第23話 意外な弱点

 廃教会の薄暗がりの中、私は辺りを見回してみた――誰も居ない?


 小首を傾げる私に、木陰から声がかけられる。


「カミーユ殿下、こちらです」


 ん? なんで隠れてるの?


 振り返って木陰に近寄ると、突然木陰から黒服の男性が飛び出してきた。


 彼が振り下ろす長い物を、必死に横に飛んでかわす――キラリと輝くそれは、私の横をかすめていった。


 ――長剣ロング・ソード?! まさか、命を狙ってるの?!


 続けざまに繰り出される長剣ロング・ソードを、私はバックステップでかわしていく。


 すぐにヴァンサンを呼ぼうとして、口を開けて気が付いた。


 ――声が出せない?!


 混乱する私に、さらに長剣ロング・ソードが遅いかかってくる。


 それでも何とか身を翻し、スカートが切り裂かれる感触に背筋を凍らせた。


 震える足で必死に駆けだそうとすると、廃教会の左右から別の男性たちが逃げ道を塞ぐ。


 彼らも長剣ロング・ソードを抜き、私に向かって構える。


 背後からの殺気を感じ、慌てて廃教会の壁に向かい飛び込んだ。


 壁に激突しながら、私は振り返って黒服の男性を見る。


 男性たちは顔を布で隠しているので、正体は分からない。


 でもこれは、訓練された動きだ。


 ――誰なの?!


 叫んでみるけど、声が出せない。震える足は頼りなくて、今にも転びそうだ。


 心臓が煩いほどに胸を叩く。


 黒服のの男性が長剣ロング・ソードを振りかぶり、私目掛けて鋭く振り下ろす――逃げられない?!


 思わず目をつぶった私の耳に、甲高い金属音が鳴り響いた。


 同時にどさりと誰かが倒れる音がして、思わず目を開ける。


 目の前には、白っぽいケープを羽織った男性が長剣ロング・ソードで相手の長剣ロング・ソードを受け止めていた。


 襲ってきた黒服の男性が静かに告げる。


「何者だ」


 ケープの男性は黙って長剣ロング・ソードを振るっていく。


 防戦一方になった黒服の男性は、長剣ロング・ソードを弾き飛ばされ、ケープの男性から飛び退いた。


「――引くぞ」


 黒服の男性が長剣ロング・ソードを素早く拾い上げ、倒れ込んでいる男性を二人がかりで肩を担いでいく。


 私たちの前を駆け抜けていった黒服の男性を見送ると、私はへなへなとその場にくずおれてしまった。


「た、助かった……」


 なんとか、か細い震える声で私は呟いた。


 白いケープの男性が私に振り返り、そっと手を差し伸べてくる。


 彼も顔を布で隠していて、涼やかな目しか見えない。


 ふわりと香ってくる柑橘系の香りに、私の心臓が飛び跳ねた。


 私はおずおずと彼に告げる。


「ありがとう。助かったわ」


 まだ声が震える自分に、思わず赤面した。


 彼の手を取って立ち上がると、彼の手が宙に何かを書いていく。


『今日の恐怖を、すぐに忘れられますように』


 ――これって、いつも見ていた『風の手紙』?!


「貴方が私に言葉を贈ってくれていたの?!

 じゃあ、貴方は宮廷の貴族?!」


 男性がハッとしたように動きを止める――突如、彼の手元から突風が辺りに吹き荒れた。


 砂が目に入り、思わず目をつぶる。


 ――今のは、魔術?! 何かの魔術で、風に言葉を乗せていたの?!


 目をこすってようやく目を開けると、もう目の前に男性は居なかった。


 わずかに残る柑橘系の残り香を、私は胸いっぱいに吸い込んで確認する。


 これはいつも風に乗ってくる香りと同じ。


 そっか、助けてくれたんだ。


 バタバタと音が聞こえ、そちらに目を向ける――ヴァンサンが辺りを見回しながら声を上げる。


「殿下! どちらにおわしますか!」


「ここよ、ヴァンサン」


 なんとか出せた声に、ヴァンサンが気づいてこちらを向いた。


 駆け寄ってくるヴァンサンが、私に尋ねる。


「何があったのですか? 剣戟けんげきの音が聞こえましたが」


「……なんでもないわ。そう、なんでも」


 私はまだ跳ね続ける胸を手で押さえながら答えた。


 ――あの目が、忘れられない。


 なんだろう、この気持ち。感じたことのない気分だ。


 ヴァンサンが私に戸惑いながら告げる。


「ここは暗がりで危険です。明かりのある場所へ戻りましょう」


 私は頷くと、かがり火のある方へ向かって歩き出した。





****


 廃教会裏から立ち去るカミーユを、物陰で見守る男性がいた。


 カミーユが民衆たちと合流すると、ようやく一息つく。


「――ふぅ。どうやらバレずにすんだか」


 白いケープの男性が物陰から身を出し、再び宙に文字を書いていく。


『今日の恐怖を、すぐに忘れられますように』


 今度こそ魔術を発動させ、風が見えない文字を運んでいく。


 白いケープの男性は満足気に頷くと、人目を忍びながら貧民区画の外へ向かった。



 途中で振り返ると、カミーユが遠くで微笑んでいた。


「……どうやら、この魔術には効果があるんだな」


 文字を読まれるとは思わなかった。


 自分には見えない文字を、カミーユだけが読めるようだ。


 不思議な少女だと痛感しながら、白いケープの男性は暗がりへと姿を消していった。





****


 宴会をしながら、ドゥニさんが声を上げる。


「あとは酒があれば完璧なんだがな!」


 ヴァンサンが楽し気にドゥニさんに答える。


「だが上等な肉が食える! これも立派な宴会だ!」


 私はその様子を眺めながら、目の前に渦巻く『風の文字』に手を這わせる。


『今日の恐怖を、すぐに忘れられますように』


 触れることはできないけれど、あの人の言葉。


 私は風を抱きしめるように腕を動かす――風は、逃げるように霧散してしまった。


 ――あーあ、消えちゃった。


 ヴァンサンがこちらに振り返り、きょとんとした顔で私を見つめた。


「殿下? 何をしてらっしゃるんで?」


 私は微笑んで首を横に振って答える。


「何でもないわ。気にしないで」


 美味しいスープを食べながら、今日の出来事を胸に刻み込む。


 恐ろしくて声が出ないとか、あるんだな。


 案外、自分も普通の女の子なのか。


 足が震える自分とか、想像もしなかった。


 ――でも、二度と同じ手は食わないわよ!


 だけど、またピンチになれば、白いケープの人が助けてくれるだろうか。


 そう考えると、『ちょっとくらいはピンチも悪くないかな?』なんて、馬鹿な考えも浮かんでしまう。


 案外、自分は馬鹿なんだな。


 夜空の月を見上げ、白いケープの人を思い浮かべる。


「また、あの人に会えるかな」


 私の呟きは、宴会の賑わいに掻き消され、夜の空気に溶けていった。





****


 離宮に戻ると、ハリエットが顔面蒼白で金切り声を上げる。


「姫様?! そのドレスはどうなさったのですか?!」


「ドレス? ――ああ、ちょっとひっかけたのよ」


 私はドレスの端をつまんで状態を確認する。


 うーん、長剣ロング・ソードで何度も切られたから、これじゃあ使い物にならないな。


 ハリエットがヴァンサンを見つめると、彼が苦笑を浮かべて告げる。


「私が何を聞いても『何もなかった』としか仰られない。

 どう見ても剣で切られているのに、何があったのやら」


 私は微笑んで二人に告げる。


「別にいいじゃない、そんなこと。

 それよりハリエット、明日は別の汚れてもいいドレスを用意して」


 頷くハリエットの横を通り過ぎ、階段を上っていった。





****


 入浴を終えた私はベッドで眠れない夜を過ごしていた。


 ケープの人を思い出すと、胸が苦しい。


 初めて命の危機に襲われて、助けてくれた人だから?


 それとも、風の手紙の主だったから?


 自分で自分の気持ちが分からない。


 私は寝るのを諦めて、ごろりと天井を見上げた。


「なんでこんなに気になるんだろう……」


 仕方なく起き上がり、ベッドから降りてテラスへ出る。


 ネグリジェのまま夜空を見上げ、少し傾いた月を見つめた。


 ふわりと風が舞い、また私の目に『風の手紙』が飛び込んでくる。


『今夜も安らかに眠れますように』


 私は思わず微笑んで、風の手紙を抱きしめる。


「ありがとう、ケープの人……」


 私は感謝の気持ちを込めて呟いた。


 胸が熱い。何が私をそうさせるのだろう?


 私は風の手紙が掻き消えた後も、しばらく残り香を味わうようにその場に立ち尽くしていた。

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