星詠のアストリオン ~父の星図と始まりの色~
梓川奏
プロローグ
その男、リアム・アークライトは、独り、風雪吹き荒れる極北の山脈にいた。吐く息は瞬く間に凍てつき、まつ毛には氷の粒が白く宿る。使い込まれた革の冒険服はところどころが擦り切れ、その顔には、長年の探求の疲労と、しかしそれ以上に強い意志の光が刻まれていた。
彼の目の前には、古代の民が築いたとされる、巨大な天文台の遺跡が、氷河の中から黒々とした姿をのぞかせている。リアムが手にしていたのは、星々の運行を精密に写し取った、金属板の地図。そして、首から提げた真鍮製の方位盤「星の道標」は、この極寒の地にあって、かすかな温もりと、そして確かな方向を示し続けていた。
「……ここか。ついに、ここまで来た……」
リアムの掠れた声が、風の唸りにかき消される。彼がその生涯を賭して追い求めてきたもの——世界の根源に関わるという伝説の力、『始まりの色』。そして、その在り処を示すという、失われた『原初の星路図』。その最後の断片が、この凍てついた遺跡の奥深くに眠っているはずだった。
それは、ただの知的好奇心から始まった旅ではなかった。この世界の精妙なバランス、星々の歌が織りなす調和、そして、そこに生きる全ての人々のささやかな幸福——それら全てを守るための、孤独な戦いだった。
なぜなら、彼だけが知っていたからだ。その根源の力を悪用し、世界を混沌と支配の渦に陥れようと企む、邪悪な組織の存在を。
「……追いついたぞ、リアム」
不意に、背後から氷のように冷たい声が響いた。振り返ると、吹雪の中から、漆黒の鎧に身を包んだ複数の人影が、音もなく姿を現していた。その胸元には、例外なく、歪んだ円卓を象った黒曜石の紋章が、不気味な光を放っている。「黒曜の円卓」——世界の裏側で暗躍する、禁断の知識の探求者たち。
「……お前たちか。どこまでも、しつこい蝿どもめ」 リアムは、腰のショートソードに手をかけながら、忌々しげに吐き捨てた。
「その地図と、お前が持つ『星の道標』を渡してもらおう。我らが主の御業のため、貴様の探求の成果は、全て我らが受け継いでやる」 黒曜の円卓の騎士たちが、じりじりと包囲の輪を狭めてくる。多勢に無勢。この極寒の地で、まともに戦って勝ち目がないことは、リアム自身が一番よく分かっていた。
(……すまない、セーラ。そして……エリアナ)
リアムの脳裏に、遠いアストリアの地で待つ、愛する妻と、まだ幼い娘の顔が浮かんだ。娘のヘーゼル色の瞳は、自分と同じように、星々の輝きを宿していた。いつか、彼女もまた、この世界の謎と美しさに魅了され、自分と同じ道を歩むのかもしれない。
(だとしても、こんな重荷を背負わせてはならない。だが……もし、万が一、お前がこの道を選んだ時のために……)
リアムは、一瞬の覚悟を決めた。彼は、最後の力を振り絞り、手にしていた金属板の地図に、自らの血とマナを注ぎ込む。そして、古代の星詠の言葉を、誰にも聞こえぬ声で囁いた。
「——星よ、我が想いを、我が道を、未来へと繋げ。いつか、真の『星図師』が、この声を聞き届ける、その時まで……!」
その言葉と共に、地図は眩い光を放ち、その表面に刻まれていた星図の一部が、まるで生きているかのようにその形を変え、そしていくつかの重要な情報が、深い闇の中へと沈み込んでいくのが見えた。
「何をした、リアム!?」 黒曜の円卓の騎士たちが、驚きに目を見開く。
リアムは、不敵な笑みを浮かべた。 「……さあな。だが、お前たちに、この世界の真実が解き明かせるかな?」
次の瞬間、リアムは、懐に隠し持っていた最後の切り札——強力な光と衝撃を放つ錬金術の結晶を、足元の氷河の亀裂へと投げ込んだ。凄まじい轟音と共に、遺跡全体が激しく揺れ、巨大な雪崩が黒曜の円卓の騎士たちへと襲いかかる。
白い闇が全てを飲み込む中、リアムの意識は、遠い故郷の空へと飛んでいた。
——エリアナ。私の、小さな星よ。いつか、お前がこの夜空を見上げる時、父の想いを、感じてくれるだろうか。
これが、高名な「星図師」リアム・アークライトが、歴史の表舞台から姿を消す、最後の瞬間だった。そして、彼の遺した謎の地図と、星々の導きを巡る、一人の少女の壮大な物語が、ここから静かに幕を開けることになる——。
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