紙片に眠る刃
玄道
眠る虎──環
夜十時。
リビングのテレビが、淡々とニュースを流している。
『逮捕された会社員の
画面の中、アナウンサーが名と罪を読み上げる。
──五人殺しか。責任能力、認められるのかな。
『母親で無職の、
──自分の胎で育てて、自分の手で殺すのね。
──何か、違うんだよね。
私は髪を乾かしながら、ぼんやり思う。
人を殺したくて仕方がない女子高生。
このことは、誰にも話したことがない。
ドライヤーの風が髪を揺らす。
鏡に映る自分は、透き通るような白い肌に、細く柔らかな黒髪を肩で揺らしていた。
どこか儚げな印象だと、時々思う。
大きな黒い瞳は、ガラス玉のように澄んでいる。
困ったようなハの字眉が映り、ふいに微笑むと、その中に繊細さと明るさが同居しているのが自分でも分かった。
「気持ち悪、部屋戻るね」
「子供の観るもんじゃないわな」
父は、いつも通りだ。騙すのは簡単。
◆◆◆◆
二階の自室。
本棚の鍵を外す。
『夢の中、今も』
『絶歌』
『息子ジェフリー・ダーマーとの日々』
『オリジナル・サイコ』──
実録犯罪の書籍が、ずらりと並ぶ。
その隙間に、コールドスチール社製のナイフが一振り。
──こんばんは、みんな。
今夜は、グレアムと逢い引きする。
ふふ、人の心なんて無いわね、彼も。
アンチモンはいらない。毒なんてつまらない。
──ああ、一度でいいから、人の肉に刃を突き立ててみたい。
グレアムに別れを告げ、本棚に鍵をかける。
参考書や文庫本、漫画たちが、彼らの隠れ蓑。
──おやすみ、紳士諸君。
◆◆◆◆
翌朝、学校。
「もうさ、
「あたしは今でもビョンホンだな~、環は?」
「知ってるでしょ、
「環、泳げないもんね~」
──海猿じゃないよ、
「そ、王子様なんだ!」
──モリタートを歌う様が痺れるのよね。
「でさ、今日誰が当てられると思う?」
──次、
保高は、端正な顔立ちと、柔らかな黒髪。
穏やかな表情の奥に、時折鋭い光を宿す瞳。
私は、あまり彼が好きではない。
自分を抑えているというか、誰に対しても壁が厚い気がする。
いつも防水加工のメモ帳を持ち歩く姿は、まるで刑事みたい。
「私かもね」
「環、現文は得意だからいいよね~」
みんなが頷く。
「へへっ」
◆◆◆◆
「では、ここを……三河さん」
「『しかし、その時、眼の前を一匹の兎が駈け過ぎるのを見た途端に、自分の中の人間は忽ち姿を消した。』……」
『山月記』は好きだ。
李徴のような男でも、獣になれば、血に抗えなくなる。
そこに、人間性の限界を見る。
「『今少し経てば、己の中の人間の心は、獣としての習慣の中にすっかり埋もれて消えてしまうだろう。』」
「そこまで、ありがとう。この場面で読み取れるのは、人の心がある苦しみからの解放で……」
──え? それで正しいの?
──そっか。ふふ。
予鈴が鳴る。
「今日は、ここまでです」
◆◆◆◆
「保高先生!」
授業後の廊下。
人のいない場所で、スーツ姿の若い男を呼び止める。
「ああ、三河さん。いつも授業態度は模範的で……」
「李徴は、虎になって幸せだったと思いますか?」
即答だった。
「ええ」
「なぜです?」
彼は、声を潜めて言った。
「誰にも言ってはいけませんよ……人を殺しても罰せられないからです」
その瞬間、後光が差したように感じた。
「先生も、そう思われますか?」
「……生徒指導室、今なら人がいませんね」
私は頷く。
喉が、ごくりと鳴る。
「安心してください、ここは学校です。少し三河さんが心配なだけです」
「は、はい」
──気付かれた?
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