日出る国の女神

「まずはその体を返しなさい」

「…何者だ」

「さて、どう答えようかな」

「妾の愛しい人に抱かれて妾に物申すとは、何の権利があってそこにいやる」

「おや、そうきますか」


ちら、とアッシュを見れば射殺しそうな顔で睨んでいた。あ、これはダメだ。


「権利も何も、アッシュは僕のものです。人違いだと言っているでしょう」

「そんなはずはない!」


いいきられてしまった、困ったな。じゃあ別の方向から行きましょうか。


「貴女の愛とやらもその程度なのですか」

「…なに」

「愛していると、間違うはずがないと別の男に愛を囁いていると言っているのです。真実を知ったら二度とそんな言葉、吐けませんよ」


ぐっと一瞬言葉に詰まる。

確かに、おかしなところはあるのだ。この神気、間違いはないのにあの美しい蒼穹の瞳が、白銀の髪が異なる色に染まり気配は確かに亜人のものだった。


「彼はアッシュ・レイル・黒耀、空の国クウサイで産まれた月を追う狼マーナガルムです。闇ではなく光の僕の真実なら見えるでしょう、偽りなど言っていない。愛しい貴女の神は人に堕ちたのですか?」

「そんなわけはない!あの尊きひとは今もあぁして天にいる!」


「なら、答えは出てるじゃないですか」


はっと我に返る。

そうだ、愛しい太陽アルフは今も天で輝いている、この求愛を見られてしまっている。ではこの目の前の青年は何だというのだ。


「だけ、ど……」


恋い慕い過ぎて目の前の器を諦めきれないでいる。既に時遅く恋に落ちた目でアッシュを見ていた。あぁ、こっちもダメだなぁと呆れてため息をつく。


「あのかたは…妾には目もくれぬ…。忌々しい月に心奪われ、純潔すら守り続けて…妾ならばその寂しさも空虚も癒してさしあげようというのに…」

「別のオンナで本当に寂しさとやらは埋まるのか」


ゆるりと月姫ユーリィの顔をした女神がアッシュを見上げた。

ちょっとアッシュさん止まろうか。言いたいことは分かる。憤りも理解できる。黙っていられなかったのだろう、わかるが黙ってほしい。


「妾は、所詮別の魂…か」

「お前ならばその胸の穴は別の誰かで埋まるのか」

「あのかたは妾を見てはくださらぬ」

「アッシュ…、そろそろやめておいた方が」

「手に入らないものをいつまでも望んでどうなる。さっさとお前だけの何かを探すのだな」

「お前様なら…、妾を見てくれるか」

「……は…?」

「はぁ、もー…僕のものだと言ったのに」

「わっぱが黙りや。お前様、妾と高天原へと参ろうぞ。そなたを神に上げてたもろう」


ぎゅ、と胸元にアッシュの頭を抱きかかえながらため息をつく。ほら見ろ、君が自分に惚れさせてどうするのか。

一体目の前で何が起きているのか。2年ぶりに会えた姉が神の顔で人間に愛を囁いている。懇願している。シリサがどうしたらいいかわからず立ち尽くしているとアッシュが姉の伸ばした手を振り払った。


「断る」

「何故だ。お前様を神に、永遠の命と若さと愛をたもろうというのに…!」

「永遠の苦痛でしかないからだ」


ため息と共にアッシュの首に絡めた小さな腕に力を込める。やれやれまたか。


「馬鹿な…ッ」

「アッシュ…、我慢して」

「…もう切り捨てたら早くないか」

「ホントに、そういうとこはステラにそっくりなんですから」

「ダメよ!あれは姉さんなんだから」


そう言えばそうだった。それは確かにまずい。

ずっとずっとこの少女がいつかまた会える日を信じて守り続けた大切な姉なのだ。


「と、言うわけです。その体を返しなさいと言うのに」

「……そなたは…、何を持って妾に物申すのか」

「あー…、確かにこれは面倒だな…」

「いい加減…、業腹ぞ。そこからどきや」

「アッシュの腕から?」

「左様」

「ふふ、むしろ僕の方が離してもらえないんだけどな」

「戯けたことを」

「真実だが?」

「お前様…!」


シエルの小さな身体を抱き直して一歩下がる。怒りに任せてこの人間の体を切り捨てない為にも迂闊なことはさせられない。


「…だからさっさと立ち去りたかったんだ」

「これ、どうしたら収拾つくかなぁ」

「ねぇッ…姉さんはどうなるの」


めちゃくちゃだ。

さて、どれでおさめようか。


「力か、言葉か、真実の愛か」

「愛だろ」


ちゅ、と頬にわざとらしくくちづける。コラ。


「僕はもうめんどくさいから力がいい」

「珍しいな」

「おのれいい加減にしや!神の愛でもって人など簡単に妾の虜にできるものを、お前様の意思を尊重しておるというのじゃわきまえぬか」

「…だそうだ」

「他人の顔をして寝ぼけたことを、真実は醜い老婆かもしれないのに」

「そうだな、美しいと評判の女の体の中を借りて愛だなんだと言われるのはなかなか滑稽な話だな」

「皮を借りなければ神の愛とやらも囁やけないとは、冥府の黄泉醜女ですら醜くとも他人の美しさを借りたりしませんよ」


「眩き妾を愚弄するのか!」


天から雷のように落ちた光が女を包んだ。

ふ、と体から力が抜けたかと思うとつい一瞬前まで怒りの顔で叫んでいた少女がそのままかくんと崩れ落ちる。アッシュがとっさに空いた腕を背に回してその体を抱きとめた。


「なるほど、噂に違わぬ単純な女神ですねぇ」

「のんびりもしてられん、すぐに降りてくるだろ」

「その前にさっさと逃げましょうか」

「…え、えっ、えー!?いったい今何があったの!」


一人だけついてこれていないシリサが意識をなくした姉に走りより何でもない顔で話す二人に説明を求める。


「別に、簡単な話ですよ。月姫様の体から出て自分の体で来いよと挑発したら天に自分の体を取りに戻ったのでしょう」

「結局言葉か、お前らしい。だが面白いくらい扱いやすい女だな、ほら受け取れ」


呆気にとられているとひょいと意識をなくした姉の体を渡された、自分の体全部で受け止めて大切に抱きしめる。あぁ、大好きな姉だ。いきなりの展開に押し流されて感動も何もないがまさかこんな形で取り返せるなんて。


「運べますか、意識を失った人の体は君にはちょっと重いのでは」

「精霊に手伝ってもらうから大丈夫。君みたいな五大元素精霊ほどの力はないけど、私は一応山の精霊木霊達には好かれてんだ」

「だからこんな場所に隠れ住んでいるわけですね」

「うん、だから大丈夫だよ行って。あの女神様、戻ってくるんでしょ」

「多分ね、あんまり神と諍いは起こしたくないんだけどな」

「愛しい俺を守るためだぞ」

「仕方ないな」

「…どこまで真に受けて良いのかわかんない人たちだね」


苦笑とともに二人を急かす、いつあの女神が戻ってくるかわからない。姉を取り返してくれた恩人なのだ、逃がしてやりたい。


「これも縁だよ、また何処かであったらゆっくり話をしよう!気をつけて、ありがとう!」

「まぁ結果は良しです。二人のお姉様によろしく、慌ただしくてすみません、行きますね」


刹那の少女との邂逅ではあったが別れを告げてアッシュが小さな身体を抱きしめるとふわりと風がフードをはずす。黒い髪が風に揺れてゆっくりと白銀のへと染まっていくのが見えた。


「少し無理をしてでも飛ぶぞ」

「まぁ追いつかれるでしょうから目眩ましもいるかな」

「レン、いけるか」

「リリィ、薄膜フィルムをお願い」


透き通るような笑い声と共に可愛らしい二人の少女の精霊がふわりと姿を現しアッシュの首元へと優しく絡む。


「……ッ水ともう一人…風の…、精…霊……。あんたも精霊主エレメンタリーだったの…」

「あの方が君たちにも絡むといけない、そちらにも目眩ましはかけておくから」

「あ、ありがと」

「またな」


にこりともしなかった神のように美しい男がふわりと笑んだ。なるほど、女神様をも虜にするわけだ。幻のように薄く影のようににじんだかと思うとゆらりと二人の姿が掻き消えて。


「…あれは…、やばいなぁ…」


甘い毒薬のような男だと思った。疼く胸をなんとか宥めて、あんな恐ろしい幻に想いを渡すなど絶対あってはならないと言い聞かせる。

あんなのに恋をしたら、夢中になって恋い慕い過ぎてぼろぼろに身を滅ぼすだろう。人間などに手に負える男ではない。

長く傍になどいたら抗える自信などなかった。


「恩人だけど…、あれは女の敵だな」


うんうんと一人うなづきながら可愛い友達たちに助けを乞う。まずは姉を柔らかいベッドに寝かせてやろう。久しぶりに国が上の姉のために用意した麓の屋敷に降りたいが上の姉を待って、まずはこの喜びを噛み締めないと。ご飯も用意して、屋敷に戻ったら湯も支度して…、あぁ急に忙しくなった。喜びで心が急くなどいつぶりだろうか。

小さな少年と騎士に感謝と敬意を胸に大好きな姉を精霊たちと共に山の岩屋へと運ぶのだった。





❀❀❀






「何処まで飛べるか、まぁ昼の間は千里は無理だな」

「あまり人間達は巻き込みたくないんだけど」

「俺だって巻き込まれたクチだろう」

「たらしは黙って」


とん、と数十里飛んだ先で軽く振り返ると息をつく。目眩ましもあるから焦ることもないが、このまま何事もなく国を出られるとも思えなかった。腐ってもこの国の万能神にあたる女神だ。一筋縄ではいかないだろう。


「逃げ切れるのが一番理想的だけどな」

「大体彼奴が放置しないできっちり振っておけばこんなことにはなってないだろ」

「君を見つけたらどうせ遅かれ早かれこうなってた気はします」

「迷惑な」


陽が落ちるまでまだ三刻以上はかかるだろう。なかなか骨が折れる逃亡劇だ。


「もし…」

「ん…、僕達ですか」

「はい、そこな方…光を失った目で難儀をしております。近くにじょうは落ちてはおりませぬか」


突然かけられた声に視線を走らせると盲の男が座る三歩ほど先に捻れた杖が転がっていた。


「…落ちていますね」

「お手数てかずをかけますが、拾っていただくことは」

「えぇ、勿論お断り致します」


にっこりと微笑んでシエルが答えた。


「おや、これはお冷たい」

「何者ですか、気配もなく現れ目眩ましをかけた僕たちを何なく看破したのです。ただの人などと惚けるのは無理がありますよ」

「私に目眩ましなど関係ありませぬ、何せめしいなのですから」

「無理があると言ったでしょう。気配も何も、匂いすらないはずですよ」

「……ふふ…、ははははッ」

「君は誰」


すくと立ち上がると何の迷いもなく杖を拾い上げて瞼を持ち上げこちらを見る。いや、見えてはいるのかいないのか。長い白髪に白皙の美貌、赤い瞳は瞳孔がはっきりしないが確かにこちらを見据えていた。


「姉から逃げたいのだろう。手を貸そうか」




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