第16話 瀟洒な老婦人

 朝食を食べ終わり、紅茶をたのしむ私にドアをノックする音が聞こえた。


「カミーユ殿下、皇帝陛下がお見えになられました」


 ……二日連続? 何を考えてるのかしら。


 椅子から立ち上がり、部屋の外へ出る。


 階段を降りながら玄関を見ると、本当にジルベール陛下が私を遠くから見つめていた。


 私が近づくとジルベール陛下が告げる。


「朝の散歩だ。付き合え」


「もう一度聞くけど、断る権利は?」


「――ない」


 私に背中を向けて玄関のドアを開け、ジルベール陛下が外に出る。


 私はため息をつきながら、その背中を追った。





****


 離宮の周りをゆっくりと歩きながら、ジルベール陛下が告げる。


「増税をしようと思う」


「――はぁ?!」


 思わず素っ頓狂な声を上げてしまった私に、ジルベール陛下が告げる。


「民にではない。帝国正教に対する税率を上げるのだ。

 現在の帝国で、食料高騰を引き起こしているのが帝国正教でもある。

 奴らは自分たちの蓄えを、高値で商人に売りつけているらしい」


 私は呆れながらジルベール陛下に答える。


「なにそれ? 聖職者が民衆を苦しめてるって言うの?」


「父上の政策でな。帝国正教には税の減免が適用されている。

 出兵時にも奴らは蓄えを維持し、供出することもなかった。

 おそらくこうして、穀物が高騰するのを待っていたんだろう」


 崇める神様から怒られないのかなぁ? そういうのを気にしない人たち?


「ねぇジルベール陛下、宗教は敵に回すと恐ろしいわよ? 気を付けてね」


「ああ、分かっている。これは期間限定の緊急措置だ。それで飲ませる」


 自信満々に答えるジルベール陛下は、昨日よりも男らしい雰囲気を纏っていた。


 ふーん、ちょっとは皇帝らしいじゃない。


 私はニコリと微笑んで告げる。


「そこまで分かってるなら、私から言うことはないわ。

 でもそれを私に言ってどうするの? 皇后こうごうのレアンドラ様にでも言えばいいじゃない」


 ジルベール陛下が小さく息をついた。


「政治の話を黙って聞くような女ではないからな、レアンドラは。

 寵姫ちょうきたちも、政治には無関心だ。

 仮にも帝国の元上位貴族令嬢、教養はあるはずなんだが」


 私はクスリと笑みをこぼして答える。


「だからって、侍姫じきに政策の相談に来てるの?

 もっと自信を持って政策を推し進めなさい。

 貴方は皇帝、この帝国を率いる男性なのでしょう?」


 ジルベール陛下がしっかりと頷いた。


「ああそうだ。俺こそがこの国の皇帝、そしてお前の夫だ」


 いや、そこは自信を持たなくてもいいかな……。


 私はため息をついて答える。


「ちょっとはいい顔になってきたけど、まだまだ未熟ね。

 年下の女子に相談する必要がないくらい、立派になってみなさい」


 ジルベール陛下がフッと笑みをこぼした。


「カミーユを『年下の女子』と思える人間は、直に会った人間ならほとんどいないだろう」


 私は小首を傾げて尋ねる。


「……なにそれ? どういう意味?」


「自分では分からないか?

 ――まぁいい。今朝も力を分けてもらった。

 また明日、来てもいいか」


 私は苦笑を浮かべながらジルベール陛下に答える。


「断っても来るのでしょう?」


「よくわかってるじゃないか」


 離宮の周りを一周し終わり、玄関前でジルベール陛下が告げる。


「では行ってくる」


「はいはい、行ってらっしゃい」


 離宮から離れていくジルベール陛下を見ながら、私はポツリと告げる。


「……今の、どういう意味なのかしら」


 まるでここが我が家のような口ぶりだったけど、ジルベール陛下の住居は第一離宮でしょ?


 私は小首を傾げながら、自分の離宮へと戻っていった。





****


 部屋で歴史書を読み進める私の耳に、ドアのノックが聞こえた。


「カミーユ殿下、宮廷でノリエ伯爵がお待ちです」


 私はきょとんとしながら呟く。


「なんで待ってるのかしら。ここまで来ればいいのに」


 ヴァンサンが苦笑を浮かべながら私に告げる。


「殿下、ここは仮にも後宮ですよ?

 役人や警備兵ならまだしも、普通は男子禁制です」


 あっ、それもそうか。


 私は本をソファの上に置き、立ち上がりながらヴァンサンに尋ねる。


「ヴァンサンはどういう扱いなの?」


「我々宮廷騎士も、役人の一種ですから」


 なるほど、言われてみればそうか。


 私はヴァンサンと共に、ノリエ伯爵が待っている宮廷へと向かった。





****


 宮廷にある応接間に行くと、中ではノリエ伯爵と見知らぬ老婦人がソファに座って居た。


 紫色の瀟洒しょうしゃなドレス……お金持ちっぽいし、貴族かな?


 私は微笑みながら応接間へ入って行く。


「ノリエ伯爵、その方は?」


「はい、今回の慰撫で協力して頂ける方です。

 ですが――」


 しゃべりかけたノリエ伯爵を、老婦人が手で遮った。


 老婦人が私を鋭い目つきで見つめてくる。


 ……ああ、そういうことか。


 私は淑女の礼を取って、微笑んで告げる。


侍姫じきのカミーユ・クレルフロー・ルシオンです。

 お初にお目にかかります」


 老婦人が小さく頷いて答える。


「私はクレール・ダルボン。今はもう、ルシオンを名乗れなくなったわね」


 ――後宮から追い出された、元寵姫ちょうきってこと?!


 私が唖然としていると、クレール夫人が私の体を舐めるように見ていく。


「『侍姫じき』とは、随分と面白い制度を作ったわね。

 子供を作る義務も権利も持たない、虜囚の妃。

 これなら帝国が傾くこともないでしょう」


 私はおずおずとクレール夫人に尋ねる。


「それで、クレール夫人は慰撫に協力して頂けるんですか?」


「貴女の求める支援次第で、『イエス』にも『ノー』にもなるわ。

 私もそれほど蓄えがあるわけではないの。

 無駄なことに資産を使う趣味はないわよ」


 私は顔を引き締め、背筋を伸ばした。


「では、クレール夫人にお願いしたいことをご説明します。

 貧民区画での家屋の修繕、それに当たる技術を指南できる、大工の手配。

 それと資材の手配をお願いしたいんです」


 クレール夫人がわずかに目を細めて私の顔を見つめた。


「……公共事業をやろうというの? 捕虜の妃が?」


 私はニコリと微笑んで答える。


「ですが形式上は皇帝の妻で、名前も帝国の名を持っています。

 帝国民の為に働くことに、なんの不思議があるんですか?」


 私の笑顔を見つめていたクレール夫人が、小さく頷いた。


「いいでしょう。大工と補修資材の手配、引き受けました。

 それでも大規模には用意できないわ。

 三日ほど時間を頂戴。三日後、貧民区画の入り口に大工たちを集めます」


 ――よし、無事に後援者パトロンゲット!


 私は笑顔でクレール夫人に頭を下げた。


「ありがとうございます、クレール夫人」


 クレール夫人がフッと笑みを浮かべて答える。


「今は貴女の方が、形の上では身分が上よ。

 あまり人前で気安く頭を下げないように」


「はい、気を付けます」


 クレール夫人がソファから立ち上がって告げる。


「私は寄るところがあるわ。

 ――ノリエ伯爵、貴方は少し、カミーユと打ち合わせをしておきなさい。

 三日後に備え、漏れがないようにね」


 ノリエ伯爵が固くなりながら答える。


「ハッ! 畏まりました!」


 クレール夫人は優しい香りを残し、応接間から去っていった。


 ノリエ伯爵が大きくため息をついて告げる。


「緊張しました。クレール夫人はかつて、大皇后たいこうごう陛下と並んで後宮を支配しておられた方です。

 あの方の協力を得られたのは、とても大きいですよ」


 私はきょとんとしながらノリエ伯爵に尋ねる。


「そんなに凄い人なのに、ジルベール陛下は後宮から追い出してしまったの?」


「逆ですよ。クレール夫人が率先して後宮から出られたのです。

 あの方が『もう私たち寵姫ちょうきは、ここに居場所はない』と宣言して。

 他の寵姫ちょうきは、クレール夫人が出ていくのに自分たちが残るわけにもいかない。

 仮に残っても、大皇后たいこうごう陛下から目のかたきにされるのが見えてましたからね」


 立派な人だな、クレール夫人。自分が手本として、流れを作ったのか。


 私はソファに腰掛けながらノリエ伯爵に告げる。


「それなら、この協力を無駄にできないわ。

 ノリエ伯爵が融資できる額で、どれくらいの人数を賄えると思う?」


「それなら、百人程度は何とかしてみせましょう。

 この人数で足りますか?」


 私は微笑んで頷いた。


「充分よ! それだけ雇えれば、立派に公共事業が成立するわ」


 ヴァンサンが私の背後から告げる。


「宮廷から出せる護衛の兵士は、五人が限度です。

 ノリエ伯爵も、少し兵を出せませんか」


 ノリエ伯爵がヴァンサンに頷いて答える。


「では十人ほど、兵を貸しましょう。

 これ以上はさすがに、私にも苦しくなります」


 私はニコリと微笑んでノリエ伯爵に右手を差し出した。


「その心遣い、無駄にはしません」


 ノリエ伯爵が笑顔で私の手を握って答える。


「もちろん、そうしてください。信じております」


 私は握手を終えると、ヴァンサンを連れて応接間を後にした。

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