第8話 大皇后

 混乱する私は、ヴァンサンに振り向いて尋ねる。


「どうしよう、どんな服で会いに行けばいいのかな?!」


 ヴァンサンが眉をひそめて私に答える。


「今はドレスコードより、時間を尊びましょう。

 『至急』と言われて大皇后たいこうごう陛下をお待たせすると、殿下の命が危うい。

 着替えは諦めて、急いで向かいます」


 うわー、命がけ?!


 私はヴァンサンに頷いてソファから立ち上がり、駆け出したヴァンサンの後に続く。


「――ハリエット、留守は頼んだわね!」


 私は彼女の返事を聞く暇もなく、部屋から飛び出して第二離宮へと向かった。





****


 ヴァンサンが足を止めたのは後宮でも一番大きな建物だった。


 三階建てで部屋数も多そうな、白亜の宮殿。


 その門の前でヴァンサンが足を止め、私に振り返って告げる。


「私はこの中には入れません。

 殿下お一人ですが、大丈夫ですか?」


 私は息を整えてから頷いた。


「大丈夫じゃなくても、一人で行くしかないんでしょう?

 何とかしてみせるわ。心配しないで」


 私は第二離宮の門を見つめ、ゆっくりと中へ入って行く。


 衛兵の間を通り抜け、玄関のドアが開かれた。


 玄関ホールの中では、一人の年老いた騎士が私を待ち構えるように佇んでいた。


「お待ちしておりました。ご案内致します」


 年老いた騎士は名乗りもせず、私に背を向けて歩き出す。


 私は小走りで騎士に追いつき、その背中に尋ねる。


大皇后たいこうごう陛下は、私に何の用事なんですか?」


「それは陛下から直接お伺いください」


 釣れない態度だなぁ?! こっちに振り返りもしない。


 仕方なく騎士の後に続いて階段を上っていく。


 三階まで上ると、騎士が正面の閉められたドアをノックした。


「陛下、カミーユ殿下をお連れしました」


「入りなさい」


 中から女性の声が聞こえた。穏やかな年老いた女性の声だ。


 騎士がドアを開け、私に振り向いて頷いた。


 ……入れってこと?


 私は恐る恐る室内に足を踏み入れる――リビングのソファに、瀟洒なドレスの老婦人が座って居た。


 この人が大皇后たいこうごう陛下、かなぁ?


 老婦人が微笑んで私に告げる。


「よく来たわね、カミーユ。まずはおかけなさい」


「はぁ、では失礼します」


 私は老婦人――大皇后たいこうごう陛下の正面のソファに腰を下ろす。


 スカートを整えていると、大皇后たいこうごう陛下が私に告げる。


「貴女、寵姫ちょうきにおなりなさい」


 私は驚いて顔を上げ、大皇后たいこうごう陛下の微笑む顔を見つめた。


「突然、なにを仰るんですか?!」


 大皇后たいこうごう陛下がクスクスと笑みを漏らしながら告げる。


「ジルベールが興味を持つ女の子なんて、今まで見たことなかったの。

 貴女なら、もしかしたらあの子も子供を進んで作る気になるかもしれない。

 でもその為には、貴女にはこなしてもらわなければならない仕事があるわ」


 なんだか話がややこしいな。


「その仕事っていうのはなんですか?」


 大皇后たいこうごう陛下が一枚の紙を取り出し、テーブルに置いた――帝都の地図、かな?


「今は貧民層の不満が溜まって、爆発寸前なのよ。

 貴女は彼らを慰撫し、不満を宥めてきて欲しいの。

 それができたら、貴女を寵姫ちょうきに推薦してあげてもいいわ」


 地図に印が付いているのは、帝都の外れに当たる区域。


 おそらくそこは貧民層が住む場所なんだろう。


 私は小さく息をついて大皇后たいこうごう陛下に答える。


「畏れながら、寵姫ちょうきの件はお断りいたします。

 ですが貧民を慰撫するという任務は、謹んでお受けいたします。

 具体的には、何をすればいいんですか?」


 大皇后たいこうごう陛下の目が楽し気に細められた。


「それを考えるのが貴女の仕事よ」


「予算はどれくらいあるんですか? 人はどれくらい動かせますか?」


「毎日炊き出しを行えば、一か月で消えてしまう額ね。

 動かせるのは下位の文官を五人程度。貴女の権限では、それが限界よ?」


 厳しいな。それで慰撫なんてできるわけがない。


「では、私に与えられる予算はいくらなんですか?」


 大皇后たいこうごう陛下が微笑んで私の目を見つめた。


「……離宮の維持費も含めれば、相応の額にはなるわね。

 年間でなら、ドレスの一着ぐらいは新調できる余裕があるはずよ」


「では、その余裕を今回の慰撫に充てます。

 それでどれくらい人を動員できますか」


「それなら、市民を三十人くらい募れると思うわ。

 でも一か月が限度でしょうね」


 一か月か。予算も時間も苦しい。これで『結果を出せ』と大皇后たいこうごう陛下は言ってるんだ。


 ――ないなら、『有るところから引き出せばいい』!


 私は大皇后たいこうごう陛下の目を見つめ返して尋ねる。


「誰か、後援者パトロンになれる貴族の心当たりは居ませんか?

 私一人では貴族に伝手がありません。その伝手を作っては下さいませんか」


 大皇后たいこうごう陛下が黙って私の目を見つめて来た。心の奥底を覗いてくるような、深淵な眼差しだ。


 ティーカップを手に取った大皇后たいこうごう陛下が、ゆっくりと紅茶を一口飲んだ。


「貴女が本気なら、紹介してあげなくもないわ」


「本気です! どなたか心当たりがあるんですね?!」


 大皇后たいこうごう陛下がゆっくりと頷いた。


「ノリエ伯爵を知ってるかしら?

 クレルフロー王国攻略戦で、最大戦功を上げた騎士よ。

 彼なら報奨金を与えられてるから、少しは余裕があるはず」


 ――うちの国を攻め落とした功労者に、頭を下げて来いって話?!


 私が唖然としていると、楽し気な頬笑みを浮かべた大皇后たいこうごう陛下が私に尋ねる。


「嫌なら炊き出しだけで、貧民を慰撫して御覧なさい。どちらにするかは、貴女次第よ」


 私は決意を固めて大皇后たいこうごう陛下を見据えた。


「……紹介状をお願いします。それと、ジルベール陛下に伝言をお願いできますか?」


 大皇后たいこうごう陛下が楽しそうな眼差しで私を見つめて頷いた。


「ええ、いいわよ? 言ってごらんなさい?」


「今のままでは、帝国民が疲弊して国が倒れます。

 このまま献上金の相場が上がるのを、帝国側が否定する必要があるんです。

 ただ言われた額を受け取るのは、もう止めた方がいいと思います」


 私の言葉に、大皇后たいこうごう陛下が楽し気にクスクスと笑みをこぼした。


侍姫じきが国政に口出しをしたいのかしら?」


 私も微笑んで大皇后たいこうごう陛下に答える。


「貧民の慰撫も、大切な国政じゃありませんか?

 放置すれば帝都が荒れ、市民の生活が脅かされます。

 帝都の安定を図る行動が国政じゃないなら、なんだというんですか?」


 大皇后たいこうごう陛下と私の眼差しが絡み合い、しばらく沈黙が辺りを支配した。


「……いいでしょう、その言葉、確かに伝えます。

 ねぇカミーユ、お昼を一緒に食べていきなさい。

 私の食卓に招待するわ」


 私はきょとんとして大皇后たいこうごう陛下を見つめた。


「構いませんが……よろしいんですか?」


「ええ、貴女ともう少し話をしてみたくなったの」


 大皇后たいこうごう陛下まで? みんな話し相手に飢えてるのかな?


 私は小首を傾げた後、微笑んで頷いた。


「分かりました。ご招待をお受けします」


 大皇后たいこうごう陛下が傍に佇む騎士に視線を送ると、彼は頭を下げた後に部屋を辞去していった。


「さぁカミーユ、お茶を楽しんで?

 昼食の用意が終わるまで、もうしばらくかかるわ。

 それまで貴女の話を聞かせて頂戴」


 私の話? 昔話でいいのかな?


 私は笑顔で頷いて答える。


「構いませんよ! クレルフロー王国時代の話なら、いくらでも!

 ……どこからお話ししましょうか?」


 クスクスと笑みをこぼす大皇后たいこうごう陛下と私は、昼食の時間までおしゃべりを楽しんだ。


 ダイニングホールに移った昼食でも話題は続き、大皇后たいこうごう陛下は笑みを絶やさず私の話を聞いていた。


 昼食が終わると、私は席を立って告げる。


「では、私はこれで離宮に戻りますね」


 大皇后たいこうごう陛下が寂し気な笑みで私に告げる。


「もうそんな時間? カミーユ、また呼んでもいいかしら?」


「ええ、もちろん! お話相手なら、いつでもお受けします!」


 私はダイニングホールを辞去し、第二離宮を後にした。





****


 外で待っていたヴァンサンと合流すると、彼は胸を撫で下ろしていた。


「殿下がご無事でよかった。帰りが遅いんで、心配しておりました」


「ごめんねヴァンサン。お腹が空いたでしょう?

 昼食に呼ばれてしまって、つい話し込んじゃった」


 ヴァンサンが目を見開いて私に尋ねる。


「……大皇后たいこうごう陛下が、殿下と昼食を?」


「そうよ? 何かおかしい?」


 ヴァンサンがフッと笑みをこぼして答える。


「いいえ、殿下ならそんなこともあるのでしょう。

 ――戻りましょう、お腹と背中がくっつきそうです」


「あら、それは大変ね? 急いで戻りましょう!」


 私はヴァンサンと足早に、第十二離宮へと向かった。

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