第4章 次の一手に至る一歩
『やっぱさー、ナギの会社って世間的に見たらそこそこ名の知れたところなワケじゃない? 急にそんなこと知ったら、そりゃあビビられても仕方ないんじゃないかな』
「そういうものなのかな」
会社へ向かう為の身支度を整えながら、ナギはスマホに向かって応える。
『言っちゃ悪いけど今時世にも珍しいフリーターな彼からしたら、住む世界違うかもしれねえって思うのも無理はないでしょ』
ううむ、とナギは黙り込む。
『あっ、でも、だからってもそれで愛想尽かすとか冷めるとかは分からないよ? すごい人だったと思ったなら少なくともそれはマイナス評価ではないってことだし!』
ナギのスマートフォンの画面上で、彼女——AIアシスタントアバター「ヤオ」は慌てた様子でそんなフォローの言葉を続けた。
問題解決のための補助手法の一つとして『ラバーダック法』というものがある。ゴム製のオモチャのアヒルに向かって、今自身が抱える問題について声に出して説明をするというものだ。他人から見ればオモチャに話しかける光景はいささか滑稽でもあり異様ではあるが、その効果は案外馬鹿にはできない。オモチャに限らずとも写真でもペンでも相手は何であっても問題はなく、要は思考を口に出すというプロセスを経る行為は状況や情報を集約し、整理するのには有用であるということだ。その結果、問題に対して客観的な視点を持ち、解決策が見出せることがある。
思考過多に陥りがちなナギは、この「思考をアウトプットする」手法を積極的に取り入れるように心掛けている。阿虎ミヅキとの食事会をこの取り組みの一環として活用することもある。
『ラバーダック法』自体は無機物に対しての発話だが、ナギとしては自身の発言に対して何かしらのレスポンスが得られる方が好みだった。それは的確でなくとも、どれほど的外れなものでも、自身とは異なる視点と思考から生み出される意見というものはそれだけで貴重なものであるとナギは考える。なぜその意見から自分から出てこなかったのか。それを思考することで、ナギは自身と世界のチューニングを行っている。
今は対話型AIが充実しているので、ナギとしては非常に助かっている。レスポンス速度や文法といった会話自体が人間相手と遜色ないことは元より、人工音声も限りなく自然な発声に近く、人間と会話することと何ら変わりない。
「ヤオ」はそんな対話型AIの一つだ。
ヤオは『800年生きる自称恋愛マスター女子高生』という珍妙なコンセプトを持つキャラクターだが、設定は兎も角としてもマスターの称号を掲げるだけあってこと恋愛に関するアドバイスには定評があり若者から支持されている。
ナギがヤオを利用するに至ったのは阿虎ミヅキに勧められたことがきっかけだった。頼るほどではないが、壁打ち代わりの相手として時々活用はしている。
『ひとまずは、次の彼からの出方を待ってみるのはどう? いつも通りなら彼の中で解決済み案件になったってことで追及ナシ。やっぱりなんかキョドってたりヘンな感じがしたら、その時はちゃんと膝突き合わせて腹割って話そうぜ、みたいな!』
悪くはない提案だとナギは思った。変に気を回すようなことはあまり得意ではないナギとしては、中途半端に探りを入れたりするような器用さを求められる動きは避けたいところだった。触れない、或いは、しっかり向き合う。0か100かは非常にシンプルで良い。
「ありがとう、参考にする」
『なにかあったらいつでも相談してねー』
笑顔で手を振るヤオに別れを告げてアプリを閉じ、スマートフォンを鞄に滑り込ませた。
毎朝のルーティンから1分の遅れもなく、定刻通りに家を出て、ナギは職場へと向かった。
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