第22話 最期の時

京の六条河原。私にとって、この場所は、生と死の境となるはずだった。徳川家康殿との対面を終え、私の処刑は、もはや避けられない運命として、静かにその時を待っていた。しかし、その最期の時まで、私の心は、豊臣への忠義と、家康殿への反骨心を失うことはなかった。


縄で縛られたまま、私は処刑台へと引き立てられた。周囲には、私を罵る京の民衆と、勝利に沸く東軍の兵士たちがひしめき合っていた。彼らの視線は、敗軍の将である私を、まるで晒し者のように見つめていた。だが、彼らの憎悪の眼差しは、もはや私の心には届かなかった。私の意識は、すでに死の彼方へと向かっていた。


処刑台に上ると、私は、故郷の近江の空を仰いだ。遠くには、琵琶湖の気配が感じられるような気がした。その湖畔には、かつて私が築いた佐和山城があった。今は、家康殿の東軍によって焼き払われ、見る影もないだろう。私の人生の全てを捧げた城が、今、灰燼に帰している。その事実が、私の胸を締め付けた。


私の隣には、小西行長殿と安国寺恵瓊殿が立っていた。彼らもまた、私と同じく、西軍の主要な将として、家康殿に反旗を翻した者たちだ。行長殿は、私と同じく憔悴しきっていたが、その表情には、最後まで武士としての矜持を保とうとする気概が見て取れた。恵瓊殿は、僧侶でありながら、政治に深く関わり、毛利家の外交を担ってきた男だ。彼は、もはや諦観の境地に達しているかのようだった。


三人の首は、この六条河原で晒されることになる。それは、家康殿が、私を「天下の乱臣」として、その罪を天下に知らしめるための、最後の見せしめであった。


私の脳裏には、太閤豊臣秀吉公の顔が鮮明に浮かんだ。太閤は、私に多くの恩を与え、私を重用してくれた。私は、その太閤への恩義に報いるべく、ひたすら天下泰平のために尽力してきた。そして、幼き秀頼様をお守りすることこそが、私の最後の使命であると信じてきた。しかし、その使命を果たすことができなかった。その無念さが、私の心を深く苛んだ。


そして、大谷吉継殿の顔が浮かんだ。病に蝕まれながらも、私のために最後まで戦い抜き、自ら命を絶った友。彼の忠義と覚悟は、私にとって、生涯忘れ得ぬものであろう。彼の死を無駄にしてしまったという悔恨が、私の胸を締め付けた。


「吉継殿…、貴殿の分まで、私は、最後まで武士として、この死を受け入れようぞ…」


私は、心の中で、吉継殿に語りかけた。


その時、処刑人が私に近づいてきた。彼の顔は、無表情であった。私は、静かに目を閉じた。私の心は、もはや恐怖に囚われることはなかった。


私は、最後の力を振り絞り、口を開いた。何か、この世に言い残すべきことはないか。家康殿への最後の反抗か、それとも、秀頼様への別れの言葉か。


しかし、私の口から出たのは、意外な言葉だった。


「柿は、毒である故、食べられませぬ…」


処刑人が、私の最期の言葉を聞き届けようと、耳を傾けていた時、誰かが差し出した柿を見て、思わず漏れた言葉であった。その場にいた人々は、私の言葉に呆気にとられた。死を目前にした男が、なぜ柿について語るのか。


その言葉は、私の生きた証である。私は、常に合理的に物事を考え、無駄を嫌う男であった。病のために、あるいは何らかの毒がある故、柿を食べられないという私の言葉は、最後まで私自身の本質を表していたのかもしれない。あるいは、それは、家康殿の天下が、私にとって毒であるという、最後の皮肉であったのかもしれない。


処刑人の刀が、振り上げられた。その刃が、光を反射して、私の目に焼き付いた。私は、静かに死を受け入れた。


慶長五年九月十九日。私は、この六条河原で、その短い生涯を終えた。享年四十。


私の死は、徳川家康殿の天下統一を、決定的なものとした。関ヶ原の戦いで、西軍は敗れ、豊臣家の権威は失墜した。家康殿は、その後、着実に天下を掌握し、江戸幕府を開き、長きにわたる平和な時代を築き上げた。


しかし、私の心は、最後まで豊臣への忠義を貫き通した。私は、家康殿の天下を認めなかった。私の信念は、たとえ肉体が滅びようとも、決して揺らぐことはなかった。


私は、石田三成。私は、豊臣秀吉公の忠臣として、天下泰平の世を願い、幼き秀頼様をお守りするために、この身を捧げた。私の生き様は、人々に様々な評価を下されるだろう。しかし、私は、自分が信じる「正義」のために、最後まで戦い抜いた。


私の最期は、確かに悲劇であった。しかし、私の魂は、今もなお、豊臣の旗の下に、生き続けていると信じている。いつか、この天下に、再び豊臣の光が灯る日を、私は、静かに見守り続けるだろう。

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