檻に入っていく」ような気がしてならなかった。


 


影のように、音もなく、静かに。


俺は歩き出す。

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