産声をあげた雛
フリエ エンド
第一話 殻を破ったのは (1)
人は幸福に満ちた時、最も退屈する。自由を手にした時、戦いに勝利した時、勉強が報われた時、その一瞬の快楽の後、地獄のような退屈が待っている。何もしない気怠けで、時間だけを貪り尽くし、幸せという
講義の内容はいかにも退屈で、それでいて幸福でもない。逆説的に教授の考えから真っ向的に反対できそうなのだが、そんなこと考えるだけでも無駄だ。
強く締めすぎた炭酸飲料の蓋を開ける。気の抜けた音と共に、ぬるくて甘いだけとなったものを喉に無理やり入れて退屈を紛らわす。
前の教授はスクリーンに映る文字列を誰にいうわけでもなく繰り返している。高校とかの教室よりも少しばかり大きくなった講義室にははじめの授業には40人ほどいたはずが、もうすでにその半分ほどの人数まで減っている。かといって来ていても、パソコンで他の課題や、sns、漫画を読んでいたり、それにも飽きて寝ている生徒もいる。この授業は最後に出席のパスワードが表示されて授業のページに入力するのだが、友達がいればわざわざ来なくても家でパスワードを打てば出席だ。
大学3年目になると、そういうことがわかってくる。講義室の一番前に陣取るのは、真面目だとか、偉いとかそういうふうに言われるけど、内心「要領が悪い」って少し笑っている。ズルを叱ろうとすると、冗談も伝わらないイタい奴になる。
大学生を人生の夏休みなんて言うけど、実に的を得ている。誰も夏休みに怒られたくはないし、働きたくもないのだ。そこそこの大学に入って、今まで真面目に一番前に座ることもあったであろう姿も過去のもので、大学入学をゴールとして、きっと社会人をまた新しいスタート地点となる。
まあ僕もそれに対してずるいとか、怒りなんて微塵も湧かない。これが学生の生態であり、本分であり、等身大の姿なのだ。
僕自身周りに合わせることが上手い人間だし、すぐに適応をした。飲みの場では先輩に媚び諂い、誘いには足を運び、バイトは大学生の多いものを選び、命よりも大切なコミュニケーションネットワークを広げた。
ただその先にあったのは充実した大学生活なんかじゃなくて、孤独と虚無。同じ日々の繰り返し、淡々と、淡々と、永遠とも思える時間を、季節だけが流れていって、体の成長も何もなくて、ひたすらに自分の手から自分の部分が溢れている。大学生特有の、これも等身大のこと。切り取れば楽しいと思える瞬間も、たったその場面が面白かっただけの映画みたいになってしまう。
自分は俯瞰できていて、他の人とは違くて、なんて片手をポケットに入れてみても状況は変わらない。自分を特別だと思う人なんてそれこそ普通だ。
もう一度左手にペットボトルを持つ。”プシュ”なんて、軽快な音がすればこんな憂鬱な雰囲気を壊せるだろうか。ため息まじりに蓋を開けても、そんなことはなく、また気の抜けた音が僕の脳内にだけ響いた。いつまでこんなもんを残しているんだろうかと、そんな気持ちで残ったまずい液体を味わずに飲み干す。お酒で慣れているから、味がする前に飲むことなんて。でもやっぱり甘ったるいものが口を占領して、それを吐き出すように息を吐く。
不意に隣の席が揺れる。授業時間は30分を過ぎたところではあるものの遅刻なんてよくある事だから特段見ようともしない。長机の半分より少し出ていた筆箱を自分の方に寄せて、意識をまたスクリーンに移る。
開始の時はなんの内容を話すか聞いていたはずなのに、コールドスリープから目を覚ました人と同じ気持ちだ、置いてかれて、取り残されてる。
レジュメが示されたページをパソコンに表示させて、右側の大窓に目を向ける。4階から見る景色は東京という町がいかに小さいかを思い知らせ、そこに映る人間がさらに小さいことを教えてくれる。僕の実家はもっと西の方で、今は大学入学と合わせて一人暮らしをしているが、3年経ってもこの街を第二の故郷ということはできなさそうだ。嫌いじゃない。この一言に尽きる。実家の時よりも便利で、アクセスも良くて、なのに、住みにくい、息がしづらい。
退屈から救ってほしい。幸せになりたい。
自分が口にしたのかもわからないくらいの声が溢れていた。言ってみても現実が変わるとは思っていない。言おうとすらしていない、こぼれ落ちた重すぎる言葉だ。
「———じゃあ、変えてみれば」
今度ははっきりと自分では無いことが分かる。声の主は左隣から、僕は窓から目を離して振り返る。
艶やかな背中まである黒髪。大きな瞳に長めのまつ毛。爽やかさが感じられる白色の半袖のワンピース。どこかで見ただろうか。ここまで美形であったらたまたま目に入って覚えていたのだろうか。
口元には微かに笑みを浮かべ、白くて細い指が
目を奪われた、という表現があっているのか分からない。いきなり話しかけられて、心臓の鼓動を気にすることもできず、ただその大きな瞳を見つめるしかできなかった。
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