第10話 皇族用の馬車
馬屋に辿り着き、ようやく馬から降ろしてもらった私は、ジルベール陛下に告げる。
「じゃあ陛下、私は忙しいからこれで失礼するわね」
馬を馬番に預けながら、慌ててジルベール陛下がこちらに振り向いた。
「待てカミーユ! 私が離宮まで送る!」
「貴方も忙しいのでしょう? 無理をしなくてもいいわ。それじゃあまた!」
私は身を翻し、パタパタと第十二離宮の門へ向かって駆け出した。
そんな私の手を、背後からジルベール陛下が捕まえる。
「――待てと言っている! 最後まできちんと送り届けさせろ!」
私はジルベール陛下に振り向きジト目を向けて答える。
「そんなことしなくても、ここは後宮で危険などないでしょう?
なにをそんなに焦っているの?」
「お前こそ、何を急いでいるんだ?
そんなに慌てるような用事があるのか」
私は小さく息をついて、懐から手紙を取り出した。
「この人――ノリエ伯爵に会いに行かないといけないの。
もう午後もだいぶ回ってしまったし、急がないと日が暮れてしまうわ」
ジルベール陛下が唖然としながら私に答える。
「……お前は
私は呆れてため息をついた。
「こちらからお願いをするのに、『宮廷に呼びつける』?
どうやらジルベール陛下は、人心掌握術もしらないようね。
無理難題を頼みたいなら、まずは誠意を見せるべきよ」
ジルベール陛下が眉をひそめて告げる。
「理屈は分かるが、お前には馬車があるまい。まさか歩いていく気か」
「そのまさかよ? 他に方法があると思って?」
ジルベール陛下が小さく息をついた。
「……わかった、お前の馬車をすぐに用意させる。だから少し待て」
私はきょとんとしながらジルベール陛下を見つめた。
「いいの? 私は
「俺の妃が徒歩で帝都を歩くなど、民に見せつけられるものか。
いいか? 勝手に出歩くんじゃない。これは肝に銘じておけ」
なんて窮屈な生活なんだか。私は疲れを感じてため息をついた。
「わかったわよ。陛下の好きにして頂戴――でも、本当に急いでね」
ジルベール陛下は頷くと、また私の肩を抱いて歩き出す――だから! なんで触れてくるの!
私は渋々ジルベール陛下と一緒に、第十二離宮へと向かった。
****
第十二離宮前の衛兵の一人が、欠伸をしながら告げる。
「カミーユ殿下はまだお戻りになられないのか。
皇帝陛下も
もう一人の衛兵が笑い声を上げながら答える。
「新入りの
「そんな馬鹿な! あの女嫌いの陛下が、ご執心? 有り得ないね」
談笑する衛兵たちに近づいてくる気配を感じ、二人が顔を向ける――ジルベールとカミーユだ。
慌てて表情と姿勢を取り繕った衛兵たちが、最敬礼をして構える。
二人の間をジルベールとカミーユが通り過ぎ――カミーユがニコリと微笑んで告げる。
「今日もお仕事、ご苦労様」
「ハッ! 恐縮です!」
最敬礼をしたまま答えた衛兵の横を、カミーユの肩を抱いたジルベールが通り過ぎ、離宮に入って行った。
その姿をこっそり目で追った衛兵が、ポツリと告げる。
「……見たか。皇帝陛下が女性の肩を抱いていたぞ」
「お前こそ、聞いていたか?
二人の衛兵は唖然としながら、閉まっていく離宮のドアを見つめていた。
****
離宮に戻った途端、ハリエットが私に駆け寄ってくる。
「姫様! ご無事でしたか!」
私は苦笑を浮かべてハリエットに答える。
「ハリエット、ジルベール陛下の前でそれは、さすがに不敬じゃないかしら」
ハッとなったハリエットが、慌ててジルベール陛下に頭を下げる。
「――失礼いたしました! 気が動転していまして」
ジルベール陛下が小さく頷き、真顔で答える。
「構わん。急に連れ出したからな。
――カミーユ、すぐに馬車を用意する。宮廷の前で待て。
先走って、勝手に出歩くんじゃないぞ」
そう告げると、ジルベール陛下は身を翻して離宮から立ち去った。
ハリエットの後ろからヴァンサンが出てきて、私に尋ねる。
「馬車とは、いったいどういうことですか?」
私は微笑んでヴァンサンに答える。
「
これからヴァーノン・ノリエ伯爵に会いに行くわ。
ヴァンサンも付いてくる?」
慌てた様子でヴァンサンが聞き返してくる。
「ノリエ伯爵に?! 彼は、クレルフロー攻略戦の立役者ですよ?!
そんな彼に、何の用事があるんですか!」
私は眉をひそめてヴァンサンに答える。
「それがね?
でも私に割り当てられてる予算を割いても、一か月炊き出しをしたら終わってしまう。
予算が足りないから、お金に余裕がある人に支援を頼めないかなって」
ヴァンサンが唖然としながら私に答える。
「まさか、ノリエ伯爵に
そりゃあ戦功報奨金は出てますが、頷くとは思えません」
私は
「話は後よ、ヴァンサン! 早く宮廷の前に移動しないと!
――ハリエット! 留守は頼んだわね!」
私が駆け出すと、慌てたような足音が私の後ろから付いてくる。
私はヴァンサンを連れて、宮廷に向かって駆けていった。
****
ヴァンサンに言われ、宮廷の馬車乗り場で私たちは待っていた。
少し待っていると、豪華な金の装飾と紋章が飾られた四人乗りの馬車が私たちの前に止まる。
ヴァンサンが唖然としながら
「まさか、この馬車をカミーユ殿下に?」
「そう伺っております」
「それじゃ、ノリエ伯爵の別邸にお願い! なるだけ急いでほしいんだけど、間に合うかしら」
「はい、お急ぎなのですね? 畏まりました」
宮廷の従僕が馬車に踏み台をセットし、ヴァンサンがそれを踏み越えて馬車に乗る。
私に差し出されたヴァンサンの手を取り、私も続いて馬車に乗り込んだ。
踏み台が取り払われ、ドアが閉まり、馬車が走り出した。
ふかふかの椅子に腰かけながら、私はヴァンサンに告げる。
「ずいぶんと豪華な馬車ね。私が使っていいのかしら?」
ヴァンサンが苦笑を浮かべながら額を掻いて答える。
「これは皇族用の馬車です。
しかし皇帝陛下がご用意なさったなら、乗らないわけにもいきません。
これで
ふーん、面倒な決まり事ね。たかが馬車の一つや二つで。
私たちを乗せた馬車は、間もなく夕日に染まりそうな帝都の中を風を切って駆けていった。
****
馬車が止まったのは、貴族区画らしい小奇麗なエリア――その一角。
二階建ての屋敷の前で、私とヴァンサンは馬車から降りた。
ヴァンサンが屋敷の前に佇む従僕に告げる。
「ノリエ伯爵はご在宅か。カミーユ殿下がお会いにこられた。
前触れもなくすまないが、至急面会を願えないか」
従僕は目を見開いて頷きながら、慌てて屋敷の中へ駆け込んでいった。
私はヴァンサンに何げなく尋ねてみる。
「なんであんなに驚いてたのかしら」
ヴァンサンが苦笑を浮かべて答える。
「馬車ですよ。これは皇族用だと言ったでしょう?
これに乗れるのは皇帝陛下か
「あら、
「あの方は専用の馬車をお持ちです。何より後宮の外に出ることも、まずありません」
ふーん、宮廷に閉じこもりきりか。退屈な毎日を送ってそうだ。
話し相手にくらいはなって……あげたくても、簡単に会える人でもないか。
屋敷のドアが再び開き、中から壮年の男性が姿を見せた。
短い黒髪と鋭い目つき、引き締まった体――この人がノリエ伯爵かな。
私は淑女の礼を取って男性に告げる。
「初めまして。
今日はお願いがあって参りましたの」
男性が小さな目を見開いて私に答える。
「……殿下が、私に何用ですか」
「
でも予算が足りないので、今は
その
私が微笑みながら見つめると、ノリエ伯爵が唖然としながら答える。
「……クレルフロー王国を攻め落として得た金を、帝国民の為に使って欲しいと?」
「ええ、そうよ? 何かおかしなことを言ってますか?
貴方の資金繰りが苦しいだろうことは、想像に難くありません。
配下の兵力を動かすのも、お金が必要ですものね――でも、そこを押してお願いできませんか?」
私が微笑み続けていると、困惑した様子のノリエ伯爵が私に告げる。
「私はクレルフロー王国の騎士や兵士の命を多く奪った。
そんな私が憎くはないのですか。王族の誇りはどこへいったのですか」
「あら、今の私は帝国の妃、ジルベール陛下の妻よ?
それにノリエ伯爵は軍の命令に従って作戦を実行しただけ。
戦争で命が失われるのも当たり前よ。
貴方の意思で虐殺をしたのでなければ、憎む理由はないわ」
ノリエ伯爵が憮然としながら答える。
「虐殺などはしておりませんが……。
なぜそうまで――いえ、続きは中で話しましょう。
どうぞ、お入りください」
ノリエ伯爵がドアを開け、私たちを招いた。
私は微笑んだまま歩を進め、ノリエ伯爵の別邸に足を踏み入れた。
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