第18話 目には目を、歯には歯を、おやすみにはおやすみを

「ふう……」


 深呼吸しながら時計を見ると、もう十分経っている。ヨッシーさんが予定していた時間をオーバーしていた。落ち着く。短かったけど楽しく話せたし、何より繋げると思ってなかったので、声を聞けただけで満足していた。


「ヨッシーさん、そろそろ切らないとだよね」

「うん……そうですね」


 時間に気付かないフリもできたけど、それは「少しだけ」と前置きして連絡してきてくれた彼女に申し訳ない。


「また話そうね。ヨッシーさんと話すの、楽しいからさ」


 すると、彼女は小さく息を吸って、口を開いた。


「私も、ムックさんと話すのすっごく楽しいからさ、また話そうね?」

「…………え?」


 その言葉が、脳内で何度もリフレインする。


「……?」

「いや、ヨッシーさん、今、タメ口だったなって」

「あっ!」


 ようやく気が付いたらしい彼女は「わっ、わっ」と一人で慌ただしくリアクションしていた。


「ムックさん、ごめんなさい! なんか、次に繋いだときにどんな話しようかなって考えてたら、なぜか敬語抜けちゃって……」


 彼女の素直な返答が嬉しい。そして、俺が押すとしたらここしかない。


「いや、むしろ俺はそっちの方が――」

「あ、待って!」

「え?」


 ヨッシーさんは俺の言葉を制す。あれ、断られるのかな……。


 彼女は、「えっと……」と言い淀んだ後、唾を飲む音が聞こえた。


「それ、私から言ってもいい……?」

「あ、え、良いけど、何を?」


 意図が分からず首を傾げていると、彼女はコホンと僅かに咳払いする。


「敬語を抜きたいって、私から言いたくて」



「そう、なんだ」


 どうしよう、俺は今夜、興奮と恥ずかしさで死んでしまうかもしれない。


「私もね、学校では仲良い人とはタメ口なの。ムックさんともすごく距離が近くなったから敬語やめたかったんだけど、なんか通話だけの関係だとどのタイミングで切り替えていいか分からなくて……#つわぼの人とそういう関係になったこともないし……」


 そっか、ヨッシーさん、俺以外とはこんなに仲良くなってないんだ。特別感があって、それもすごく嬉しい。


「でも、気が抜けたらつい敬語が抜けるくらい、ムックさんとは仲良くなれたって思ってるから……だから、タメ口になってもいい?」

「もちろん! よろしくね!」


 そう言うと、スマホの向こうから照れ笑いするような声が聞こえた。


「うん、私の方こそよろしく!」


 こうして俺は、ヨッシーさんとタメ口で話せる仲になった。


 高揚感に包まれたまま、寝る前の挨拶をする。


「じゃあヨッシーさん、おやすみなさい」


「あ、うん、えっと……」


 そう言ったきり、ヨッシーさんは黙りこんでしまった。どうしたんだろう。


 そして、数秒してから、ゆっくりと話し始めた。


「あの、ムックさん……一つだけ……お、お願いがあってね……」

「お願い? 別にいいけど、どしたの?」


「えっと、その……はわわ」

「はわわ?」


 どうしたんだ、めちゃくちゃ可愛くなってるぞ。一体何があったんだ。


「ご、ごめん、ちょっと緊張しちゃって……それで、あの、お願いっていうのはね……や、やっぱりやめた、気にしないで!」

「気になるよ!」


 ここで引き下がれるわけないでしょ!


「ちゃんと聞くから、ね、教えて?」

「ホ、ホントに? じゃああの……最後の挨拶、『おやすみなさい』じゃなくて『おやすみ』にしてくれない?」

「おやすみ? うん、大丈夫だけど」


 そんな簡単なことなら、と思ってると、もう一つ桜さんから重ねられる。


「あの、それで……できたら実際に挨拶する前に、先に言ってほしいなって……」

「え? 切る前にも言うけど、今この場でも言ってほしいってこと?」

「そう! その、ムックさん、声素敵だから、ちゃんと聞きたいなって」


 そんなに俺の声を気に入ってくれてるんだ。なんかすっごく嬉しいぞ。


「分かった、じゃあ言うね」

「わっ、ありがとう! ちょっと待って、正座するから」

「なんで!」


 そんな身構えられると逆に緊張しちゃうんですけど。冷静に考えると、脈絡なく「おやすみ」って言うのって結構恥ずかしいし。


 俺は微かに咳払いする。そして。


「ヨッシーさん、おやすみ」


 しばしの沈黙の後、「うわあ」と感嘆のような声がスマホから漏れた。


「なんかドキドキした! ムックさん、ありがとう!」


 お礼を言われたものの、羞恥プレイをされたようで気恥ずかしい。


 ちょっと反撃してやろうと、俺の中にいたずら心がむくむくと芽生えた。


「ふふっ、じゃあヨッシーさん、俺からも一つお願いしてもいい?」

「えっ、いいけど、なに?」


「お返しでさ、ヨッシーさんも『おやすみ』って言ってよ」

「ええっ! 私、からですか?」


 そう言う彼女は「ひゃわっ」と声を漏らしていて、明らかに動揺している。

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