EP 2
100円ショップスキルで始める異世界生活
「いてて……」
全身の軽い痛みで、僕は意識を取り戻した。ゆっくりと目を開けると、視界に飛び込んできたのは鬱蒼と茂る木々の緑。土と草いきれの匂いが鼻腔をくすぐる。見慣れない形の花、聞いたことのない虫の声。
「ここは……異世界か。本当に、異世界なんだ……」
さっきまでの白い空間と女神様の姿が、まるで夢だったかのようだ。でも、この肌で感じる空気、匂い、音。すべてが、僕が知っている日本のものとは違っていた。女神様の言ったことは本当だったんだ。
途端に、言いようのない不安が押し寄せてくる。右も左も分からない、全くの未知の世界。何が起こるか分からない。まずは身の安全を確保しないと。
僕は慌てて立ち上がり、周囲を見渡した。幸い、近くに身を隠せそうな茂みがある。僕はそこに飛び込むように身を潜め、息を殺した。そして、女神様に与えられた力を試してみることにした。
「(スキル、『100円ショップ』!)」
心の中で強く念じると、目の前に半透明のウィンドウが現れた。まるでスマホの画面みたいだ。そこには『日用品』『食品』『文具』『雑貨』『工具』『防災グッズ』……と、見慣れた100円ショップの商品カテゴリがずらりと並んでいる。すげぇ、本当に使えるんだ!
「ええと、取り敢えず……何か身を守るものを……」
ウィンドウを操作して、カテゴリを切り替える。工具の欄に包丁を見つけた。異世界で最初に買うものが包丁ってどうなんだろう、とも思ったけど、丸腰よりはマシだろう。
『三徳包丁 100p』
表示されたポイントを確認し、購入ボタンをタップする。すると、手の中にずっしりとした重みが生まれた。プラスチックの柄がついた、まさしく100円ショップで売っているような包丁だ。
ウィンドウの隅には、僕の所持ポイントが表示されている。『900p』。女神様がくれた初回特典ポイントが、ちゃんと反映されている。
「残り900pか……」
包丁を握りしめてみる。でも、これで何かが変わるわけじゃない。不安は少しも消えてくれなかった。
「うう……怖いよぉ……。モンスターとか、盗賊とかが出てきたらどうしよう。こんなペラペラの包丁で勝てるわけないじゃないか……。僕、ケンカなんて一度もしたことないんだぞ……」
茂みの中で、情けない弱音が次々と口をついて出る。それでも、じっとしていても状況は変わらない。僕は意を決して茂みから出て、慎重に歩き始めた。まずは人がいる場所を探さないと。水も飲みたい。
しばらく森の中を彷徨うと、微かに水の流れる音が聞こえてきた。
「水だ……!」
音のする方へ駆け寄ると、そこには澄んだ水の流れる小さな川があった。陽の光を反射してキラキラと輝いている。僕は思わず川辺に膝をつき、両手で水をすくって顔を洗った。冷たい水が火照った顔に気持ちいい。そのままごくごくと喉を潤すと、張り詰めていた神経が少しだけ和らぐのを感じた。
ふと空を見上げると、太陽がだいぶ西に傾いている。森の中は思ったよりも早く暗くなるようだ。
「暗くなってきたし、今日はここらで野宿するしかないか……」
夜の森なんて、絶対に危険だ。モンスターが活発になるかもしれない。不安で心臓が早鐘を打つ。でも、疲労も限界に近かった。
「本当に……100円ショップ様々だよな……」
僕は再びスキルを発動させた。今度は『食品』カテゴリから、サバの缶詰と、保存がききそうなビスケットをいくつか。『雑貨』からライター……は無かったけど、マッチを見つけたのでそれを購入。それから、『防災グッズ』で見つけたアルミの防寒シート。合計で400pくらい使っただろうか。残りポイントは500pを切った。
川辺の少し開けた場所で、枯れ枝を集める。マッチで火を起こすのは少し手こずったけど、なんとか小さな焚き火を作ることに成功した。パチパチと音を立てて燃える炎を見つめていると、不思議と心が落ち着いてくる。温めたサバの缶詰を、拾った木の枝で少しずつ口に運ぶ。味は……まあ、普通だ。でも、温かい食べ物がこんなに有り難いなんて、今まで考えたこともなかった。
「これからどうしようかな……。まずは誰か人に会わないと……。この世界のことを、何も知らないんだから……」
食べ終えて、防寒シートにくるまりながら、僕は独り言を呟いた。孤独と不安が、焚き火の暖かさだけでは拭いきれない。
その時だった。
「グルルル……」
背後から、獣の低い唸り声が聞こえた。全身の毛が逆立つような、嫌な感覚。ゆっくりと、本当にゆっくりと振り返ると、暗闇の中に爛々と光る二対の目があった。涎を滴らせ、鋭い牙を剥き出しにした、狼によく似た魔物が、僕をじりじりと見つめている。あれが、異世界のモンスター……ウルフってやつか?
「うわああああ! 寄るなあああっ!」
恐怖で体が石のように硬直する。腰が抜けそうだ。それでも、ここでやられるわけにはいかない。僕は震える足で何とか立ち上がり、さっき手に入れた包丁を構えた。でも、手がガクガク震えて、まともに握れない。
「や、やめろ! こっちに来るな!」
僕の必死の叫びも、ウルフには全く効果がないようだった。ゆっくりと、しかし確実に距離を詰めてくる。その目には、明らかに捕食者としての光が宿っている。もうダメだ。食われる。
その絶望的な状況で、僕の頭に一つの考えが閃いた。そうだ、まだあれがある!
「(100円ショップ!)」
最後の望みを託し、僕は震える指で半透明のウィンドウを呼び出した。焦る気持ちを抑え、必死に『防災グッズ』のカテゴリを探す。あった!
『防犯ブザー 100p』
『防犯スプレー(催涙ガスタイプ) 100p』
「これだっ!」
迷わず二つを選択し、購入! 手の中に、プラスチック製のブザーと小さなスプレー缶が現れる。残りポイントは300pを切ったけど、今はそんなこと気にしていられない!
僕はウルフが飛びかかってくる寸前、防犯ブザーの紐を力いっぱい引いた!
「ピーーーーーーーーーーーーーッ!!!!」
けたたましい電子音が、静寂を切り裂いて夜の森に響き渡る! 突然の大音量に、ウルフは驚いて耳を抑え、苦しそうに唸り始めた。聴覚が鋭いんだろう。
「今だっ!」
この隙を逃すまいと、僕は防犯スプレーのノズルをウルフの顔面に向け、思い切り噴射した!
「シャーッ!」
白いガスがウルフの顔を覆う。刺激臭が僕の鼻にもツンときた。ウルフは「キャン!」と悲鳴のような声を上げ、目を押さえて地面を転げまわり始めた。
「うわあああああっ!」
チャンスは今しかない! 僕は恐怖と安堵でぐちゃぐちゃになった頭で、とにかく逃げることだけを考えた。包丁も、燃えかけの焚き火も、何もかも置き去りにして、僕は我を忘れて走り出した。後ろを振り返る余裕なんてない。枝が顔に当たろうが、足がもつれようが、ただひたすら、がむしゃらに暗い森の中を駆け抜けた。
どれくらい走っただろうか。肺が張り裂けそうで、足はもう鉛のように重い。息も絶え絶えになった時、遠くの木々の間に、ぼんやりとした光が見えた気がした。人里の明かりだろうか? 希望の光だ。
「はぁ……はぁ……あかり……」
光に向かって、最後の力を振り絞って手を伸ばそうとした。だが、僕の体はもう限界だった。視界が霞み、意識が急速に薄れていく。
「……たす……けて……」
それが、僕が異世界で二度目に失った意識だった。
……
「う……うーん……」
次に瞼を開けた時、僕の目に映ったのは、見慣れない木の天井だった。硬い地面の上ではなく、ふかふかとした感触のベッドに寝かされているらしい。体にかかっている布団も温かい。
そして、すぐそばに人の気配を感じた。そちらに視線を向けると、心配そうな表情で僕の顔を覗き込んでいる、可憐な少女がいた。亜麻色の髪に、大きな栗色の瞳。歳は僕よりいくつか下だろうか。簡素な服を着ているけれど、とても可愛らしい子だ。
「き、君は……? ここは……?」
まだ状況が飲み込めず、掠れた声で尋ねる。すると少女は、ぱあっと顔を輝かせ、満面の笑みを浮かべた。
「よかった! 眼を開けられたんですね! 森の中で倒れていたから、本当に心配しました……!」
少女の屈託のない笑顔と言葉に、僕はますます混乱した。森で倒れた? この子が助けてくれたのか? ここは一体どこなんだろう?
優しい朝の光が、窓から差し込んでいる。異世界に来て初めて迎える、穏やかな朝。僕の新たな運命が、この優しい少女との出会いによって、静かに動き始めようとしていた。
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