第5章 静かなる海(2)

「いつから?」


 ナギの質問にハヤテの思考が止まる。ナギにはそれが手に取るように分かった。


「それとも、最初から?」


 ようやく意図を理解したハヤテが「違う!!」と激しく首を横に振った。

「本当に、本当に初めは偶然だったんだ!」

 意地の悪い質問だとナギ自身思う。きっと様々なことを聞かれる想定で、ハヤテはそれらの質疑応答に備えていたはずだった。だが、あえてそこから外れたところにボールを投げた。だがそれもナギとしては、単なる答え合わせでしかない。

 ハヤテは必死に言葉を紡ぐ。

「倒れてたのも、それを助けてくれたのがナギさんだったのもたまたまで……それに、一目惚れしてたのも、マジで……っ」

 どうしてそんなに泣きそうになっているのだろう、とナギは不思議そうな目でハヤテを見る。

 大体の事情は、既に察している。薄々勘付いていただとかそういうことはなかった。ナギとしては本当に、今この瞬間になるまで分かっていなかった。

「なのに、MenDACoを壊すの?」

 ハヤテが言葉に詰まる。USBメモリを乗せていた手をグッと強く握りしめる。その反応だけで、それが『そういうもの』だと確信に変わる。噂されていた『爆弾』というのは、物理的なものではなく電子上のものだったのだとナギは知った。


 狼狽するハヤテ。

「だって、おかしいじゃないか! 人の感情は、人のものだ! 自然で、大切なものじゃないか! ストレスが減らせるだなんて良いように言ってるけど、結局は心を殺してるだけで——そんな、そんなのって、正しいことじゃないだろ!」

 正しさとは何か。今ここで議論したところで意味はないだろう。だから、反論ではなく、ナギは自身の考えを述べるに留める。

「それでも、システムに救われてる人はいる。麻酔で痛みを減らすことが出来るように、それは適切な医療行為と変わらないと私は思う」

 険しい顔で、ハヤテは奥歯を噛み締める。

「痛みだけなら、そうかもしれない——けど、このシステムは違うじゃないか! 明らかに幸せを奪っている!」


 MenDACoシステムは、論理ノイズに反応する。論理ノイズとは、論理的思考による解釈の阻害要因である。

 即ちそれは非論理的なモノ——つまるところ、感情を抑制する。

 MenDACoの売りとして取り上げられるのは、主に怒りや悲しみという負の感情ばかり。だが、当然のことながら感情とはそれだけを指すものではない。

 喜怒哀楽。それら全てが、論理ノイズとして処理される。感情に良いも悪いもない。ポジティブかネガティブかも関係ない。

 心の揺らぎそのものが、不要なものだ。

 平穏と安寧以上に尊ばれるものなど、ない。

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