月の帷

「掃除!大変なんだけどー」


もー!と後の惨状を見たタキが叫ぶ。

平穏だった聖なる霊峰が今や血まみれの兵士を片付けた合戦あとのような有様だった。


「すみませんてば。綺麗にしますから怒らないで、ただ欠けた岩山は無理ですかねぇ…、ラインヴァルトなら元に戻せるかな」


きょろりと周りを見渡した後少し考える。


「…ステラか」

「うーん、どうしようかな。結局呼ぶことになるのかなぁ」

「対魔の結界を張るだけだろう、確かに奴の方が間違いないが…ルナヴェールでもよかろう」

「昼に加護が弱まるからなぁ」

「弱まったところで入ってはこれまい、ロックハートの結界もある。彼奴にも言っておくし昼よりは力の強まる夜が防げればいいだろ」

「それはそうか。そもそもアレと此処は相容れない」


決めた、とばかりにふっきるとリリィローズにこの惨状を浄化するように頼む。


「八雲、それを雲嶺から出して。ここへは立ち入れなくします、関係ないタキに悪さをされては困る」

「うむ、了解したぞ」


ひょいと足場から飛び降りると雲がぐるりと歪んで黒い龍が顔を出した。

じわりじわりと凍りつかせた獣が虚ろな瞳を閉じて眠っている。一つも細胞を残せないから細切れにした腕も戻して宙ぶらりんにくっつかないまま氷の中に閉じ込めた。

万が一にも自分に指一本でも触れて汚されてはそれこそアッシュが何をするかわからない。自分の周りに空間断絶魔法を展開させていたから投げつけられた腕は自分に届く前に空間の狭間に喰われて別の場所へと落ちたのだ。


「レン、それを八雲に乗せてくれる 八雲、これからここに帷をおろします。離れて、お使いして来てください」

『うむうむ。初めてのお使いじゃ』

「怒らないでくださいよ」

「……ふん、仕方ない」


ふわりと空気が揺れたかと思うと少年の身体がゆっくりと青年の姿に変わる。ふ、と微笑むと当然のように両手を広げるアッシュの腕に包まれた。


「僕の君…、僕の夢。帷をおろして…君の懐に…抱き締めてあげて…」


空へと両手を掲げ静かに息を吸うと小さく、囁くように歌を紡ぐと風を纏ったアッシュの髪が白く輝く。


「シ、シエル…、ちゃ」

『…あぁ…主よ…、まこと貴方は……麗しいな』


風に乗って雲嶺を包む。高く、深くそびえる霊峰に優しく月の光が降りて、広がり、溶けるように消えた。

夢のような歌が、風にのって誰かへと届く。それは唯一の彼女との会話なのだけれど。


「…あの女神ひとは、こんな頼みでも嬉しそうに聞いてくれるから…困るんですよね」

「さっさと攫ってやればいいのに」

「そんなわけにもいかないのでしょう」

「…俺にはわからん」


大切な腕の中の彼と同じ顔をした女が何処かで独りで泣いている。憐れだとは思うが自分には何の感情もない。

自分はそれを誰よりも愛しているおとこの一部だと言うのに不思議と全ての想いがこの腕の中の彼だけのものだった。

ただ、自分と同じものだと言うのに、愛している女を攫うこともできないだなんて 彼奴も存外憐れなのだなと思う。


『では行って参る』

「うん、お願い」


ぐるりと霊峰を一周すると雲を散らして八雲が空へと昇っていった。





「シエルちゃん、綺麗な歌声だね…」

「ふふ、ありがとう。僕は嬉しいですよ」

「……? へ…、どゆこと」


既に少年に戻ったシエルが、休憩用の長椅子に座ったアッシュの膝でにこりと笑った。


「僕の歌は、月を動かすから…」

「月…?」

「アッシュがいないと、歌えない」

「タキ、ここまでだ」

「あ…、そか。ごめんね」

「ふふ、いいえ」


ぶらりと足を揺らして空を見上げる。


「今日は本当に、いい天気」


どこか悲しそうにも見えるのに、さらりと吹っ切れている微笑みを浮かべて今にも歌いそうなシエルが子供のように言うのだった。






❀❀❀






「戻ったぞ、主殿」

「おかえり、ちゃんと置いてきましたか」

「うむ。一番高い頂に据えてやったわ」

「ありがとう、多分数年は溶けることはないでしょう。その間に忘れないかな」

「無理言うな」


ダメか、と笑う。

ついでのようにちょいちょいと帰ったばかりの八雲に手を招くと大喜びで駆け寄ってきた。


「ふふ、いい子ですね。ちょっと今回の事で反省しました。やはり感情の抑制は生き物を殺すということがよくわかりましたよ」

「む、主 いかが致した」

「ごめんね」


こしょ、と喉元をくすぐるように撫でてやると気持ちよさげに目を細める、八雲の喉を貫く杭にパキリとヒビが入った。


「な、何をする は、外すのか」

「こら、大人しくしなさい ご褒美です」

「イヤじゃイヤじゃ!」

「いい子にして」


パキンっと澄んだ音と共に杭は光の粒子になって砕けて散った。


「あ、ぁぁあ…、ぁ…あるじ…、わしはそのままでよかったと言うに。そなたの御手を離されたようで…、褒美どころか仕置のようじゃ…」


ぐしぐしと大きな体を丸めて拗ねる八雲に苦笑して、こしょりともうひと撫でする。


「ご褒美だって言ったでしょう。いい子にしてたら時々遊んであげます」


ふわりと杭とともに逆鱗の穴も消えた首筋に鮮やかな深紅の組紐に月色の石の飾りのついた首輪がはめられる。


「ふほぁッ!」

「あはははははッ!すげぇ、そんな声出すやつ初めて見た」

「あ、あるじ!あるじ!こ、これは!」

「首輪が欲しいんでしょう?仕方のない蛇です。悪さをしたら取り上げますよ」

「ふぁぁあッ!」

「……ほんとに犬みたいな蛇だな」


呆れたようにアッシュがシエルを膝に抱いて苦笑した。大喜びで転げ回る八雲と腹を抱えて笑うタキに仕方ない、と息をつく。


最初は恐怖で支配した。

既に今は必要ないのだ。


首を飛ばすと言われて付けられたものを今では外したくないと泣いて乞うほどに。


「大切にするぞ!大切にするとも!生涯つけていられるようにそなたのいいつけは全て守るぞ」

「ふふ、いい子は好きですよ」

「はぁぁぁぁあふぁあぁぁ…ッ!」

「シエル、サービスし過ぎだ」

「…あぁ、至福よ。吉兆を与える身であると言うに、なんと言う幸福か。生涯そなたに仕えよう 望外の悦びじゃ…。いつでも呼んでくれ、疾く参じよう」

「おまえ…、もう飼い主いるでしょう…。大体アッシュ以外を飼う気はないと言っているのに」

「…まだ俺は飼われる身なのか」

「あはははははははははッ」


タキの腹が限界だった。






❀❀❀






「さて、では御暇しますか」

「邪魔したな」

「ううん、楽しかったし嬉しかったよ。また寄ってよ」

「ありがとう、ベルとは仲良くしてやってください。可愛い妹です」

「りょー、かい。任されたよー」

「わしはさみしい…」


笑顔でまたの約束の中、ひとりだけキュンキュン鳴く犬が居たがまぁこれは置いていく。何度も言うが此奴には飼い主が別に居るのだ。


「お役目もちゃんと済んだのだし、大人しく小屋へ帰りなさい いい子でね」

「……うむ…、またまみえようぞ」

「此処に来たらまた声をかけましょう」

「誠か!誠であるな、待っておる!」

「……おまえ、本当に図々しくなったな」

「すまぬな愛人あいれん殿!だが容赦してくれ、後生よ!」

「……シエルが許すなら、仕方ない」


渋々ため息をついてシエルを抱き上げた。可愛らしい日除けの帽子をかぶり直す。


「じゃあまたね」

「また来る」

「君らなら大丈夫なんだろうけど、気をつけてなー今度は土産よろしくー」

「この数日、夢のような刻であったぞ。気をつけてゆけ」


アッシュの肩口からひらひらと可愛らしく手を振る子供を、もう可愛らしいなどとは言えなくなった二人が見送った。ひょい、と足場から飛び降りて二人の姿が呆気なく消えた。


「………番人よ」

「なんだよ」

「わしはさみしい……」

「もぉー…泣くなよでっかい図体してさぁ!」

「うぅ、此処には遊びに来てもよいか」

「わぁー鬱陶しぃー」

「そなたまでそのような…」

「ははッ…、冗談。俺もさ、ずっと一人だったのに、平気だったのにさ。ちょっと淋しくなっちゃったよ」

「…左様か」

「来てもいいよ、なんか土産持ってこいよな」

「うむ、了解したぞ。あの精灵じんりんを連れたびいどろとの仲も任せておけ」

「…へ、……は、な、何言ってんのさ」


突然のにとっさにいつもの顔が作れなくなって焦る。


「ん、なんだ。一目惚れだろう、見送る姿を実は見ておった。頑張れよ」

「な、何言ってんのさー!」


今日も霊峰はのどかでいい天気だった。






❀❀❀






とん、とんと階段を降りるように険しい岩肌をシエルを抱えたまま降りてゆく。時折落ちているだけにも見えるがシエルに負担がないようにか丁寧に降りていた。


「ねぇ黒」

「…ん」

「セリスが笑ってたんですよ」

「へぇ、珍しいな」

「なんでか聞きたい…?」


久しぶりに二人きりになって二人だけの話を始める。と、とん。とまだ中腹にもたどり着いていない小さな足場で足を止めた。


「待て、いい。嫌な予感しかしない」

「君もアルフから聞いたの」

「あれは嘘だろう」

「……とうとうステラが、キース様を落としたそうですよ」

「やめろ。聞きたくない」


心底嫌そうに空を仰ぎ見た。

アッシュにはそれこそ、青天の霹靂なのだ。いったい何の冗談なのだろうとずっと心に留め置いていたがとうとうシエルにも話が届いたのか。


「いつから知ってたの」

「……ここに来た時にはもう…、手を出してたとかなんとか…。宰相が気の毒でならん」

「ずっと…、彼が少年の頃から狙ってましたからね…、本人全く自覚してませんでしたけど」

「宰相が平和に生涯を終えるまで気づかないでいてやってほしかった」


それは本心だった。

彼奴まで、狂うことはないのだ。

光と闇を、誰よりも近くで見てきただろうに。あんな風に…永劫ずっと、苦しむ事はないのに。


「君は……、ホントにステラが好きですね」

「大嫌いに決まっているだろう」

「ふふ、お兄さんにお祝いくらい言ってあげたらいいのに」

「やめろ、気色の悪い」

「そういうとこ、そっくりですよ」


だが、同時に 彼奴もこの幸福も手に入れたのか、と思う。

腕の中の小さな胸に顔を埋めると笑ってシエルが髪を撫でて抱きしめてくれた。


「…宰相は苦労するな…、まさか本当に人間を伴侶にするとは」


あの黒い男は常に冷静で、感情も何もかもを胸の中に凍てつかせて忘れているようだった。

微笑むことすら擬態だったと言うのに。

この身体になって、あの二人に拾われてから本当に地獄のような日々だった。毎日のように喧嘩をして、いつかあの顔をめちゃくちゃに泣かしてやると思っていたのに、欠片もそんな姿が想像できなかった。


「…いつかあの野郎の泣き顔が見られるのかもしれんな」

「おや、違う方向に希望を見出しましたか」

「いつか泣かしてやると、ずっと…思っていたんだ。…ずっと」




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