第3話 祈り
ハリエットが落ち着いたころ、外から兵士たちが荷物を持って階段を上がってきた。
私はハリエットと共に脇に退くと、先頭の兵士がドレスを手に私たちに尋ねてくる。
「これはどちらに持っていったらよろしいですか」
ハリエットが慌てて私から離れ、兵士に答える。
「――こちらです。奥のクローゼットへ」
頷く兵士を連れて、ハリエットが部屋の中に入って行く。
続々と運ばれていく私の荷物。ほとんどはドレスだ。
宝石箱も両手で大事そうに抱えられて運ばれていった。
……なんでそんなものばかり?
「カミーユ殿下ですか。
私はヴァンサン・ジャコット。殿下の護衛任務に当たります。
この離宮で共に暮らすことになりますので、よろしくお願いします」
階段を上り切ったヴァンサンさんに、私は笑顔で答える。
「カミーユよ。よろしくね、ヴァンサンさん」
ヴァンサンさんが苦笑を浮かべて答える。
「呼び捨てで結構ですよ。
「そう? じゃあヴァンサン、改めてよろしくね!
それと、一つ教えてもらえるかしら」
ヴァンサンが首を傾げて答える。
「私で分かることでしたら」
「私の名前、どうなるか知ってる?
カミーユ・ルシオンになるの?」
ヴァンサンが頭を掻きながら答える。
「そうはなりません。殿下の名前は『カミーユ・クレルフロー・ルシオン』になります。
妃はファミリーネームを残したまま、ルシオン皇族の一員となる習わしです」
「ふーん、珍しい風習ね。それは知らなかったわ。
ありがとう、これで一つ勉強になったわ」
ヴァンサンがニコリと微笑んだ。
「いえいえ、殿下のお力になれたなら幸いです」
「ねぇヴァンサン、どうせならお茶の相手をしてくれない?
ハリエットは忙しそうだし、私が入れてあげる!」
私がダイニングエリアに向かうと、ヴァンサンが慌てて私に声をかける。
「まさか、殿下がご自分でお茶を入れられるのですか?!」
私は歩きながらヴァンサンに答える。
「そうよ? ハリエットにやり方は教わってるの。
『なかなかの味だ』って、お父様にも褒めて頂いたわ」
ヴァンサンが私の肩を掴んで声を上げる。
「そんなこと、させられません!
――ハリエット! こっちに来てくれ!」
ありゃ、ハリエットを呼ばれてしまった。
彼女はこちらに振り返ると、パタパタと駆け寄ってきてヴァンサンに尋ねる。
「どうされましたか?」
「殿下がご自分でお茶を入れようとなさる。貴女からも止めてくれないか」
ハリエットが苦笑を浮かべて答える。
「姫様……またご自分で?
ここは私に任せて、ソファでおくつろぎください」
私は唇を尖らせて答える。
「なんで止められるのかしら。いいじゃない、王女がお茶を入れても」
ヴァンサンが困った顔で私に告げる。
「今はもう王女ではなく、帝国の
我が帝国の品位が疑われかねない真似は、お慎みください」
なんだか堅苦しいなぁ。妃といっても、形だけじゃない。
でももうハリエットはお湯を沸かして、茶葉の用意も始めたみたいだ。
「分かったわ――じゃあヴァンサン、話し相手になって?
ソファに一緒に座るぐらいはいいでしょう?」
ヴァンサンが頭を掻きながら眉をひそめた。
「まいったな、殿下の命令じゃ断れん。しかし、本当に同席したら大目玉だ」
私はソファに向かいながら、ヴァンサンに告げる。
「私が黙ってれば大丈夫よ。ほら、早く!」
私はスカートを整えながらソファに腰を下ろした。
ヴァンサンはローテーブルの傍で佇み、まだ悩んでるみたい。
私がじーっと見つめていると、ため息をついたヴァンサンが、私の向かいに腰を下ろした。
微笑むハリエットが給仕してくれるお茶を飲みながら、私はヴァンサンから帝国の話を聞いていった。
****
夕食の時間になり、ダイニングエリアに食事が運ばれていく。
部屋着に着替えた私は、ダイニングテーブルについてお皿を眺める。
白いパンに透き通ったスープ、鶏肉のソテーには黒っぽいソースがかかってる。
夏野菜のサラダは山盛りで、どれもこれもなじみのない料理だ。
私は一人分の食事を見つめてから、傍に立つハリエットに尋ねる。
「貴女の食事はどうなってるの?」
ハリエットが苦笑を浮かべて答える。
「私たちは後で頂きますから」
私は反対側に立つヴァンサンを見つめた。
ヴァンサンも苦笑で私に答える。
「我々が殿下とテーブルを共にすると、さすがに首が飛びます。
それはいくら殿下の頼みでも聞けません」
そっか、厳しいんだなぁ、帝国のルール。
私は一人で帝国の料理を口にしながら、思ったよりも濃い味付けを楽しんだ。
「妃の食事って、みんなこんな感じなの?」
これなら別に『勢の限り』なんて言われないと思うけど。
ヴァンサンが言い辛そうに答える。
「殿下は十番目の妃で序列最下位です。
序列が上がれば、身分に相応の料理が出てくると思います」
ということは、他の人たちはもっと贅沢をしてるのか。
私は眉をひそめながら答える。
「私は贅沢をしたいわけじゃないの。貴族たちも、
民が飢えに苦しんでるのに、美味しいものでお腹を膨らせようなんて不健全だわ」
ハリエットが眉をひそめて微笑んでいた。
「姫様は昔から、贅沢がお嫌いでしたものね」
「クレルフロー王国は、貧しい民を救うために王侯貴族が頑張ってたわ。
帝国の貴族たちは、そんな当たり前の精神すら持ち合わせてないのかしら」
ヴァンサンが困ったような笑顔で告げる。
「殿下のお心がけはご立派ですが、それは外では言わない方がよろしいでしょう。
帝国ではいかに富を顕示するかも、貴族の力を示すステータスとなります。
それを否定するのは、侮辱するも同然ですから」
私は眉をひそめてヴァンサンに答える。
「そうなの? 民のことを忘れて国を動かそうなんて、何を考えてるのかしら。
そんなことだから戦争を繰り返して、民が苦しむのよ。
ジルベール皇帝――おっと、陛下って言わないといけないんだっけ?」
ヴァンサンが微笑んで頷いた。
「はい、そうしてください」
「じゃあ陛下も、戦争なんてしなければいいのに」
「そうも言ってられないのですよ。外交交渉が決裂すれば、戦争は避けられません。
約束を破れば報復をする――それができない国は、周囲から侮られます。
結果として国民を守ることにつながる。ですから戦争をするのです」
私は唇を尖らせて答える。
「クレルフロー王国は、約束を破ったりしなかったわよ?」
「私は『約定の献上金を払わなかった報復戦争だ』と伺ってます。
これもまた、きちんと守らなければならない約束の一つです。
国家を他国から守るには、力と信用が最も必要とされます」
私はため息をついて告げる。
「お父様ったら、無理な金額を約束してしまったのね。
クレルフロー王国は決してそこまで豊かな国じゃないのに。
これはお父様の失態というところかしら」
ヴァンサンが嬉しそうに頷いた。
「はい、そのようにご理解頂ければ。
今は献上金の相場が上がってますから、他国も苦しそうです」
「苦しいなら、払わなければいいのに。約束をしなければいいのよ」
不安が献上金を支払わせ、他国の動きが隣国へ伝染していく。
そうして限界を迎えた国がクレルフロー王国のように滅ぼされ、また献上金が値上がっていく。
悪い循環だなぁ。ジルベール陛下に言って止めさせないと。
私はヴァンサンから再び外交のレクチャーを聞きながら、夕食を済ませていった。
****
明かりが落ちた部屋から、ジルベールが一人でテラスに出た。
皇后レアンドラの誘いを『遠征で疲れた』と振り切ったジルベールは、年相応の青年らしい顔で呟く。
「カミーユは泣いていないだろうか」
突然、祖国から連れ出された十六歳の少女。
他人の前では気丈に振る舞えても、一人になったら分からない。
気遣いをしてやりたいが、弱腰の皇帝では周囲が付いて来ない。
冷徹な仮面をかぶり、『強い男』を演じ続ける――それが皇帝の役目だ。
ジルベールの手が、魔力を伴って目の前の宙に文字を綴る。
本人にも読めない言葉を、ジルベールは思いを込めて綴っていった。
――どうか、カミーユが今夜を安らかに眠れますように。
魔術を発動させ、見えない文字が風に乗っていく。
モンフィス王国を制圧した時に徴収した、魔導の奥義。
『幸福を運ぶ魔術』として、真偽不明の秘儀として伝わっていた。
気休めにもならない魔術だが、誰にも気づかれずに幸福を願える。
ジルベールは小さく息をつくと、自嘲の笑みを浮かべる。
――これが皇帝の真の姿など、知られるわけにもいかないな。
身を翻したジルベールが、部屋の中に戻っていく。
言葉をつづった風は、静かにカミーユが眠る寝室へ向かっていった。
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