第9話 敵情視察
三枚の便箋を書き終えた
「パッセリス、これをあの子に届けて頂戴」
老騎士パッセリスが静かに手紙を受け取り、頭を下げて部屋を出ていく。
入れ違いになるようにジルベールが部屋に姿を現し、笑顔で
「母上、カミーユはいかがでしたか」
「面白い子ね。敗戦国の王女とは思えない明るさだったわ。
私に対しても、そして帝国民に対しても憎悪を感じさせない。
クスクスと笑みをこぼす
「母上の
「ジルベール、貴方は本気でカミーユを
「はい。
私は彼女と、もっと言葉を交わしたいと思います」
「そうね、その気持ちはよく分かるわ。
あの子ったら、馬にも乗れるし庭仕事もできるらしいの。
紅茶の入れ方も習ったり、洗濯の仕方まで覚えたそうよ?」
ジルベールが目を丸くして
「随分とお詳しいのですね……どれほど話をされたんですか?」
「お昼を一緒に食べただけ。それだけでも、あの子の人柄は充分に分かったわ。
教育だけではああはならない。生まれ持った資質が飛びぬけているのね。
――ジルベール、あの子を口説き落としなさい。なんとしてもあの子と子供を作るのよ」
戸惑うジルベールが
「子供、ですか。ですが彼女はまだ十六歳です。
二十四歳の私が相手では、嫌がるでしょう」
「そこを口説き落とすのが貴方の手腕でしょう?
いつもの皇帝ヅラはどこに行ったの? もっと自信を持ちなさい。
本当に貴方は、繊細な子ね。もう少し父親の血を受け継いでるとよかったんだけど」
ジルベールが顔をしかめて答える。
「父上のような厚顔さなど、私は欲しくありません」
「まぁそうね。あの人のように
――でも、カミーユはなんとしても落としなさい。
後宮では支援してあげるけど、あまり大きくも動けない。規律が乱れてしまうもの」
ジルベールが小さく息をついて頷いた。
「努力致します。しかし、年下の少女をどうやって口説けばいいのか。
しかも相手はあのカミーユです。母上は何か妙案をお持ちですか?」
「それを考えるのが貴方の役目。女一人惚れさせられないで、皇帝が務まると思わないことね」
ジルベールは頭を掻いて嘆息した。
「……肝に銘じます。
では母上、これからカミーユに会いに行ってもよろしいですか」
「何をする気かしら。
ジルベールが微笑んで答える。
「ちょっとした敵情視察ですよ。
彼女が今回の難題をどう解決するのか、探りを入れてきます」
身を翻したジルベールの背中を、
――あの子が女性にあんなに入れ込むなんて、これはもしかするかしら?
冷めた紅茶を一口飲むと、
もしかすると、次の皇帝はカミーユが産むかもしれない。
きっとその子はカミーユの強靭な精神を受け継ぐだろう。そんな予感を覚えていた。
****
ハリエットたちが昼食の時間となり、私は部屋に一人でソファに座り、詩集を読んでいた。
帝国の詩集なんて初めてで、中々に面白い。
部屋のドアがノックされ、顔を上げると使用人の女性が私に告げる。
「プーシェ子爵がお見えです。直接会って渡したい物があると」
誰だろう? 聞き覚えないな。
「そう? わかったわ。今行きます」
私は詩集を閉じてソファに置き、立ち上がってスカートを整えた。
ゆっくりと部屋から出て階段を降り、玄関の方に視線を走らせる――あの人は、
私が廊下を歩いて近づいていくと、老騎士――プーシェ子爵が私に頭を下げた。
「カミーユ殿下、
彼が懐から取り出したのは、一通の手紙。
それを受け取り、宛先を見る――ヴァーノン・ノリエ。話に出ていた、
私は微笑んでプーシェ子爵に告げる。
「ありがとうプーシェ子爵。この人は今、どこに居るのかしら」
「帝都の別邸にまだおられるはずですが、近日中に領地に戻られると思います。
話を進めるなら、急いだほうがよろしいでしょう」
それだけ告げると、プーシェ子爵は辞去していった。
ふむ、急がないといけないのか。段取りを整えてる時間はないな。まずは会って話をしよう。
私が
振り返ると、ジルベール陛下が微笑んで玄関に立っている。
「カミーユ、少し話がしたい」
私は唖然としながらジルベール陛下に答える。
「……
ジルベール陛下が私に歩み寄りながら答える。
「母上の許可は頂いている。カミーユは今回の一件、どうするつもりだ」
私は小さく息をついてジルベール陛下に答える。
「どうもこうもないわ。困っている民衆が居るなら、精一杯救うだけよ。
予算も時間も残ってない。忙しいから、邪魔をしないでもらえる?」
ジルベール陛下が私の手を取り、笑顔で告げる。
「お前は馬に乗れるそうだな。少し付き合え。後宮の裏手から帝都の外を馬で走らないか」
私はジルベール陛下をジト目で見ながら答える。
「ドレスで馬に乗れとか、無茶を言ってるの?
今の私は乗馬服なんて持ち込んでないのよ?」
「俺と相乗りすればいいだろう。それとも皇帝の命令に逆らう気か?」
私はげんなりしながらジルベール陛下に答える。
「全力でお断りいたします。
ジルベール陛下が私の手を引き、肩を抱いてくる。
「今はお前と話がしたいだけだ。邪魔の入らない場所でな」
――うわ、触るなばっちい!
だけどさすがに振りほどくのは、立場上できない。
強引なジルベール陛下に流されるまま、私は離宮から外に出た。
****
離宮の裏手の馬屋から一頭の馬を連れ出したジルベール陛下が、その馬に身軽に跨った。
馬上から私に差し出される手を渋々取ると、引き上げるように私は前に座らされた。
「軽いな、カミーユは」
「当たり前でしょ?! 太ってるとでも思ったの?!」
ジルベール陛下が軽快に笑いながら、私に告げる。
「そうではない。だが、女性とはこうも軽いものかと驚いているだけだ」
他の妃、どんだけ重たいんだろう?
私だって女性らしい体つきのはずだけど。一応は!
ジルベール陛下が馬を走らせ始め、私は思わず彼の胸にしがみつく。
手綱を握る彼に半ば抱きかかえられるようにしながら、私たちが乗る馬は後宮の裏手の門を抜けた。
風を切って走る馬の上で、草原の匂いを感じる――ああ、懐かしいな。この感覚。
同時にジルベール陛下からも、柑橘系の香水が香ってくる。
少しだけ花の香りもする――これはジャスミンかなぁ? この辺りじゃ珍しい花だ。
軽く走った馬が足を止め、丘の上で私たちは風を受けていた。
「どうだ、少しは気分転換になったか」
微笑むジルベール陛下に、私は笑顔で答える。
「隣に居るのがジルベール陛下でなければ、最高の気分だったわね?」
軽やかな笑い声を上げたジルベール陛下が、私に告げる。
「お前は強いな。何がお前をそれほど支えているのだ?」
「あら、冷徹な皇帝らしからぬお言葉ね。自分の強さの源泉すら理解してないの?
私は王族の誇りを忘れたことなんて一度もないわ。貴方は違うとでも言うの?」
ジルベール陛下が沈んだ表情で小さく息をついた。
「俺にとって『それ』は――いや、何でもない」
何を言いかけたんだ? 何か、悩んでるのかな?
私が小首を傾げると、ジルベール陛下が私に告げる。
「なぁ、少しこのまま風に当たっていても構わないか」
「手綱を握ってるのは、ジルベール陛下よ。私にはどうすることもできないわ。
力づくで女性を振り回すのは楽しいかしら?」
ジルベール陛下が悲し気な微笑みで私に答える。
「すまない、こうでもしないとカミーユと話す機会がなかったのでな」
そうまでして話がしたかったの? その割に、何かを話そうとする気配が感じられない。
私とジルベール陛下は、一時間足らずの間、無言で馬の上で風に当たり続けた。
「――そろそろ限界だ。宮廷に戻る」
馬を転身させ、ジルベール陛下が後宮の門へと向かう。
……何がしたいんだ? この男は。
私は内心で小首を傾げながら、ジルベール陛下の胸にしがみついていた。
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