第14話:自信はどこで手に入りますか?

月曜日の朝、俺は教室の扉の前で足が止まった。


土曜日のデートから二日が経ったが、俺の心は全く整理がついていない。あの時の情けない自分を思い出すたびに、顔から火が出そうになる。


「大丈夫、普通に振る舞えばいい」


俺は自分に言い聞かせて、教室のドアを開けた。


「おはよう、和人くん!」


明るい声が俺を呼んだ。振り返ると、天野が笑顔で手を振っている。土曜日と変わらない、太陽のような笑顔だった。


「...おはよう」


俺は短く答えて、足早に自分の席に向かった。なぜか天野の顔をまともに見ることができない。


席に着いてPCを取り出すと、後ろから声をかけられた。


「お疲れ様!土曜日はありがとうね」


天野が俺の席の隣に立って、笑顔で話しかけてくる。

周囲の視線が俺たちに集まっているのを感じた。


「...うん」


俺は画面を見つめたまま、短く答えた。


「映画、面白かったよね!特にあの最後のシーン...」


天野が楽しそうに話し続ける。

でも俺は、周囲の視線が気になって集中できない。


「あ、あの...」


俺は立ち上がった。


「ちょっと、資料を取ってくる」


そう言って、俺は教室から逃げ出した。



廊下に出て、俺は壁にもたれかかった。

心臓がドクドクと鳴っている。

なんで俺は天野から逃げてしまったんだ。


天野は普通に話しかけてくれていただけなのに。

俺が勝手に動揺して、勝手に逃げ出しただけじゃないか。


「うわあ...最悪だ」


しばらくして教室に戻ると、天野が俺の席の近くで友人たちと話している。

俺の姿を見ると、ちょっと心配そうな表情を見せた。


俺は天野の視線を避けて、自分の席に座った。



昼休みになると、天野がまた俺の席にやってきた。


「和人くん、お弁当一緒に食べない?」


天野の提案に、俺は困った。

普段なら一人で食べるか、教室の隅で適当に済ませるのが日常だ。


「いや、俺は...」


「屋上で食べよう!天気いいし」


天野の明るい声に、周囲のクラスメイトたちが注目している。


(みんな見てる...)


俺は急に緊張してきた。

クラスの中心にいる天野と、隅っこでPC触ってるだけの俺。

この組み合わせが、どれだけ不自然に見えるか。


「えっと...俺は教室で」


「え?でも...」


天野が困ったような顔をする。


「俺、ちょっと課題があるから」


嘘だった。課題なんてない。

ただ、みんなの前で天野と一緒にいるのが恥ずかしかっただけだ。


「そっか...じゃあ、また今度ね」


天野は少し寂しそうに微笑んで、友人たちと屋上に向かった。俺は一人、教室に残された。


こんな日が数日続いた。天野は相変わらず俺に話しかけてくれるが、俺はうまく応えることができない。



水曜日の放課後、俺は一人で街を歩いていた。


「どうすればいいんだ...」


俺は歩きながらため息をついた。このままじゃ本当にダメになってしまう。


そんなことを考えながら、俺は駅前の繁華街を歩いていた。

ふと、向こうの方が騒がしいのに気がついた。


近づいてみると、大きなレフ板やカメラ機材が並んでいる。

どうやら撮影現場らしい。


通りすがりの人たちが足を止めて、興味深そうに見ている。

俺も何となく、その輪の後ろに混じった。


「モデルさん、準備できますか?」


「はい、大丈夫です!」


その声に、俺は心臓が跳ねた。聞き覚えのある声だ。


俺は人混みの隙間から、撮影現場を覗き込んだ。そこにいたのは、天野光だった。


天野は、俺が学校で見慣れた制服姿ではなく、真っ白なワンピースを着ていた。髪もプロのヘアメイクが手がけたのだろう、いつもとは違う大人っぽいスタイルになっている。


そして何より驚いたのは、天野の表情だった。

学校で見せる屈託のない笑顔とは違う、どこか大人びた、プロフェッショナルな表情。


「はい、そのポーズで。顎をもう少し上げて」


カメラマンの指示に、天野は自然に応じている。


「いいですね!そのまま目線をこちらに」


シャッター音が連続で響く。俺は呆然とその光景を見つめていた。


これが、天野光の仕事の現場なのか。


周りには大人のスタッフが何人もいて、みんながプロとして天野に接している。天野は、その中で堂々と立っている。高校2年生の女の子ではなく、一人の「モデル」として。


「天野さん、お疲れ様でした!」


撮影が一段落すると、スタッフの一人が天野に声をかけた。


「次回の撮影の件なんですが...」


スタッフが天野に何かの資料を見せながら話している。天野は真剣な表情で資料に目を通し、時々質問をしている。


仕事の話をしている天野の表情は、俺の知っている天野とは全く別人のようだった。


「雑誌の編集部の方が、今度の企画でお話があるそうで」


「分かりました。少々お待ちいただいてよろしいでしょうか?」


俺は、その光景に圧倒されていた。



「あ!和人くん!」


撮影が終わったとき、天野の声が聞こえた。

俺は足が止まった。見つかってしまった。


振り返ると、天野が手を振っている。撮影用のメイクはまだ落としていないので、いつもより大人っぽく見える。


「どうしてここに?」


天野が小走りで近づいてきた。


「あ、えっと...たまたま通りかかって」


俺は慌てて答えた。


「そうなんだ!撮影、見てくれてたの?」


「ちょっとだけ...」


「ありがとう!どうだった?」


天野は嬉しそうに聞いてくる。でも俺は、何て答えていいか分からなかった。


「すごかった。本当に、プロのモデルなんだなって、」


それは本心だった。でも、その「すごさ」には複雑な感情が混じっている。


「えへへ、ありがとう!でも、まだまだ勉強することばかりで...」


天野は謙遜するが、俺から見れば十分すぎるくらい立派だった。


「あ、そうそう!今度、雑誌の表紙を撮ることになったの!」


「表紙?」


「うん!すごく大きな雑誌じゃないけど、でも表紙は初めてだから、すごく嬉しくて」


天野の目がキラキラと輝いている。俺は、その輝きが眩しすぎて、直視できなかった。


「それは...すごいな」


「頑張るよ!和人くんも応援してくれる?」


「もちろん」


俺は頷いたが、内心では複雑だった。


応援したい。天野の成功を心から願っている。


でも同時に、天野がどんどん遠い存在になっていくような気がしてならない。


(あ...)


その瞬間、俺の脳裏にある人物の顔が浮かんだ。


はるさんだ。


先日のSNS炎上事件。天野を裏アカウントで攻撃していた、天野の一番の親友だった彼女。


あの時、俺には理解できなかった。なぜ一番近くにいる親友が、天野を攻撃するなんてことをしたのか。


でも今なら、少しだけ分かる気がする。


好きだからこそ、応援したいからこそ生まれる、この複雑な感情。


天野が輝けば輝くほど、自分が惨めに感じる。

一番近くにいるはずなのに、どんどん置いていかれるような気持ち。


はるさんも、こんな気持ちを抱えていたのかもしれない。


もちろん、俺は裏アカウントで攻撃するなんてことは絶対にしない。

でも、この「置いていかれる感覚」は、痛いほど理解できてしまう。


(俺も...同じなのか)


好きな人の成功を素直に喜べない自分。

その醜い感情に気づいて、俺は胸が苦しくなった。



「じゃあ、私そろそろ帰らなきゃ。明日、学校でね!」


天野は手を振って、スタッフの待つ車に向かった。


その後ろ姿を見送りながら、俺は改めて現実を突きつけられた。


天野は、一人で車に乗って帰っていく。

きっと今日の撮影の反省会をして、次の仕事の打ち合わせをして、俺の知らない世界で生きている。


一方の俺は、一人で電車に乗って家に帰る。

この違いが、俺たちの関係のすべてを物語っている。



それから数日、俺と天野の間にはぎこちない空気が流れ続けた。


「あのさ、黒瀬」


金曜日の放課後、荷物をまとめていると、クラスのイケメン陽キャの東城が声をかけてきた。


普段、俺みたいな奴に話しかけてくることなんてないのに、どうしたんだろう。


「天野さんと、何かあったの?」


俺は手を止めた。


「何かって?」


「いや、なんか天野さんが黒瀬のことを心配してたから」


心配?


「今日、ちょっと元気なかったよ。黒瀬ならなにか知ってるかと思って」


俺は胸が締め付けられるような気持ちになった。


「俺の天野への態度が傷つけてしまったのかもしれない」


「うーん、まあ、いつもの黒瀬って感じだったけど。でも天野さんは気にしてるみたいだよ」


東城の表情は意外に真剣だった。

普段はクラスの中心で明るく振る舞っている彼が、こんな風に俺のことを気にかけてくれるなんて思わなかった。


「余計なお世話だったらごめんな。忘れてくれ」


東城はそう言うと、バッグを肩にかけて教室を出ていった。


さらに追い打ちをかけるように、クラスメイトたちの会話が耳に入ってきた。


「天野さんと黒瀬って、本当に仲いいの?」


「なんか微妙だよね。天野さんばっかり話しかけてる感じ」


「黒瀬って、天野さんに釣り合ってないんじゃない?」


「まあ、あのレベル差はキツいかも...」


俺は荷物をまとめる手を止めた。


周囲の目には、俺と天野の関係はそう映っているのか。


天野ばかりが一方的に話しかけて、俺は冷たく応じている。

そして何より、「釣り合わない」という言葉。


俺も薄々感じていたことを、はっきりと言葉にされた気分だった。


家に帰る電車の中で、俺は今日一日を振り返った。


天野は相変わらず俺に話しかけてくれる。

でも俺は、うまく応えることができない。

周囲の視線を気にして、自然に振る舞うことができない。


そして撮影現場で見た天野の姿。あの輝いている天野と、教室の隅にいる俺。


どう考えても釣り合わない。


深夜になっても、俺はこの問題の答えを見つけることができなかった。


null として Hikari と深夜の世界で過ごしていた時間。

あの時は、もっと自然に気持ちを伝えることができていた。


でも現実世界では、俺は天野を困らせることしかできない。


自然と、俺たちの深夜の音声チャットの頻度も下がっていった。

俺が積極的に連絡を取らなくなったからだ。


天野は戸惑っていただろう。

でも俺には、この状況をどう説明すればいいか分からなかった。


「こんな自分が、天野と近づいていいのか...」


俺は枕に顔を埋めた。


天野とは住む世界が違う。


でも、諦めたくない気持ちもある。


この矛盾した感情を、俺はどう処理すればいいのか。


答えが見つからないまま、俺は重い気持ちで眠りについた。

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