ロアーナ・イルム・トラット令嬢の新しい人生 -2
「すごいなぁ。お母さまの付き添いで何度かパーティに行ったけど、こんな大規模のは初めてだよ。みんなの衣装も、会場もすごくおシャレだ。さすがは公爵家」
ユーリオンは目を丸くしているが、ロアーナ は「しっかり背筋を伸ばして、落ち着いて行動しなさい」と励ます。
「あなたはよく分かっていると思いますが、私たちの両親は、まっとうとは言えない人たちです。トラット男爵家を継ぎ、立て直すのはあなたです。ご挨拶すべき家門の方は覚えてきましたね?」
ユーリオンは頷く。
「もちろんさ。じゃあ早速、あちらの貴族たちの話に加わって来るよ。姉さまも、やりたいことがあるんでしょう? ご武運を!」
そう言って去る弟の後ろ姿は、まだ少年ながら頼もしい。
ユーリオンを見送ると、ロアーナは有力貴族または著名な事業家を探して会場内を彷徨った。シェナは、各テーブルからせっせとお菓子を集めながらついてくる。
そして。
(見つけた。あの方がトルエノ辺境伯)
ロアーナは、小声でシェナに囁いた。
「あの方が、私が今夜お会いすべき方です。あの方の動向を探って、魔法で居どころを知らせてください」
「それは予定通りやりますけど、あの人が辺境伯? なんだか、お城に迷い込んだ森のクマさんって感じですね」
くす、と笑いを誘われるロアーナ。ロアーナは、ある事情により感情表現に乏しいが、シェナの率直な物言いは、ときどきロアーナの気持ちをなごやかにしてくれる。
森のクマさん。確かにそう見えるかもしれない。
ふたりの視線の先、壁際でまずそうに白ワインを飲んでいるのは、黒っぽい騎士服に高身長を包んだ、無精ひげの男。伸び放題の黒い髪をガシガシと掻きあげると、金色の瞳がちらりと現れる。腰には剣。シェナの見立てでは「服よりお金がかかっていそう」な素人目にも立派な長剣だ。
隣に立つ、長い水色の髪をした騎士のほうがよほど貴族らしい洗練された容姿だが、それでもこの黒髪の野性的な騎士が、トルエノ辺境伯で間違いない。
今夜ロアーナが、ファーストダンスに誘う相手。そして、取引を持ち掛けると決めている相手だ。
ここで、主催者と賓客の到着を告げる声が響く。
楽団の短い演奏とともに、二階のバルコニーに姿を現したのは、複数の男女。
まずは、主催者であるサルディン公爵夫妻が夜会の始まりを宣言する。続いて、来賓挨拶として、このヴィッターリス王国の第一王女、西側連合国の代表である大国アルマトラン王国の第二王子、ヴィッターリス王国とは陸続きでともに野蛮族と戦うブラウリーデ聖王国の使節団代表である神官の挨拶が続く。
(えらい人の挨拶が長いのは、どの国でも同じね)
バレないようにあくびをかみ殺すロアーナ。
こうして、ロアーナ18歳の2月。ヴィッターリス王国の社交シーズンが幕を開けた。
まずはお酒と談笑を楽しむのがヴィッターリス王国流の夜会だ。
ロアーナは、美しいピンク色のスパークリングワインを手に、「ごきげんよう。ご挨拶させてくださいませ」と、夫婦二組で話している四人の貴族たちに声をかける。
見知らぬ間柄ではあるが、ファーストレディの証である薔薇の冠と真珠の飾りが、彼らの笑顔を友好的なものにする。
「やぁ、これは。社交界の新しい花に出会えて光栄だよ。どちらのお嬢さんか伺ってもいいかな?」
白髪の紳士の問いかけに、ロアーナは意識して微笑みを浮かべた。
「トラット男爵家のロアーナです。紳士がお持ちの杖が素敵で、つい声を掛けてしまいました。その美しい艶、黒檀でしょうか?」
「そう、その通りだよ。正直杖なんて何本も持ってるんだが、美しくてつい買ってしまってね。妻がいい顔をしないんだが」
ちらっと、視線を送った、隣に立つやわらかな雰囲気の中年女性が妻なのだろう。
ロアーナは、妻の気持ちに理解を示しつつも、紳士の自尊心をくすぐる。
「屋敷の家財をしっかり監督するのが夫人のお役目ですもの、尊敬すべきご夫人ですわ。ただ、こちら、あのイェマン工房の最新作ではございません?」
「おぉ、君、分かるのかね!」
「ふふ、はい。手に入れて自慢したくなるお気持ちも分かりますわね」
「紳士ものなのに、詳しいねぇ」
恐れ入ります、とロアーナは控えめに微笑んだが、ロアーナがこの品を知っているのは当然のことだ。杖工房イェマンは、10歳の頃からロアーナが所属し事業拡大させたオルジュ商会が手がける有力商品なのだから。
別の夫婦の夫人が話しかけてくる。
「トラット男爵家令嬢のお話、少し思い出しましたわ。たしかお体が弱く、暖かい土地へ療養に行かれていたと聞きました。最近お戻りになられたのですか?」
体が弱い、というところは嘘なのだが、ロアーナは動揺せず、はにかむように俯く。
「幸い、こうして皆さまとお話するのに不自由ないほどに回復いたしました。どうしても、華やかな夜会でデビューしたかったんですもの。色々とご指導いただけると嬉しいですわ」
自分の子どもほどの若い娘にこう言われては、紳士淑女を自認する貴族たちは寛大にならざるを得ない。
「そうかい、困ったことがあったら相談に来なさい。私はマレーア子爵だよ」
最初に話していた紳士が自己紹介してくれる。名乗りを上げるということは、今後コンタクトを取っても非礼にならないということである。
隣の夫婦も、名を名乗り、ロアーナは心の手帳にその情報を書き込んだ。
どちらも上顧客になりそうな貴族の夫婦だ、と。
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