第27話:期待と責任

夏休みも二週間が過ぎた八月の午後、俺は問題解決部の部室で一人、プログラミングの勉強をしていた。エアコンの効いた旧校舎の203号室は、暑い夏の日でも快適な作業環境だった。


週に一度の部活動。今日は天野と三上が買い物に行っていて、俺は先に部室で待っている。


参考書を読みながら、昨日完成させた小さなWebアプリのコードを見直していた時、部室のドアがノックされた。


「すんませーん、問題解決部のみんないてるー?」


聞き覚えのある関西弁。顧問の松本先生の声だった。


「はい、います」


俺が返事をすると、松本先生が扉を開けて顔を覗かせた。その後ろには、見慣れない三人の生徒が立っている。


「おお、黒瀬くんやね。お疲れさん」


松本先生が部室に入ってきた。


「実はな、生徒会の人らが君らに相談したいことがあるんやって」


松本先生に続いて、三人の生徒が部室に入ってきた。一番前にいるのは三年生の女子で、生徒会長の佐々木先輩だった。その後ろに副会長と書記が続いている。


「失礼します」


佐々木先輩が丁寧に頭を下げた。


「問題解決部の皆さん、お忙しい中申し訳ありません」


「いえいえ、どうぞ」


俺は慌てて椅子を用意した。


「他の部員は買い物に行ってるんですが、すぐ戻ってくると思います」


「ありがとうございます」


佐々木先輩が座りながら言った。


「松本先生から、こちらの部活動のことをお聞きして、ぜひ一度ご相談させていただきたくて」


松本先生が俺に向かって言った。


「生徒会の人らがな、今度の学園祭で何かアプリを作りたいんやって。技術的なことで困ってるから、君らに相談してみたらどうやって紹介したんや」


「アプリですか?」


俺が尋ねると、副会長が説明を始めた。


「はい。学園祭をもっと盛り上げるために、来場者向けのアプリを作れないかと考えているんです」


書記の女子が補足した。


「でも、私たちには技術的な知識が全くなくて…。本当に困っているんです」


その時、部室のドアが開く音がした。天野と三上が買い物袋を持って戻ってきた。


「お疲れさまです」


「あ、お疲れさま」


天野が部室の状況を見て、少し驚いたような表情を見せた。


「生徒会の方々ですか?」


「そうや」


松本先生が説明した。


「学園祭のアプリ作成で相談に来てくれてん」


天野と三上が席に着くと、佐々木先輩が改めて挨拶をした。


「改めまして、生徒会長の佐々木です。今日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます」


「こちらこそ」


天野が答えた。


「具体的にはどのようなアプリをお考えですか?」


副会長が詳しく説明を始めた。


「学園祭の来場者の方々に便利に使っていただけるような、総合的なアプリを考えています」


「イベントのスケジュール表示」


書記が続けた。


「会場の地図、各クラスの出し物の紹介、リアルタイムの混雑状況がわかる機能」


「それから、来場者の方々が感想を投稿できる口コミ機能なども」


佐々木先輩が付け加えた。


俺は話を聞きながら、その規模の大きさに驚いていた。想像していたよりもずっと本格的なプロジェクトだった。


「かなり大掛かりなシステムですね」


俺が感想を述べると、佐々木先輩が申し訳なさそうに言った。


「私たちも調べてみたんですが、思っていたより複雑で…。もしかしたら無謀なお願いかもしれません」


「でも、実現できれば学園祭がもっと楽しくなると思うんです」


副会長が続けた。


「来場者の方々にも、参加者の私たちにも、きっと価値のあるものになると」


三上が質問した。


「開発期間はどのくらいを想定されていますか?」


「学園祭は一ヶ月半後なんですが…」


書記が申し訳なさそうに答えた。


「もちろん、無理でしたら別の方法を考えますので」


「一ヶ月半…」


俺は心の中で技術的な検討を始めていた。データベース設計、サーバー構築、フロントエンド開発、テスト…やるべきことが山ほどある。


天野が俺の表情を見て言った。


「技術的には可能なんでしょうか?」


「うーん」


俺は正直に答えた。


「不可能ではないと思いますが、かなり大変なプロジェクトになります」


佐々木先輩が深く頭を下げた。


「申し訳ありません。やはり無謀なお願いでした」


「いえ、そういうわけでは」


俺は慌てて言った。


「ちょっと時間をいただいて、検討させてもらえませんか?」


「本当ですか?」


佐々木先輩の表情が明るくなった。


「もちろん、無理をお願いするつもりはありません。できる範囲で、ということで」


「検討していただけるだけでもありがたいです」


副会長が言った。


「では、お返事をいただくのはいつ頃…?」


「一週間後でも大丈夫ですか?」


天野が提案した。


「十分に検討させていただいて、お返事します」


「ありがとうございます」


佐々木先輩が再び頭を下げた。


「お忙しい中、本当にありがとうございました」


生徒会の三人と松本先生が帰った後、部室には俺たち三人だけが残された。


「すごいプロジェクトの依頼が来たね」


天野が感想を述べた。


「本格的なアプリ開発ですね」


三上も同調した。


「黒瀬先輩、技術的にはどうなんですか?」


俺は少し考えてから答えた。


「機能を考えると、確かに大変だけど、不可能ではないと思う」


「でも、一人でやるには大きすぎない?」


天野が心配そうに言った。


「そうですね」


俺は頷いた。


「一人だと、かなりきつい」


「だったら、みんなでやればいいじゃない」


三上が提案した。


「私たちも協力できることがあると思います」


「プログラミングは俺がやるとして、それ以外の部分で協力してもらえれば」


俺は可能性を感じ始めていた。


「例えば、学園祭の企画調査とか、他の学校のアプリ研究とか、テストとか」


「それなら私たちにもできそう」


天野が興味深そうに言った。


「面白そうなプロジェクトだし、やってみない?」


その積極的な提案に、俺は少し驚いた。


「でも、責任重大だぞ。学園祭の成功がかかってる」


「だからこそ、みんなでやるのがいいんじゃない?」


天野が続けた。


「一人で背負うより、チームでやった方が安心でしょ?」


三上も同意した。


「私も、ぜひ参加させてください」


「皆がそう言ってくれるなら…」


俺は決意を固めた。


「やってみようか」


「やったー!」


天野が嬉しそうに手を叩いた。


「じゃあ、まずは詳細な計画を立てましょう」


俺はノートを開いて、必要な機能をリストアップし始めた。


「イベントスケジュール、会場マップ、出し物紹介、混雑状況、口コミ機能…」


書き出していくうちに、プロジェクトの全体像が見えてきた。


「かなりのボリュームですね」


三上が感心したように言った。


「でも、段階的に開発していけば何とかなるかも」


俺は作業の優先順位を考え始めていた。


「まず基本機能から作って、余裕があれば応用機能を追加する」


「私は学園祭の企画調査を担当します」


天野が役割分担を提案した。


「どんな情報が必要か、各クラスや部活に取材してみる」


「じゃあ、私は他の学校のアプリを調べてみます」


三上も続けた。


「参考になるデザインや機能があるかもしれません」


話し合いをしているうちに、なんとなく全体の見通しが立ってきた。一人で抱え込むよりも、ずっと現実的で実現可能な計画に思えてきた。


でも、俺の心の中にはまだ不安があった。


生徒会の人たちの期待。学園祭の成功。そして、松本先生からの紹介という経緯。


失敗は許されない。みんなの期待に応えたい。


「和人くん」


天野が俺の表情を見て声をかけた。


「また難しい顔してる」


「そうかな」


「うん。何か心配なことがあるの?」


俺は少し考えてから答えた。


「責任が重いなって思って」


「責任?」


「学園祭の成功がかかってるし、松本先生からの紹介だし」


俺の言葉に、天野の表情が少し心配そうになった。


「確かに大きなプロジェクトだけど、一人で背負う必要はないよ」


「でも…」


「みんなで一緒にやるんでしょ?」


天野が優しく言った。


「だったら、責任もみんなで分け合えばいい」


「そうですよ」


三上も同調した。


「私たちも一緒に責任を持ちますから」


二人の言葉に、俺は少し安心した。


「ありがとう」


「だから、無理しないでね」


天野が念を押すように言った。


「完璧を目指しすぎて、自分を追い込まないで」


その言葉に、俺はドキリとした。確かに、俺は完璧主義的なところがある。特に期待されると、失敗を恐れて自分を追い込んでしまう傾向がある。


「気をつける」


俺は答えた。


でも、心の中では『絶対に成功させなければ』という思いが強くなっていることを、俺自身も感じていた。


部活が終わって帰る道のりで、天野が俺に話しかけてきた。


「和人くん、本当に大丈夫?」


「何が?」


「さっきから、すごく緊張してるように見える」


天野の観察力に、俺は驚いた。


「そんなに顔に出てる?」


「うん。心配してる顔」


天野が立ち止まって、俺の方を見つめた。


「無理しないでって言ったけど、本当に無理しないでよ?」


その真剣な表情に、俺は胸が温かくなった。


「ありがとう。気をつける」


「私たちはいつでも和人くんの味方だから」


天野の言葉に、俺は改めて感謝の気持ちを覚えた。


「一人で抱え込まないで、何でも相談して」


「わかった」


でも、家に帰って一人になると、やはりプレッシャーを感じてしまう自分がいた。


生徒会の期待、学園祭の成功、松本先生からの紹介…


『絶対に失敗したくない』


そんな思いが、俺の心を重くしていた。

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