逆関ヶ原
たぬき屋ぽん吉
第1話 嵐の予兆
慶長三年、初夏の気配が色濃くなってきた頃、伏見城の奥深くに重苦しい空気が澱んでいた。太閤豊臣秀吉公の御病臥は日ごとに重く、その報せは、城内の誰もが口にせずとも、ひしひしと感じ取れるほどに、人々の心を蝕んでいた。私は、五奉行の一人、石田三成として、日夜その動静を見守っていた。城の一室で、私は静かに、しかし全身でその報に耳を傾けていた。もはや御回復の兆しは見えず、太閤の命の灯が風前の灯であることは、歴然としていた。
太閤が天下を統一されて以来、幾多の苦難を乗り越え、築き上げられた豊臣政権は、その比類なきカリスマと、厳格な法度によって秩序を保ってきた。しかし、その求心力は、太閤の衰えと共に確実に失われつつあった。まるで、巨大な船が、その舵取り役を失い、大海原を漂い始めるかのように、天下は大きく揺らごうとしていた。
中でも、徳川家康殿の存在は、日増しにその威光を強めていた。彼は、太閤の御世において、常に一目置かれる存在ではあったが、太閤の生前は、その知略と忍耐をもって、表面上は恭順の姿勢を崩さなかった。しかし、太閤の病が重くなるにつれて、その隠された野心が露わになり始めていた。まるで、静かに水底に潜んでいた巨魚が、水面の静けさが破れるのを待ち構えていたかのように。
私は、奉行として、太閤の天下泰平の夢を継ぐ者として、その動きを看過することはできなかった。家康殿は、太閤の縁戚であるにも関わらず、豊臣家の基盤を揺るがすような動きを始めていた。特に、太閤が定めた「大名間の私的な婚姻を禁じる」という法度を破り、伊達政宗や福島正則といった有力大名たちとの間で、公然と婚姻関係を結び始めたことは、私にとって、まさに宣戦布告に等しい行為であった。これは、豊臣家への明らかな反逆であり、家康殿が天下を狙っている何よりの証拠であった。
私は、この事態を座視することはできないと確信していた。五奉行の職責を全うし、幼き秀頼様を盛り立て、太閤が築き上げた豊臣の天下を維持することこそが、私の使命であると信じていた。しかし、家康殿の策謀は、私が想像する以上に巧妙であり、すでに多くの大名たちが、その甘言に誘われていた。
中でも、私と反りが合わない加藤清正や福島正則といった武断派の者たちは、家康殿の意向に沿うかのように、私に対する不満を露わにし始めていた。彼らは、太閤の御恩を忘れ、私を「奸臣」と罵り、ことあるごとに私を糾弾した。彼らの背後には、常に家康殿の影がちらついていた。
私は、彼らの浅はかさに憤りを感じたが、感情に流されることなく、冷静に情勢を分析しようと努めた。家康殿は、武断派の者たちを利用し、豊臣家臣団を内部分裂させようとしているのだ。彼らの口から出る不満や批判は、すべて家康殿の仕組んだ罠であると、私は確信していた。
しかし、私の孤立は深まるばかりであった。太閤の求心力が失われた今、私の発言力も弱まり、周囲の信頼を得ることが難しくなっていた。まるで、荒れ狂う波間に、たった一人で小舟に乗っているかのような心細さを感じていた。
日ごとに衰弱していく太閤の御病臥の報せが届くたびに、私の焦燥感は募るばかりであった。残された時間は少ない。私は、このまま座して死を待つわけにはいかなかった。豊臣の天下を守るため、私は、たとえこの身がどうなろうとも、戦うことを決意していた。この嵐の予兆は、やがて来るであろう激しい戦いの前触れであった。私は、来るべき戦いに備え、静かに、しかし強く、心の中で決意を固めていた。
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