魔術師

狂気太郎

プロローグ

プロローグ

 電線の上から雀達が見守っている。

 一軒家の玄関から少女が飛び出してくる。振り向いて「行ってきまーすっ」と告げ、元気良く駆けていく。母親らしき女性が顔を出し「車に気をつけてね」と声をかけるが、少女の耳には届かなかったかも知れない。

 少女が着る高校の制服は水色のブレザーだった。背は高めで手足はスラリと長く、モデルのような体型だ。目鼻立ちのはっきりした美少女で、その瞳は無邪気な陽性の輝きを放っていた。学生鞄をブンブン振り回しながら走り、ボブカットにした黒髪が揺れる。

 三軒隣の家の前で少女は停止し、玄関の呼び鈴を押した。すぐにドアが開いて詰襟制服の少年が現れる。

丈五じょうご、おはようっ」

 少女が元気に挨拶すると、少年ははにかむような薄い笑みを見せた。

「おはよう。じゃあ、行くか」

美織みおりちゃん、おはよう。いつも迎えに来てくれてありがとね」

 少年の母親らしき女性が穏やかな笑顔で礼を述べる。

「おばさん、おはようございます。通り道だし、ついでですからっ」

 少女はそう返し、二人は出発した。

 向かいの屋根の上から一羽の烏が見守っていた。

 少女は時折スキップして先を行くが、少年を完全に置いてけぼりにはしない。

「角には気をつけろ。車に轢かれるぞ。自転車とかにも」

 少年が忠告する。

「うん、気をつけてるよ」

 少女は振り返って答え、少年が追いつくのを待ってから一緒に歩いた。

 少年の身長は少女より僅かに高いくらいだった。痩せているが弱々しい感じがしないのは、背筋が真っ直ぐ伸びていて動作がキビキビしているせいか。整った顔立ちだが、少女とは逆に暗く冷たい印象を与えていた。特に半眼になった目は全てに無関心そうに見える。しかし少女と話す時だけは、少年は柔らかい表情になった。

「おっ。ニャーニャー。おはようニャー」

 道の端を歩いている野良猫を見つけ、少女が手をワキワキさせながら声をかける。

 茶トラの太った猫は小さく鳴きながら、少女の足に体を擦りつけた。

「よーし、よしよし」

 猫が寝転がって腹を見せてきたので、少女はしゃがんで両手でワシャワシャした。猫は嫌がりもせずされるがままだ。

「遅刻するぞ」

 一分以上猫のお腹を堪能していたため、少年が忠告した。

「おっといかんいかん。じゃまたねーニャーニャー」

 また手をワキワキさせて別れの挨拶とし、少女は立ち上がって歩き出した。

 猫は暫くその場から、少女の背を見守っていた。

「平和だねえ」

 少女が両腕を広げ大きく伸びをする。

「まあ、そうだな」

 少年は半眼のまま興味なさそうな顔をしているが、声音は優しかった。

「ねえ、上柊町かみひいらぎまちって、都内で一番犯罪率が低いんだってね。この前の回覧板に書いてたよ」

「そうらしいな」

 少年が答える。彼らが住むこの上柊町は二十三区の外で、都会ではないが田舎というほどでもない。ベッドタウンとするにはやや交通の便が悪いため、住民の入れ替わりもあまりなかった。

「なんでだろうね。幸山こうやま神社のご利益とか」

 口にしてみたが、少女もあまり信じている様子ではなかった。幸山神社は上柊町にある小さな神社で、別に有名でも何でもないし神主も常駐していない。二人も神社を参拝するのは初詣での時だけだ。

「美織がいるからだろう」

 何故か視線を逸らして少年がボソリという。

 少女は驚きに目を見開いて、立ち止まる。

 それから口元が緩んでいき、ニマーッとした満面の笑みに変わった。

「そっかあ。なるほど。なるほどねー」

 それから少女は少年に追いつくとその背をバンバン叩いた。少年は平然としていた。

 高校の正門へ向かう二人の姿を、特に少女の方を、上空からトンビが見守っていた。電線からは雀と烏が、塀の上から猫達が、老婦人に紐を引かれ歩道を散歩中の犬が、側溝からはイタチが、少女を静かに見守っていた。

 上柊町のあらゆる動物が、少女を見守っていた。

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