第3話【ルゥネのパンチは魔王印】3


 家の敷地内にある、木造の古びた小屋。

 普段は物置として使われているその小屋は、最近ではルゥネがなにか失敗してしまったときに引きこもる場所になっていた。


「……まだ、出てくる気配はないか」


 ハルトは物置の扉に手をかける前に、中の気配を感じ取ろうと耳を澄ました。

 すると聞こえるのは、鼻をすするような音で――


(あー、これは……)


 ハルトはミーレイに視線を向けると、彼女は小さく頷き、心配そうな表情を浮かべた。


「たぶん……泣いちゃってますね」


「だよな」


「はい。無意識にスキルを発動したようにも見えましたし、多分……その威力に驚いちゃったんだと思いますよ」


「まぁ、それについては俺も驚いたからな。めちゃくちゃぶっ飛んだし」


 そう言いながら、ハルトは脇腹をそっと撫でる。

 ミーレイのヒールのおかげで、痛みはすっかり消えていた。


 だが、痛みが消えても、その衝撃を記憶から消すことはできない。

 あの瞬間に感じた痛みも、派手に吹き飛ばされた感覚も……ハルトの脳は覚えていた。


 そしてそれは――ルゥネも同じだろう。

 意図せず放ってしまった想像を超える威力の一撃。


 それで、人が派手に吹き飛べば、嫌でも記憶に残る。

 たとえ回復のスペシャリストである聖女がいると分かっていたとしても、恐怖と戸惑いで頭がいっぱいになるのも無理はないだろう。


「あの子なりに、すごく真剣だったのだと思います。ハルトさんが”悪い子”にならないように……って」


 ミーレイはそう言うと、優しく笑う。

 対してハルトは肩をすくめた。


「焚きつけたのはミーレイだけどね」


「…………いつまで経っても野菜を食べようとしないハルトさんが悪いです」


 二人の間にバチっと火花が舞う。

 それは魔王討伐の旅の最中で、何度も繰り返されていた光景だった。

 

 もはや日常と言っても過言ではないやり取り。

 二人はお互いに顔を見合わせると、それがおかしくて、くすっと笑い合った。


「あとで謝ろうな」


「そうですね。私が原因でもありますし。でも……それはそれとして、ハルトさんはいい加減、野菜を食べて下さい」


「はいはい。それより――今はルゥネだ」


 ハルトはそう言うと、手を伸ばし、物置の扉をゆっくりと開ける。



 ぎぃ、という鈍い音がその場に響く。

 夕焼けの光が一本の筋となって差し込む中、ハルトはそっと物置に足を踏み入れた。


 すると――今では活躍の機会を失った武器や防具の影に、小さく縮こまっているルゥネの姿を見つける。


 黒いワンピースの裾をぎゅっと掴みながら、膝を抱えてうずくまるルゥネ。

 その肩はわずかに震えていた。


 ハルトがそっと歩み寄ろうとすると、気配に気付いたルゥネは顔を上げる。

 しかし、ハルトの姿を視界に捉えると、すぐに目を逸らした。


「……ごめんなさい」


 それは弱々しくも、どこか必死な声だった。


「ルゥネ……ハルトにパンチしちゃった……」


 ズビズビと鼻を鳴らし、膝に顔を埋めるルゥネ。

 それを見たミーレイは、そっとハルトの腕を掴み、小声で囁く。


「ここはハルトさん出番ですよ。もう”大丈夫”って、元気なところを見せないと!」


「そう……だよな」


 子供に慣れていないハルト。

 気合を入れるように大きく息を吸い、静かにルゥネに語りかけた。


「ルゥネ、俺はもう大丈夫だよ」


 ルゥネの小さな肩がぴくりと動く。


「さっきミーレイに回復してもらったから、全然痛くない」


「でも……ハルト……吹き飛んでた……」


 小さな声で呟くように言うルゥネ。

 ハルトは微笑む。

 そして――


「あー、それは――そうだな。吹き飛んだ。めちゃくちゃ吹き飛んだ」


 どこかおちゃらけた様子で、そう言った。


 背後から”パチン”と指を鳴らしたような、小気味良い音が響く。

 次の瞬間、地面に転がっていた小石が魔法の力でふわりと浮かぶと、ハルトの後頭部をめがけて飛んでいき――直撃。


 カコンッ! という鈍い音とともに、ハルトの体が前のめりに傾いた。


(――痛っ!? なに!?)


 思わず振り返るハルト。

 彼の視界に映ったのは、一見優しげでありながらも、どこか圧を感じさせる笑みを浮かべているミーレイの姿だった。


(ちょっと場の空気を良くしようとしただけなのに……)


 ハルトは後頭部をさすりながら、ミーレイに抗議の視線を向けた。

 すると――


 パチン。


 ミーレイは言葉を発することなく、指を鳴らす。


 飛んでくる小石。

 後頭部に続き、今度はハルトの頬を正確に捉えると、彼の顔はその衝撃でルゥネの方へと強制的に向けさせられた。


 背後から感じる強烈な圧。 


「……ルゥネ、大丈夫だ。俺はもう大丈夫だから」


 ハルトは必死にルゥネに元気になった姿を見せようと頑張る。

 そうしないと自分の身が危ないと……ハルトは直観的に理解していた。


「……ほんと?」


「ああ、本当だ! ミーレイにも回復してもらったし、そもそも俺、勇者だから普通の人より頑丈なんだよ」


「でも……」


「本当に大丈夫だよ。もう元気になったから」



 しばしの沈黙。

 ルゥネはグリグリとさらに顔を膝に埋めると、しゃくりあげるような声を漏らした。


「……ごめんなさい……っ」


 ハルトはその言葉を聞くと、ゆっくりと物置の奥へと歩み寄り、そっとルゥネの頭に手を置いた。


「大丈夫だから……だいじょうぶ」


 ポンポンと優しく撫でると、ルゥネは泣きながら、ぎゅっとハルトの腰に抱きついた。


「でも……これからは、すぐにパンチをするのはダメだからね?」


「……うん。パンチはダメめっ


「そう、パンチはダメ」


 言い聞かせるように優しい口調でそう言うハルト。

 何度もルゥネの頭を撫でた。

 それはもう撫で続けた。

 すると――


「ハルト、ごめんなさい……」


 溜め込んでいた感情が爆発してしまったのだろう。

 一旦は落ち着いたものの、我慢できずにグっと顔を歪ませると、何度も繰り返し謝るルゥネ。

 ハルトは――


(ど……どうしよう……)


 どうすればいいのか分からず、アワアワしていた。

 なんとも情けない勇者である。


「ルゥネちゃん、そろそろお家に戻りましょうか。もうすぐご飯の時間ですし」


 ハルトのテンパっている様子を見て、助け船を出すミーレイ。

 ルゥネは涙を拭うと、小さく頷いた。


「じゃあ、行くか」


「……うん。……うん!」


 ルゥネはゆっくりと立ち上がり、ハルトの手を握る。

 小さな手は少し震えていたが、確かに自分の足で立ち、前を向いていた。


 三人は夕焼けに染まる空の下、物置を後にして、家へと戻っていく。

 世界を救った英雄である”勇者”と”聖女”、そして――”魔王の娘”。


 その歩幅は、やがて一つになり、一列に並んだデコボコの三つの影が、オレンジ色に染まる地面に長く伸びていたのだった。

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