sideroad✦ステラ

「またですか」

「うるさい」

「今生のあの方はどうにも退屈に耐えられないようですねぇ」


ふわりと温まったポットを手のひらの上に引き寄せるとそのまま宙で傾ける。とぽとぽと小さな音を立ててティカップに注がれる琥珀の液体は完璧だ。


「そうして毎度泣いているのを見るのは非常に鬱陶しいので早めに立ち直っていただけませんかね」

「お前はほんとうに…、なんでもう少し優しく出来ねぇの」

「気持ち悪」

「オイコラ」


この男はアインだけのステラだ。

小さく儚い光なのに、セリスと違い自ら輝ける夜の光だ。

強く、美しく、そして従順な執事。


ある闇の日に生まれた。


セリスもでない真っ暗な闇の日に、何もない深淵の闇の中、不意に流したアインの泪から生まれた。


「まぁ、7700年もご苦労な事だと思うがな」

「地上に降りてからは意外と退屈せず過ごしておりますよ」

「…別に、空の父の元へ戻っても構わんぞ」

「ご冗談を、今は貴方達欠片を代々お守りするのがお役目ですので」

「…ふん」


人としての爵位はない。人間の為にその力の欠片すらも裂く気はないし、想いの一欠片も向けるつもりもないから。

それで言えば人間の区別で言えば『平民』という事になるのだろう。人の身体を得てから7700年、永い、永い時間を欠片にだけ静かに仕えてきた。何も持たないアインだけに。


「で?何で泣かされたんですか」

「言い方なんとかならねぇのか」

「一昨日こっそり出掛けてましたよねぇ」

「…バレてねぇとは思ってなかったけどな…、おまえの鼻はどうなってんだ」

「貴方にだけです」

「……、逃げられた」

「成る程。今度は焦らしに来ましたか」


飽きませんねぇ、と笑いながら淹れた紅茶を差し出す。この子達は日々お互いだけを想って睦み合う。まみえもしない、触れ合いもできない、ひたすら想いあうしかできない神達の為に。…その代わりに。

それが存在理由だと言うかのように。


わたくしがちょっと行って仕返しして参りましょう」

「絶対やめろ」

「つまらない」


実のところ報復など簡単なのだ。

貴方ベリルをちょっとだけ隠してしまえばいい。それだけで彼は簡単に狂うだろう。


「ではおやすみなさいませ、淋しい夜は温かくして。チョコレイトでも淹れますよ」

「…そーする」




❀❀❀





ベソをかいた主は本当に愛らしい。そういう意味では今世の光の王クロードはなかなかわたくし好みでよろしいのですが。


は、どうにも面白くないのですよねぇ」


ひとりごちながら薄暗い神殿の通路を歩く。

神聖な光の宮、アインは立ち入る事もできない光溢れる彼の居住。主のいくつかある制約の一つだ。生誕祭にはどうしても会いたいと道を開いてもらっていたようだが。


「どうか」

「……、おや…噂をすれば。美しい夜に、コンバンワ」

「どうか静かに立ち去られますよう」

「キース…」


気に入らない。


「王の御庭でございます、どうか」

「主がクロード様のお顔も見れずご心配されておりましてね、ご挨拶がてらと思いましたが」

「お休みのお時間でございますので」

「先日はお元気にお出掛けだったのでは?」

「……お赦しを」

「ちょっと悪戯だけして帰るつもりだったんですけどねぇ」

「わたくしでは貴方様をお止めする力はございません。ただお願いするだけでございます」

「…おまえは、いつもそうだな」


何かが頭の中の深いところに触れた。

自分でもわからない。

この男を見ているといつも苛ついて仕方が無い。





「食べる?…、違うの、ふふ」

『精霊…、花か。あぁ、確か光の家臣に居たな』

「そろそろ帰ります、いい子でね」

『まだ15.6程度の子供か。世界樹ユグドラシルに立ち入る人間が居るとは思わなかったな。まぁリーフ家の子息ならここと相性はいいか』


優しげな少年が世界樹ユグドラシルの根元で花の精霊達と遊んでいた。

時々昼寝をしに枝葉を借りに来る。

神の匂いに包まれ、人の気配のないこの場所は自分には心地よい。邪魔をしないのならそれでいい。



「婚姻が決まりましたよ、君達とあまり遊べなくなってしまうかも ごめんね、時間を作って会いに来ますから」


「私に子供が出来たんです、お祝いして下さい、ふふ…ありがとう」


「男の子が産まれました、…代わりに……、慰めてくださるのですか。すみません、少しだけ…今だけです」


「ソレルが3歳になりました。…もう伴侶は考えていません、貴方達が居てくれますから大丈夫ですよ…ふふ、今度連れてきたら遊んであげて下さい」



弱い人間が日に日に育って、営んで、生きている。子を成して老いて、朽ちて…。





宙に手をかざし、ふわりと現れたナイフをくるりと指に纏わせたかと思えば瞬間逆手に持ったで骨ごと砕き、右肩を力任せにその細身の身体を壁に縫い付けた。


「―――――――――――ッぁぁあ、……ッぁ…、ッ」


ぐり と抉るとゴキリと骨が外れた音がして、目の前のいつもは優しげな男の顔が歪む。必死で声を抑えて薄く涙を散らす様が、嗜虐心をそそって仕方がない。崩れ落ちそうになりながらも縫い付けられた肩がそれを許さなかった。

ぼたぼたと鮮血が散り、壁と床を汚して流れ落ちる。


わたくしを止められないなら、されるなりしかありませんねぇ」

「……、ッぁ、ステ、…ラさ」

「直ぐに壊れて、俺の前から消えるクセに」


「…ステラ」


静かな神殿にけして大きくはないのに絶対的な質量を持った声が響き、何かが黒い身体を無造作に柱へと叩きつけた。


「…ッ、おや、クロード様…、主からはお顔も拝見出来なかったとお聞きしましてお身体を心配しておりました」

「ステラ・ラグナ・バァンズ、やり過ぎだよ。この子は私の大事な子飼いだ、優しくしてくれないか」

「こんな夜更けにお会いするとは思わず、ご挨拶に興が乗りすぎました。御容赦を…」

「…ぁ、クロ …ドさ ま…」

「ごめんね 大丈夫だよ、お眠り」


軽く手を翳すと壁に縫い付けていたナイフは光になって消え、ふらりとクロードの胸元に倒れ込む。優しく抱え込んだ頭をサラリと撫でて紅い血の流れ続ける肩口へ唇を寄せれば、優しい光が包み白い肩が何事も無かったかのように綺麗に傷口が戻った。


「…神の奇跡ブレスか…、チッ…また主が泣くじゃありませんか…」

「今回は君が代わりに叱られなさい、それが罰だよ」

「……謹んで」


くったりと意識を無くし光の王クロードの腕に抱き上げられたキースをちらりと一瞥すれば胸に湧く不可解な煩わしさ。チクリと痛いような、ざわりと髪が逆立つような、酷く不愉快な気持ちだった。


消えた気配にため息を付いて、クロードは夜の空を見上げた。


「あれは、時間がかかりますねぇ」




「………で、ステラ…何して来てんだテメェ」

「ちょっと悪戯をしに。申し訳ございません、失敗致しました」

「そこじゃねぇ」

「チッどうせ見てたんだろ」

「オイコラてめぇ開き直んな」


帰るなり仁王立ちの主人に見つかり即座に殊勝な態度を作ったが即バレた。


「…申し訳ございません、冷静さを欠きました」

「何でクロードが神の奇跡ブレスとか使ってんだ…、俺に殺されてぇのか」

「この身体を殺したところで天に戻るだけですが」

「俺の気はすむだろうが」

「…お赦しを」

「チッ…原因がお前で、相手がキースとか八つ当たりも出来やしねぇ…」


別にすぐに朽ちる人間の身体に未練など無い。人間は100年も経てば 死んで、朽ちて、地に還り、ニ度と おまえに、会う事も…


…誰の事だ ?


何かがよぎる。


「……?」

「お前は…どんだけ鈍いんだ」

「何の事ですか」

「まぁ、1年2年なんてお前には一瞬だしな…、時間だけが過ぎる焦りがそうさせてんだろ。何でそんなに気に入ったんだか」

「何の話かわかりませんが」

「……まぁ、わかるまで悩んだらいいんじゃねぇか。今日は俺も腹たててるし教えてやらねぇ」

「…わたくしに悩みなどございません」


何を言っているのだ主は。




❀❀❀




チチ、と可愛らしい小鳥の声と葉ずれの音、サワサワと風が渡り頬を撫でる。昨日の夜から釈然としない気持ちによく眠れない。昼寝でもと思ったがこの場所でも眠れないのはどうしたものか。

ぼんやり木もれ陽を眺めていると、足元の方で花たちがさわめきだす。小さな足音と共に優しげな声。


「…どうしたんです?あぁ、…夜の騒ぎを聞いたんですね。大丈夫ですよ。ん…」


いつもより騒ぐ花の精霊達に首を傾げながらも木の根に座る。これは…、追い返したいのだろうか。今まで自分を拒否することなど無かった子達なのに。


「みんな…落ち着きませんね、一体なにが…?」

「俺がいるからだろう」

「…ッ、これは ステラ様、気が付きませんで…お邪魔致しましたか」

「別に」


チラ、と視線をやる。昨日の傷は見たところ跡形もない。光の王クロードの神の祝福をうけて傷一つ残っているわけはないのだが。ゆるりと身を起こし枝葉から見下ろすが逃げる様子もない。


「…ッ」

「逃げなくていいのか」


とん、と次の瞬間目の前に立ち首を傾げた。恐れないのか、精霊達に懐かれただけのただの人間が。


「…貴方の前では何をするも無駄でしょう」


薄く微笑む初めて見た時よりも少し大人びた青年に、ゆっくりと手を伸ばして首筋を抱え込む。軽く頭を傾けさせると少し覗き込むようにして昨晩砕いた肩口を見た。


「…痛むか」

「いえ、今はもう…… …ん…ッ」


チクリと痛みが走り、そこを噛まれたのがわかった。痛みはないはずなのに昨日の記憶が肩口に小さな震えを起こした。せっかく傷一つ残さず治して貰ったというのに。

ちゅ、と小さなリップ音が聞こえてそこに口づけられたのに気づいて初めて狼狽えた。


「人間は、何でこうも脆いんだ…」

「ステラ様…、なに…」

「キース」

「…はい」

「……?…、少し気がすんだ 何故だ」

「…え、…と よかった…です?」




「…うーん、私の遣いにしてしまいましょうか」

「本気で言ってるなおまえ」

「勝手にやるとさすがにキースの尊厳というものを無視してしまうので、彼がいいと言ったらですが」

「まぁ、そっちはステラの事なんざなんとも思ってねぇだろうしな」

「じゃあ頑張って落として下さい」

「人間は性別とかあんじゃねぇの」

「ステラが女になればいいでしょう」

「あぁ、それもそうか」

「どうせ天使にもそんなものありませんが」


昨晩のステラのお陰で降って湧いたなんとやら。逢瀬の機会を得てベリルの機嫌はいい。

二人が数少ない制約なく触れ合える場所がこの世界樹ユグドラシルだ。ただ二人が生まれて死ぬ場所でもある。死ぬと言っても人にあわせて身体を取り替えているだけで、記憶もそのままに生まれ変わるのだが、普段は軽々しく誰も近づけるようなところではない。まさかステラがこうも気安く昼寝に来ているとは思わなかった。神の気配が強くステラの気配もかき消されるからだろう。


話があるかと約束もなくやって来たらなかなかお目にかかれない場面に出くわしたのだ。


「あれでも、可愛い俺の子なんだ」

「おや、私と居るのにあの子ステラの話ばかりですねぇ」

「……逃げたくせに、おまえは」

「これでも、悋気を抱くくらいには貴方を想っているのに」

「…知ってる」


首を傾げて不思議そうな顔で目の前の髪を撫でるステラを見下ろしながら、久しぶりの逢瀬を過ごす。


「全力で首傾げてんの面白すぎだろ」

「そんなところは似なくてもよかったのに」

「誰の話だ」

「さて」


退屈も減れば、もっと楽しくなるだろうか。



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