第24話 恋敵

 朝になり、私はベッドから体を起こした。


 ――一睡もできなかった。


 欠伸をかみ殺しながら、ベッドを降りてテラスへ出る。


 朝日に染まる空を見上げ、眩しさに目を細めた。


 ふと、また『風の手紙』が私の目に入る。


『おはようカミーユ。今日も良い日を』


「……まさか、毎朝手紙を送ってくれてたの?」


 風の手紙を抱きしめると、柑橘系の香りが鼻をくすぐる。


 ふわりと掻き消える風の手紙が、惜しい気がして必死に手を伸ばす。


「……あーあ、消えちゃった」


 辺りに残る香りを、胸いっぱいに吸い込んだ。


 体の奥から沸き起こる力に、自分自身でも驚いていた。


「なんだか分からないけど……今日も頑張るぞー!」


 私は一声上げると、軽く体をほぐしてから部屋の中に戻った。





****


 ニコニコと朝食を食べる私に、ハリエットが小首を傾げて尋ねる。


「姫様? どうなされたのですか?」


「んー? どうもしないよ?」


 ハリエットの両手が、私の頬を撫でる。


「……寝不足のご様子なのに、肌に張りがありますね」


「そう? 昨日、美味しい食事をみんなで食べたからかな?」


 ヴァンサンがニヤリと微笑んで私に告げる。


「本当に昨日は、何もなかったんですか?」


 私はヴァンサンから目を逸らしながら頷いた。


「何もなかったわよ? ヴァンサンもしつこいわね」


 心配顔のハリエットがヴァンサンに尋ねる。


「貴方は何か、心当たりがおありですか?」


 ヴァンサンがニヤニヤと私を見ながら、顎に手を当てた。


「いーえ、全く、なんにも分かりません」


 私はきょとんとしながら、ヴァンサンの顔を見つめた。





****


 朝食が終わったころ、ドアがノックされて召し使いの女性が告げる。


「皇帝陛下がお見えになられました」


 おっと、毎朝のお務めだ!


 私は椅子から立ち上がると、元気に告げる。


「それじゃ、散歩に行ってくるわね!」


 私は軽い足取りで部屋を出ると、リズミカルに階段を降りていった。



 玄関で待つジルベール陛下が私を見て目を丸くした。


「なんだ? どうしてそう上機嫌なんだ?」


 私は小首を傾げながら答える。


「んー? なんでかな? 自分でも分からないの」


 ジルベール陛下が、不安気に私に尋ねる。


「どこか、怪我でもしていなかったか」


「してないわよ? 急にどうしたの?」


 ジルベール陛下が不意に目を逸らしながら答える。


「いや、なんでもない――それより、歩こうか」


 私に背を向けて歩くジルベール陛下の後ろを、私は鼻歌を歌いながら付いて行った。





****


 ゆっくりと離宮の周りを歩きながら、ジルベール陛下が告げる。


「今日のカミーユは、何かが違うな」


「そう? 何が違うのかしら?」


 ニコニコとジルベール陛下を見つめると、彼は真剣な目で私を見つめた。


「まるでレアンドラたちの目を見ているかのようだ。

 まさか、好きな男でもできたのか」


 少し責めるような声に、私は肩をすくめた。


「まさか! 私は恋愛なんて知らないわ。

 第一、男性との出会いもないのよ?」


 ジルベール陛下が私の目を見つめて尋ねる。


「それは本当だろうな?」


 う、なんか後ろめたいことをしてる気がする……。


 私はため息をついて、ジルベール陛下に答える。


「これはヴァンサンたちには言わないって約束してくれる?

 それと、ヴァンサンを責めないでほしいの」


「それは……内容次第だな」


 私はジルベール陛下から顔を背けて答える。


「約束できないなら、教えてあげない」


 ジルベール陛下がため息をついて告げる。


「わかった。責めない。責任を問わん。それでいいか」


 私がジルベール陛下に視線を戻すと、彼が嬉しそうに頬を緩めた。


 ……なんだか、犬を飼ってるみたいだな?


「じゃあ教えてあげる。昨晩、刺客に襲われたわ。

 なんとか逃げ回ってたら、助けてくれた人がいたの。

 名前も教えてくれなかったから、誰かは分からないけど」


 ジルベール陛下が目を見開いて私を見つめていた。


「……襲われたのか?」


「でも、怪我はしなかったわ。その人のおかげでね」


 ジルベール陛下が視線を泳がせながら私に尋ねる。


「それで、その男はどんな奴だ」


 私は顎に指を当てながら、ジルベール陛下に答える。


「背丈は、ジルベール陛下と同じくらいね。

 涼やかな目元だけが見えていて、顔は隠していたの。

 でも宮廷に関係する人間なのは間違いないわ」


「そうか……カミーユはそいつを、どう思ってるんだ?」


「どうって? どういう意味かしら」


 私が小首を傾げて見つめていると、ジルベール陛下が言い辛そうに告げる。


「その……また会いたいとか、話をしてみたいとか」


 あー、気にしてるのか。私は一応、ジルベール陛下の妻だしな。


 私はニコリと微笑んで答える。


「安心して。私は皇帝の妻。その自覚を忘れたことはないわ。

 あの人には、もう一度会ってお礼を言いたい。

 できれば、名前も聞きたいわね」


 微笑む私の顔を、ジルベール陛下が覗き込んでくる。


「……その男に、また会えるとしたらなんて言いたい?」


 どうしたんだろ? なんでこだわるの?


「そうね! 『今度、きちんとお茶でも飲みましょう』って言いたいかしら。

 私に元気を分けてくれる人だもの。ゆっくりと語らってみたいわ」


 ジルベール陛下が寂しそうな目で呟く。


「そうか……お前は――いや、なんでもない」


 私は眉をひそめてジルベール陛下を見つめた。


「何が言いたいの? ハッキリ言ってよ?」


「いいんだ。これは俺の問題だ」


 それっきり、ジルベール陛下は黙り込んでしまった。


 別れ際も、私を見つめるだけで去っていってしまった。


 ……いつもの『英気を受け取った』とかは、ないの?


「変なジルベール陛下ね」


 私は呟くと、衛兵に挨拶をしながら離宮へと戻った。





****


 執務室で仕事をするジルベールに、ジョアンが眉をひそめて尋ねる。


「昨晩、お忍びで出かけたと聞きました。どこへ行かれたんですか?」


 ジルベールが小さく息をつき、走らせていたペンを止めた。


「カミーユが心配でな。少し様子を見に行っていた。

 おそらく帰りが遅くなるだろうと思ってな」


 呆れた顔のジョアンがジルベールに告げる。


「ヴァンサンという監視の騎士が付いてます。陛下がそこまでする必要ありませんよ」


 ジルベールが小さく息をついて答える。


「それがな、危機一髪でカミーユを助けられた。

 ヴァンサンは出し抜かれたんだろうな。

 今後は護衛の騎士を二名増やしておけ」


 ジョアンが唖然としながらジルベールに尋ねる。


「まさか、侍姫じきのカミーユ殿下が命を狙われたんですか?!」


 ジルベールが頷いて答える。


「あの剣筋は宮廷騎士だろう。ロザーラが昨日、貧民区へ行っていたはずだ。

 となれば、彼女の傍にいる騎士が怪しい」


 ジョアンが顎に手を当てて考えていた。


「……しかし、証拠はあるんですか?」


「ない。だから罰しはしない。だが尻尾を捕まえ、ロザーラを追放する」


「確信があると?」


「ある。あの場に居られる宮廷騎士など、他にいない」


 ジョアンがため息をついて告げる。


「それは了解しました。しかし、なぜ朝から元気がないのですか?

 いつも朝は、カミーユ殿下から英気を分けてもらっているのでは?」


 ジルベールが遠くを見つめながら呟く。


「……自分が恋敵になる場合、どう対処したらいいのだろうな」


 ジョアンが眉をひそめてジルベールに尋ねる。


「意味が分かりませんが。なにを仰りたいのです?」


 ジルベールが首を軽く振ってから、再びペンを走らせる。


「なんでもない。俺の問題だ」


 ――彼女を振り向かせるのは俺だ。それは決して、姿を隠した俺ではない。


 それは固い決意。


 皇帝として彼女を振り向かせなければ、意味がないのだ。


 ジョアンが困惑しながらジルベールに告げる。


「お心の問題であれば、口出しはできませんが……。

 しかし、拗らせないでくださいよ?」


「問題ない。気にするな」


 ジルベールは悩みを忘れる為に、一心にペンを走らせ続けた。





****


 私は早起きをすると、急いでテラスに飛び出た。


 朝日が眩しい空を見つめ、今か今かと待ち焦がれる。


 ――来た!


 私の目の前に、『風の手紙』が現れる。


『おはようカミーユ。今日も健やかに』


 私は微笑んで風に答える。


「おはよう、ケープの人。貴方も健やかに」


 風の手紙が掻き消え、辺りに柑橘系の香りだけが漂う。


 ――ふと、かすかにジャスミンの香りをかいだ気がした。


「この香り、ジルベール陛下と同じ?

 ……気のせいか! ジルベール陛下はあの場所に来るわけないし!」


 私は朝日に伸びをして、今日も体から力をみなぎらせる。


「やるぞー!」


 私の声は、朝の空に吸い込まれていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

帝都風流伝~風読み姫と冷徹皇帝~ みつまめ つぼみ @mitsumame_tsubomi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画