第4話『スマホの向こうにいるのは誰』

スマホの画面が、暗い部屋の中で、ぼんやりと光っていた。


 奈緒は、布団の上で横になったまま、その光を指先でなぞっていた。

 午前二時半。外は静まり返り、雨音さえ止んでいる。

 でも眠れない。まぶたを閉じても、頭の中がうっすらと騒がしかった。


 何も考えたくないのに、考えてしまう。

 考えているつもりはないのに、心が勝手に騒ぐ。

 そんな夜は、もう何度目になるだろう。


 Twitterのタイムラインを眺める。

 知らない誰かが、カフェの写真を投稿している。

 アイスラテ。苺のミルフィーユ。

 「最高かよ!」というコメントと、1000を超える“いいね”。


 Instagramを開く。

 今度は、旅先の写真。

 夜景、旅館の食事、笑顔の集合写真。

 投稿者の名前を見ても、誰かは思い出せない。フォローした理由もわからない。


 Facebookには通知がなかった。

 唯一、通知欄に出ていたのは「◯年前の今日の思い出」。

 そこには、五年前の自分が写っていた。

 会社の送別会の帰りに撮った写真だった。

 奈緒は、笑っていた。誰かに向けて。

 でも、今、その写真に写る誰ひとりの名前も、連絡先も、スマホの中には残っていなかった。


「消えていくんだよね……こうやって」


 つぶやいても、返事はない。

 スマホの画面は、なにも言ってこない。

 光るばかりで、手ごたえのある“誰か”には、決して繋がらない。


 LINEを開いた。

 最後のメッセージは、半年前。

 大学時代の友人から来た「久しぶり!」という文字列。

 奈緒は、「ひさしぶり。元気?」と返した。

 それきり、既読になっていない。


 ──スマホの向こうには、“誰”がいるんだろう。


 本当に、“人”がいるのだろうか。

 今、誰かと繋がっているふりをして、自分だけがこの部屋で止まっている気がする。

 向こうは、進んでいる。生活をしている。誰かと、どこかで、今日を生きている。

 でも自分は、その輪の中にはいない。


 ただ、光を見ているだけだ。

 画面越しに、誰かの幸せを見せつけられているだけだ。


 ──まるで、それが「できなかった人」への警告のように。


 奈緒は、スマホを持ったまま、ベッドの上でうずくまるように丸くなった。

 パジャマの袖は少し湿っていて、肌に張り付く。

 その感触さえ、どこか遠くのことのように感じた。


 「会いたい」とは、もう思わない。

 「話したい」とも、思わない。

 ただ、「誰かが、見ていてくれたら」と、そう思ったことが一度だけあった。

 それは、去年の冬。高熱を出して寝込んだ三日間。


 水を飲むのも億劫で、トイレに立つたびに足が震えた。

 けれど、誰にも連絡できなかった。

 連絡先がなかったのではない。

 “連絡しても、来ないだろう”という諦めが、すでに先にあった。


 誰かに頼ることをやめるのは、意外と簡単だった。

 ただ、「いないこと」に慣れればいい。


 スマホの画面を閉じる。

 そして、枕の下に差し込んだ。

 光が消えると、部屋は深く沈んだ。


 闇に包まれた空間。

 音のない夜。

 自分の呼吸音だけが、遠くから聞こえてくるように感じる。


 昔、母親が言っていた。


 「本当に寂しい夜ってのは、何かをしたくなるんじゃなくて、何もしたくなくなるのよ」


 あのときは、まだ若くてわからなかった。

 でも今は、よくわかる。

 寂しい夜は、静かで、冷たくて、何もない。


 画面の向こうには、誰かがいるかもしれない。

 でも、奈緒には、それを確かめる勇気も、もうなかった。


 つながることは、怖いことだ。

 だから、今日も、誰ともつながらないまま──


 スマホのバッテリーは、静かに減っていく。

 その残量とともに、今日という日も、やがて終わっていく。

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