#02 さくらぎつね
シロには、サクラという幼馴染がいた。
桜色の毛並みをした小柄な女の仔で、アザミの妹である。そしてシロと同い年だった。
彼女は病気がちで、ほとんど動くことができなかった。
だから、シロはよく彼女のところに来てお話をしていた。
シロは、祖父と一緒に進めている研究の話をよくしていた。
空を飛ぶための、研究だった。
出力は、足りている。しかし、操作が難しい。どうしても、真っ直ぐに飛べない。どうしたら、いいだろう?
そんな話を、サクラはいつも、にっこりと微笑みながら、聞いていた。進展があればシロと一緒に喜び、行き詰まっているときは一緒に考えたり、労いの言葉をかけたりしていた。
そんな彼女は、時々、少し寂しげに言うのだ。
「わたしも、そらをとんでみたい」
シロはいつも、こう返す。
「いつか、だれでもそらをとべるようにする! ぼくが、きっと、じつげんする! そうしたら、いっしょにいこう。そらの、むこうへ」
ふたりで頷いて、微笑んで、それぞれが決意を新たにするのだ。
シロは、飛行技術を完成させるために。
サクラは、自分が動けるようになるために。
いつか、一緒に飛ぶために。
燃えている。
たくさんの風切り音がして、炸裂音が聞こえて、地面が揺れ、悲鳴が聞こえ、建物の崩れ落ちる音がした。
シロは、少し離れた研究棟から急いで飛んできたのだが、彼の目に入ったのは、幼馴染の家が、半壊になって、燃え上がっている光景だった。
シロは、迷わず家の中に飛び込んだ。
サクラは、その時はまだ、生きていた。
彼女の両親が、彼女を瓦礫から守って、そして彼女の代わりに、息絶えていたからである。
シロはそれを察すると、サクラに駆け寄り、抱え上げようとした。
その時だった。第一波の後発組だろうか、あるいは第二波だろうか。次の爆撃が始まったのだ。
風切り音が聞こえて、直後、シロは吹き飛ばされた。
そして、気絶してしまった。
はっとして起き上がると、あたりは火の海だった。
そして、認識して、しまった。
幼馴染が、半分しか、ないことに。
残りの半分は、見当たらなかった。
彼は、理解して、しまった。
ふらふらと立ち上がると、空を、見上げた。
『わたしも、そらをとんでみたい』
彼女の憧れた空は、彼女を殺したゴミどものせいで、ひどく汚れていた。
「いっしょにいこう。そらの、むこうへ」
口癖になっていたその言葉とともに、シロは浮かび上がった。
身体を青白い光が覆っていく。
いつになく、姿勢が安定している。
どのように風が流れるのか、体はどのように動くのか。全てがはっきりと、理解できた。
それを、単に好都合だと、彼は思った。
空を見上げると、緑色の光がいくつも見える。
武器になりそうなものは、ない。強度に心許ない爪と、まだ育ち切っていない牙。それしかない。
でも、彼には、関係なかった。
凄まじい風を放つと、彼は夜空に消えた。
殺戮劇が、始まったのである。
◆◆◆◆◆
僕は、シロたちに連れられて、とある場所に向かっていた。
それは、彼らの技術の中核。つまり飛行を可能たらしめた推進源。その生産・保管施設である。
聞けば、推進力を獲得する原理的な部分に関しては、爬虫類どもの使用している技術とだいたい同じらしい。
しかし、爬虫類のそれとは異なり、なんと、無制限に使用し続けられるのだそうだ。本当だとすれば、とんでもないことになる。
爬虫類たちが飛べなくなるまで、追いかけまわすことが可能なのだ。それはすなわち、大いなる反撃の機会を得たということである。
これから、その技術の開発者に、僕の機械翼を見せるらしい。
「これから会う技術者、コゲチャは、シロの祖父にあたります。少し変わった方ですが、きっと機械翼を気に入ってくれるでしょう」
気に入るのは、機械翼の方らしい。
アザミの話し方に嫌味なところは感じられないので、本当にそういう狐なのだろう。とにかく、会ってみなければ。
僕らは、庁舎の裏側から出て、やや細い道をしばらく歩いていた。歩き通しだったので少し疲れを感じているが、そんなことを考えている余裕などない。一刻も早く、僕は推進機関を手に入れなければならないし、彼らには彼らの機械翼を作ってもらわなければならない。
しばらく歩いていたが、あまり目立たない小ぶりな建物の前で、アザミとシロが立ち止まる。
「こちらです。中は狭いので、出てきてもらいますね」
アザミはそう言うと、その建物の中に入っていった。
ずいぶん小さい建物だが、本当にここでその推進機関を製作したり、保管したりしているのだろうか?
ふと横を見ると、シロが耳を押さえてうずくまっている。
え? 具合でも悪くなった?!
僕は焦って声をかけようとしたが、彼がそんな行動をとった理由は、すぐに判明した。
「起きなさああああい!!!!!!!」
凄まじい声が、僕の耳をつんざいた。
たぶん女性の声。建物の中から聞こえてきたということは、アザミ……が発したのだろうか? いまの声を?
「うおおおあああっ!?」
別の叫び声がきこえて、それから、たくさんのものが崩れ落ちるような、そんな音が続いた。
理解できずに立ち尽くしていると、中から、アザミに引き摺られて、茶色の老狐が出てきた。硝子の眼鏡をかけているが、ずり落ちそうだ。
「もう、おじいちゃんたら。また、ゆめのなかで、けんきゅうしてたの?」
シロがそんなことを言う。
すると、その老狐は天を仰ぎながら、叫び始めた。
「そうだとも! 惜しかった! あと少しで! あと少しで!! 尻尾を2本以上に増やす方法が! わかるところだったのに! この、音響兵器お嬢さんが! ……あ、いや、なんでもない。なんでもないぞ……?」
アザミに睨まれ、老狐は途中から元気がなくなっていった。
「……はあ。もう、コゲチャさん。机を噛みながら寝ないでって何回も言いましたよね? 大変なんですよ? 掃除するの」
それは……大変そうだ。
アザミは僕の方を向くと深々と頭を下げた。
「申し訳ありません、クロさん。技術者、研究者としては中々なのですが、いろいろとだらしなくて……」
本当に申し訳なさそうにしている。そこまですることでもないと思うけれど。
「ええと、お気になさらず」
まあ、技術者なんてそのくらいでいいのではないかな……などとは、さっきの光景を目にした以上は口に出すわけにもいかず、僕は曖昧な笑みを浮かべて答えた。
「ねえ、おじいちゃん! 見てほしいものがあるの」
シロが口を開いた。
すると、しょぼくれた様子だった、ゴゲチャ……と呼ばれていた気がする老狐は目に見えて元気になるとシロの方に駆け寄る。
「シロ! なんだね、もっと高効率な推進機関が欲しいのか? いや、見て欲しいものと言っていたね。もしかして、今度の試作品は壊れてしまったのかな?」
「ちがうよ! チャガマ市から、たぬきのクロさんが来てくださったの! すごいつばさをもってきて……」
「つばさ? 翼だと!?」
老狐が、僕の方を見る。
目が爛々と輝いていて……ちょっと怖い。
「……ええっ!?」
僕は思わず叫んでいた。
なぜって?
この老狐は、僕が瞬きをした次の瞬間には目の前にいたのだ。しかも、さらに、さらに、にじり寄って、くる!
近い! 怖い!
「わわっ!?」
鼻が触れそうなほどの距離まで詰められて、僕はのけぞり、そのまま反射的に逃げだした……はずだったのだが。
なぜか、派手に、ずっこけた。
尻尾を、踏まれている!?
「ほう、これか。まさかこれは、展開するのか!? 展開して飛ぶのだな! どのくらいの速度がいるのだ! いや、必要ない。見ればわかる! 走ったくらいじゃ足りないだろうから、射出装置を使うのだろう! 山頂あたりから飛び出し、滑空するのか! そのあとは、山の風を掴むのだな。うむ、作らせろ!!!」
僕の背後で、なにやら鼻息荒く老狐が捲し立てている。
かなり怖い。
そして、痛い。
尻尾を踏まないで、せめて爪は立てないで?!
僕が痛みに耐えていると、ぶんっと大きな風音がして、僕の尻尾は解放された。
「ふぐぇっ」
何かがぶつかる音と同時に、老狐が変な声を上げる。
「いいかげんにしなさい! なんて事をしているんですか! お客様ですよ?!」
アザミが怒っている。
「ぐぅ……お嬢さんの尻尾は相変わらず質量兵器なのだな……いや、なんでもない! なんでもないぞ! ふぎゃっ」
アザミがその狐らしい大きな尻尾で老狐を吹っ飛ばしていたらしい。彼女、脚に怪我をしていた気がするけれど、大丈夫なのだろうか。
尻尾に吹っ飛ばされ、再び情けない声を上げた老狐が、今度は僕の目の前に転がる。
「歳上を敬うように、習わなかったのか!? 老体への乱暴もいけない事だと思うぞ! まったく、なんて乱暴なお嬢さんなんだ……いや、違う、た、助けてくれ、狸の少年よ!」
アザミに睨まれて、老狐は僕の後ろに隠れる。
なにこの残念なお爺さん……。
彼女の気持ちが少しわかってきてしまった気がする。
アザミは深いため息をつくと、静かに口を開いた。
「要件を、話しましょうか」
だいぶ行動のおかしい老狐、ゴゲチャであったが、こと技術に関しては目を見張るものがあった。
実際、先ほどは、初めて見るはずの機械翼について、折り畳まれた状態であったにも関わらず、ほぼ全ての機能と性能を言い当てていたわけで、この世には天才がいるのだと改めて思い知らされた。
暴走する彼と話をするのは大変だったが、ともあれ、機械翼の価値は伝わったと思う。
ここからは、僕が提供してもらう番だ。
今、僕は、ゴゲチャの研究棟の中に入れてもらい、現場を見させてもらっていたのだが。
これは……ひどい。
先ほど何かが崩れたのもあるだろうが、書類はごちゃごちゃしているし、何日か分のお皿が積み上がっていたし、机には本当に噛み跡があった。
皿は流石に、激怒したアザミによってすぐに回収されていたが、それでもなお、中は大変なことになっていた。
そこかしこに、透明な小石みたいなものが積み上げられていたのだ。脚の踏み場もないとはこのことだろう。
最初はゴミなのかと思ったが、聞けば、この小石こそが、推進機関の中核となっているものらしい。こんな雑に扱われているとは。
しかも、ひとつひとつに個性があるらしく、それを聞いたとき僕は焦ってしまった。
ちょうど、積み上げられた小石の塊を、片付けのためにと、布袋に移し始めたところだったからだ。
「何も問題はない! 見ればわかるからな!」
ゴゲチャがそう言うので、そういうものなのだろう。たぶん。
ともあれ、僕はようやく、推進機関を貸してもらえることになった。
ただ、それを身につける前に、いろいろなことをしないといけないらしい。具体的に言うと。
「ふ……ふひぇっ!?」
と、変な声をあげているのは僕だ。
尻尾をめちゃめちゃ触られている。
推進機関の調整には必要な作業らしいのだが、ムズムズするし、くすぐったい。
かと言って、思わず尻尾を動かしてしまうと。
「動くんじゃない! 毛の長さが測れないではないか!」
などと怒られて、やり直しになる。
そんなことを、かれこれ5回も繰り返していた。
「ごめんなさい、クロさん。おじいちゃんは、いじわるしているわけじゃ、ないんです」
シロが謝ってくれるが、それでこのムズムズが解消されるわけでもないので、かえって、つらい。
結局、僕がこれを我慢できていないのが悪いわけで……。
「ふぇっ!?」
不意に尻尾の下を触られて、また変な声を出して、やっぱり動いてしまった。そしてまた怒られる。
「やり直しが2桁になったのは久しぶりだぞ! 狸の少年、君はあまりに弱すぎるぞ!」
あんまりだ。他の狐達がどうかは知らないけれど、尻尾をもみくちゃにされて平気なやつなんているのか?
僕はそれでも気合いを入れ直して、もみくちゃ地獄に立ち向かう。
尻尾を持ち上げたりひっくり返したり、引っ張ったりまさぐったり……といったことをされているようだが、自分からは見えないので、ただただじっと耐えるしかない。
「……ひいっ!?」
「またか! もう少し頑張れないのか?!」
さっきよりは、長く耐えた、気がするんですが!?
……最終的に、測定が無事に終わって尻尾を解放されるまでに、15回の挑戦が必要だった。
「大変な1日だった……」
いい匂いのする藁の塊の中に倒れ伏しながら、僕はため息をつく。
測定が終わり、戦時下にしては多めの食事をシロやアザミ、そして他の防空隊の面々と一緒に済ませて。
僕はその時、押し寄せてきた疲労に抗えず、迷惑にならない場所を聞いた。野宿をするつもりだったので、街から離れた、あるいはいても邪魔にならない場所がないかと質問したのだが。
アザミが気遣ってくれ、かつてこの街の警備隊が住んでいた宿舎に案内されることとなった。
他にも数名の防空隊員が寝泊まりしているらしい。
街の中心からは少し離れた、険しい山肌に張り付くように建てられた建物で、山肌に開いた穴を利用して造られていた。構造としては、基本的には旧式の巣穴型建築であるが、現代型の壁やら天井やらを地形に合わせて加えたように見える。
この場所にある理由は、そこに着いて振り返った時に理解できた。
盆地にある街からは少し離れた山に作られているので、街全体を見下ろすことができたのである。あるいは、この宿舎自体が拠点になることもあるのかもしれない。
雲の合間から太陽が顔を出し、その夕陽に照らされ、半分以上が真っ黒になった街が、眼下に広がった。
ここが防空隊の宿舎になった理由は、あるいは、他にもあるのかもしれないと、周りの狐たちの様子を見ながら、そう思わずにはいられなかった。
ともあれ、僕はようやく、疲労を癒やす場所を、確保したのである。
藁に埋もれながら、ぼうっとしてきた頭の中で、出来事が整理されていく。
ひたすら歩いてたどり着いたこの街で、僕は、推進機関を見つけた。シロさんという空の天才に出会った。老狐……ゴゲチャは……すごかった……。そういえば身体を洗ってなかった……明日でもいいかな……。アザミさんは……乱暴な……質量兵器……。
なんだか失礼なことを考えていたような気もしたが、修正するほどの力も残っていなかった。
僕の意識は、あっさりと途切れた。
「敵襲!」
狐の誰かの叫びに、僕はハッと目を覚ました。
慌てて、目立たないように巣穴から這い出し、外を伺う。
街は真っ暗だった。
照明をつけないのは、敵から見づらくするためだろう。この辺りはチャガマ市と同じだ。
すでに街そのものが発見されているとは言え、夜間攻撃なら最初の目標はやはり灯りとなるだろうから、当然である。
今日は曇り空のため、あたりは本当に真っ暗だ。気配で、防空隊の狐たちが何かを準備しているのを感じる。
敵襲、だったか。
空を見上げると、遥か彼方に、緑色に光る小さな点がいくつも見えていた。……奴らだ。
憎しみと恐怖が、同時に心を満たす。
最後にあの光を見たのは、カチカチ市が焼かれた、あの日だ。
あの後、街は、全て、焼き尽くされたのだ。
そうだと知らなければ、あの緑色の光の点々は、美しくさえ見える。実際、あの時、幼かった僕は、アレを美しいと、思ってしまったのだ。
噛み締めた口から、ギリリと音が漏れる。
いや、待て。
憎しみを抱くより、怒りに打ち震えるより、すべきことが、あるだろう。
僕は、深く、ため息をついた。
一度目を伏せ、再び空へと戻す。
狐たちは、彼らへの対策を、練ってきたはず。
おそらくは、意識干渉による、不意打ち。あれを、やるはずだ。
アザミたちの話によれば、これまでに12回ほどの攻撃に晒され、最初の5回はシロだけが、そしてここ3回は、他の狐たちも出撃するようになったそうだ。
僕は、その様子を、見なければならない。
僕もいつか加わる、空の戦いを、今は、地上で、見なければならないのだ。
不意に。
上空に気配がいくつも現れた。
青い光が、緑色の点よりも上空で、いくつも輝き始めた。
青い輝きは急降下して、緑色の光と交差する。
見た目は、地味だった。
青い光の通過したところから、緑色の光がぽつぽつと、消えていく。
「すごい……」
練度は十分ではない、などと考えていたが、予想より遥かにしっかりと訓練されている。
青い輝きは、緑色の光の下に回り込むと、再び見えなくなる。
意識干渉の力だ。
よく考えれば、これほど離れているのに気配すら感じさせない彼らの意識干渉技術に関しても、正直、目を見張るものがある。
「いつか、僕も……」
あの中に混じって、敵を屠るんだ。
強い決意を秘めながら眺めていると、状況は次第に変わり始めていた。
圧倒的に見えた狐たちであったが、次第に押され始めている。
緑色の点が、どんどん、増えているのだ。
最初の一団などとは比較にならないほどの数が、夜空に現れていた。
青い輝きがいくつも降り注ぎ、緑色の点は消されていったが、それでもついに間に合わなくなる。
緑色の点が、突破し始めたのだ。
まずい、かもしれない。
「そういえば、シロさんはどうしたのだろう」
ふと思い出してあたりを見回していると、それは、現れた。
街の真ん中あたりから、凄まじい輝きを放つ青い点が、飛び上がったのだ。
殺気でわかる。
あの輝きこそ、シロだ。
もはや、隠す気もないその強烈な存在感をあたりに撒き散らしながら、青い輝きは、特に緑色の密集している場所に突っ込む。
すぐに、緑色の光は、なくなってしまった。
青い輝きは真っ暗な空を切り裂き、行く先行く先の緑色の光を、消していく。
その間に、他の狐たちは、先の討ち漏らしを狩り始めた。
さっきまで増える一方だった緑色の光は、急速に減っていく。
その光景を、僕は息をするのも忘れて、見入っていた。
前言撤回だ。
彼らは、空を、手に入れていたのだ!
そらの、むこうへ。 夜塩 @broadleafofT
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