ミア・グーゼンバウアー〜招かれざる影、幽世(かくりよ)の嗤う呪詛〜
兒嶌柳大郎
第1話 ゲームと異界の接点
京都の秋は、肌に刺さるような冷たい風が吹いていた。
その日、京都府立髑髏原高等学校の正門をくぐったミア・グーゼンバウアーは、背筋を這い上がるような、かすかな悪寒に身を震わせた。
だが、それは単なる季節の変わり目のせいだと、ミアは思っていた。
彼女の関心は、これから始まる退屈な学校生活よりも、今夜の「ナイトフォール・オンライン」のデイリーミッションにあった。
背中にぴったりと貼り付いたバックパックの重みを確かめると、まるで何かから逃れるように、ミアは一歩を踏み出した。
「おや、いよいよ本拠地に乗り込みましたね、ミア。」
隣から聞こえるのは、紳士ルクスの澄んだ声。
ルクスは、ミアにしか見えない、古風な英国紳士の姿をした亡霊だ。
彼はミアの短期留学に同行し、常に彼女の傍らにいる。
その優雅な物腰とは裏腹に、ルクスはミアの魂を喰らうという恐ろしい契約を交わしている。ミアが自死を考えるほど絶望した時、ルクスは彼女を救ったが、それは究極の代償を伴うものだった。
ミアはそのことを、普段は深掘りしないようにしていた。
「本拠地ねぇ。まさか本当にここに転校するとはね。」ミアは独り言のように呟いた。
ルクスは薄く笑う。
「あなたの執着には感服しますよ。ゲームのためとはいえ、ここまでとは。」
ミアは、ネットの対戦ゲーム「ナイトフォール・オンライン」に文字通り命をかけていた。
そのゲームのトッププレイヤー「シャドウ・レヴナント」が日本の京都、しかもかつて「髑髏ヶ原」と呼ばれた地に住んでいると知り、迷わず留学を決めたのだ。
髑髏ヶ原。
正式には「京都府立髑髏原高等学校」。
校名にもなっている「髑髏ヶ原」という地名は、平安時代に由来するという。
かつてその場所は、都の処刑場であり、数多の罪人の血が流された地だった。
そのため、ここは現世と霊の交差する場所として知られ、古くから不可解な現象が多発しているという。
だが、そんなこと、ミアにとっては二の次だった。
重要なのは、シャドウ・レヴナントとの対戦、ただそれだけだ。
HRが始まる前の教室は、賑やかな話し声で満ちていた。
ミアは自分の席に座ると、さっそくスマホを取り出し、ナイトフォール・オンラインの今日のデイリーミッションをチェックする。
クラスメイトの田中浩太が「よっ! 転校生! 今日は何か面白いことあったか?」と気さくに声をかけてくるが、ミアはヘッドホンで音楽を聴いているふりをして、適当に頷くだけだった。
隣の席の佐藤優美は、影山葵と何かひそひそ話している。
その時、教室の窓の外が、一瞬、ぐにゃりと歪んだように見えた。
薄暗い影が、まるで意思を持ったように、窓ガラスにへばりつく。
ミアは一瞬、目を凝らしたが、次の瞬間には何もなかった。
「……気のせい?」
ミアは首を傾げた。
しかし、隣の席に座っていた影山葵は、その変化をはっきりと捉えていた。
彼女の顔色は青ざめ、視線は窓の外に固定されている。
葵は、幼い頃からこの地で起こる怪異に苦しめられてきた霊感体質だった。
ミアの転校以来、学校の空気は明らかに重く、悪意に満ちてきているのを感じていた。
放課後、ミアはいつものように学校の片隅にある誰も使っていない旧図書室で、ナイトフォール・オンラインにログインした。
ルクスは、静かにミアの隣に立つ。
「この学校の霊気は、なかなか骨がありますね。特に、あなたの周囲に渦巻くものは。」ルクスが淡々と告げる。
ミアはルクスの言葉を半分聞き流しながら、ゲームのロビー画面を眺めていた。
今日の対戦相手は、ついに「シャドウ・レヴナント」だった。
ミアの心臓が、高鳴る。
中村健太もゲーム部員だが、ミアの集中を邪魔しないよう、離れた席で自分のスマホをいじっている。
「来た…!」
マッチングが始まり、ロード画面へと切り替わる。
その瞬間、ミアのスマホの画面に、ノイズが走った。
一瞬、ロード画面の背景が、見覚えのない不気味な顔に変わった。
それは、口角が異様に吊り上がり、まるで何かを嘲笑っているかのような、歪んだ顔だった。
「ひっ……!」
ミアは思わず声を上げた。
ノイズはすぐに消え、ロード画面は元に戻ったが、ミアの心臓は激しく打ち続けていた。
「どうしました、ミア?」ルクスが尋ねる。
「今……変なものが映った……」ミアは震える指で画面を指した。
しかし、そこには通常のロード画面しかない。
「気のせいでは?」ルクスは首を傾げる。
その時、ヘッドホンから、かすかな、しかしはっきりと聞き取れる「嗤い声」が聞こえてきた。
それは、人間の声とも、動物の声ともつかない、不気味で耳障りな音だった。
ミアは慌ててヘッドホンを外したが、その声はまだ耳の奥に残響していた。
その夜、髑髏原高校の旧校舎の一室で、人影が蠢いていた。
闇の中に浮かび上がるのは、校長先生と教頭先生の顔。
彼らの前には、古い石碑の拓本と、どこからか持ち出されたらしい錆びついた刀が置かれている。
「校長、本当にこれで…」教頭先生が不安げに尋ねる。
「これしか、この地の呪いを鎮める術はない。
転校生が来てから、さらに活発になっている。
早急に手を打たねば。」校長は、冷や汗を流しながら答えた。
彼らの顔には、焦りと恐怖の色が浮かんでいた。
一方、校庭の隅では、影山葵が不安げに夜空を見上げていた。
彼女の霊感が、まるで警鐘のように、不吉な異変を告げていた。
遠く、校門のそばでは、いつも通り用務員のおじいさんがぼんやりと校舎を眺めている。
「始まった……」
その呟きは、風に消えていった。
だが、その夜から、髑髏原高校を巡る幽霊騒ぎは、悪意に満ちた「嗤う影」の嘲笑にも似た声と共に、さらに深く、暗く、恐ろしい様相を呈していくことになるのだった。
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