ゼノン辺境伯領首都アインツ

 結論から言えば、私は独自魔法を発動させる直前で魔力暴走という奴を起こしてしまった。そして大爆発だ。視界が漆黒になったのも咄嗟に目を瞑っただけで実情は爆発の閃光で純白であった。

 あの後は無論部屋は半壊。白い閃光と共に窓ガラスは割れ、部屋の小物類が勢いよく窓の外に出て行く。そして爆風さえも轟音を立てながら外へと飛んで行ってしまう。酔っぱらった客もやんややんやと私の部屋に来て騒ぎ立てていた。そもそもこの宿屋に人間種たる私がいる事自体、彼ら客は知らされていなかったようで、そこからは千鳥足の客と共に部屋を修復しながら客らの押し問答を朝が明ける直前までひたすら繰り返した。

 だが、一つ気になったこと、どうにも彼らには質問することが出来なかった疑問が残っている。

「あいつらが気付く前に、さっさと直しちまおうぜ」

 酔狂の客らもその一言を茶化さず、暗黙の了解かの如く全会一致で頷いたのだ。そのの存在が私には分かりはしなかったが、彼らにとって、脅威かつ恐怖の対象なのだろうということは推測できる。

 彼ら鳥人にとっての脅威。

 それを現実世界で例えるとしたならば、鳥人はドイツにとってのユダヤ人。

 ドイツにとっての共産主義者コムニスムス

 ドイツにとってのドイツ人。

 つまり、彼らを弾圧する対象というのは官憲か自警団辺りであると推測できるだろう。

 そのあいつらが誰であれ、鳥人を弾圧し差別を加えている事実は変わらない。鳥人が差別されるに値するかどうかは知らんがひとまず私という同じく被差別種である人間種を助けた恩を鑑みて、鳥人の側に立つべきだろう。

 あいつらが許せない。出来れば、魔女に与える鉄槌と言わんばかりに磔にして火刑にしておきたいところだ。

「おはよう。トート……昨日は結構散々だったね。薬、もう切れたと思うんだけれど、まだ必要だったりする?」

「いや、身体は随分と楽になった。だから大丈夫だ。しっかし、魔力不足自体は数時間で治るものなのだな」

「生命維持に必要な魔力が溜まったら痛みは治まるからね」

 朝が明けて数時間、陽は既に高く昇って、異世界での二日目が始まっていることが確認できた。私は昨日と同様にベッドの中で過ごしている。違うところは例の薬、スクリビオンと言ったか。それを服用して痛みが取れていたことだ。

 これならば、今日は外に出られるだろう。異世界がどのような様相をしているのか、それを実際に確かめることが出来る。現実世界との相違、異世界の構造、私の死に場所。その全てを確かめられるのだ。

「これ、朝ご飯ね。今日は図書館行くんでしょ?」

「ああ、ありがとう。図書館以外にも、この街を一度回ってみようと思うんだ」

「そうなのね! あっ、でも本当にアインツ全体を回るんだとしたら南の方には行かない方が良いかもしれない」

「それまたどうして?」

「あそこらへん、アインツの中心部なんだけれど、この国獣人国家だからさ。色々やられちゃうかもしれないんだよね。私もよっぽどのことが無い限り行かないし」

 トロメラの語り口から察するに、きっとあいつらの本拠地なのだろう。じゃなかったとしても、ポグロムを画策する白系ロシア人のような獣人揃いの悪魔の巣窟のはずだ。

 行っても良い。いや行こうじゃないか。鳥人を弾圧する獣人を私が律しようではないか。そこで死ぬことが出来れば異世界での人間・鳥人差別が根絶される切欠になれるやもしれない。戦間期に英仏に苦渋を飲まされた我々ドイツ人が解放されたように、異世界でもその切欠になれれば、本望だろう。

「分かった。気を付けるよ」

 ベッドから飛び起きて椅子に座る。朝食の横には読みかけの本が閉じられていた。

「あっ」

 つい声を出してしまった。昨日は結局眠れず大陸史を読んでいたのだった。朝食を置いた時に彼女が善意から閉じたのだろう。どこまで読んだのか、あまり覚えていない。薬の副作用で記憶が一部あやふやだ。

「……頂きます」

「食べたらすぐ出るの?」

「そうだな。出来る限り時間を目一杯使いたい」

「そうなのね。じゃあ、行ってらっしゃい」

 彼女がそう言って水を飲む私を横目に部屋から出て行った。私は彼女を目で追うことも無く目の前の朝食を食べ続けた。

 美味いな。最後の食事は何だったか。そんなことを考えてみる。もう忘れてしまった。覚えているのは冷たく、食えたもんじゃなかった。それくらいだ。

 異世界で寝食も衣服も施しを受けた。金。どうしようか。


「トロメラ女史……行ってくる」

 言って、忙しそうなトロメラが笑顔で頷いたのを確認していざ外を出た。

 目の前には石材で造られた同じような建築がずらりと隙間なく立ち並んでいる。その集合はどうやら大通りに出るまで続いているらしい。ここは、裏路地のようだった。程度は知れてるが少数民族のスラム。そう言うことも出来る。

 下を見れば石畳の地面が露出している。舗装自体はされているようだ。かといってアスファルトだとかコンクリートではないことを見るに、自動車は異世界には無い。

 そのまま天を仰ぐ。陽の光が届いていない。城郭のように伸びた二階建ての建築群が陽を遮っている。あまり気分が良いものではない。居住環境で言えば悪いの一言だ。

「ねえ、どうしたの? トート」

「すまない。どうしても初めて見る光景でな」

「ふふっ。そうなのね。やっぱりトートはこの世界を楽しく生きれるかもね」

「じゃあ今度こそ、行ってくる」

 石畳の地面を一歩一歩歩き始めた。歩き心地は悪くなかった。裸足であったのにもかかわらずだ。一応布は一枚かませたが、それでも靴を履かないというのは慣れない。だが、駄々をこねる暇だってないのも確かだ。そもそも獣人国家に人間の靴があるとは思えん。慣れないながらも歩き続けた。次第に靴のことなど忘れ去り、裏路地を注視しながら歩き続ける。

「……!」

 どうやら大通りに出たようだった。

 その光景。どこか懐かしかった。

 子供の時に見たようなそんな光景。

 戦間期に見たあの光景。

 先程まで朝だというのにひとっこ一人いなかったが、ひとたび大通りに出たら人で溢れかえっているではないか。もう労働が始まっているのだろうか。それとも、朝に何かしらの儀礼があるのだろうか。

 大通りとそこを闊歩する獣人をただ見続ける。獣人を始めてみたのだ。鳥人と概ね同じような身体の作りのようであるが、鳥人よりも、そう種類が多い。ネコ科、イヌ科、数は少ないが兎も偶蹄目もいる。獣人よりもさらに細分化出来てしまいそうではある。

「おい! あんた邪魔なんだよ」

「おっと、すまない」

「……なんでここにシンクがいんだよ」

 ネコ科の獣人に言われ、肩を押されてしまう。特段よろめくなどはしなかったが、その力は確かに、常人のそれではなかった。彼はそのまま私のことを一度たりとも見ずに大通りを歩いて行ってしまう。

 路地の入口に立ち尽くして大通りの周りを見ている人間種。傍から見れば中々に迷惑で敵意を剥き出しにされたとて、言い返すことも出来ないか。

 件の獣人をもう一度見る。もう既に遠くまで行ってしまったようだ。姿はもう見えない。それと引き換えに、この異世界の技術を象徴するような建築に出会ってしまった。

「大聖堂……」

 そこいらの住居とは違う。異彩を放ち、この大通りを飲み込んでしまいそうなほど大きく、天にまで届いてしまいそうな程に高い。そして祖国の大聖堂のようなバロック建築。神を崇めるためか不用意なまでに飾り立てられた外観に、目を奪われてしまった。

 これが果たして大聖堂なのか私には判別できなかったが、それでもこの建築物は大聖堂。それしか考えられなかった。こんなにも栄え、獣人で溢れ、巨大建築で着飾った古都と言って差し支えないこの場所が、中心部ではないというのか。計り知れないぞこの街は。

 獣人に疎まれたことなど忘れて魅入ってしまう。一度は捨てたであろうこの審美眼が閣下の元から離れたせいか蘇ってしまう。

「ねえ、ねえ君……」

 私の目元で誰かが手を振った。その手の骨格と構造、鳥人種だ。

「あっ、気付いた? どうしたの、ここでずっと突っ立ってて」

 鳥人は私の背後から現れてそう言った。路地から出ようとしていたのだろう。そうなれば私は、この短期間で二回も疎まれたことになるな。

「すまない、すぐに退く」

「そうじゃないの。もしかしたら、迷子とか困ってるんじゃないかなって思って」

「そんなことは……図書館行きたいんだ。どうやって行けば早いのだろうか」

 鳥人はその一言に目を輝かせながら私の手を引っ張り、大通りを歩こうと一歩一歩踏み出し始めた。

「そういうことではないんだ。道のりさえ教えてくれればそれでいい」

「あっ、そうなのね。じゃあねえ……」

 どうやら、鳥人はお人よし。もしくは献身的な種のようだ。だからこそ人間種も同様に手を差し伸べているとも言えるし、奴隷的な扱いを受けるとも言える。一長一短の性格、国民性だ。

「……こうやって行けば近いと思うよ!」

「……」

「もしかして、聞いてなかった?」

「すまない」

 頭を下げた。ただひたすらに私の怠慢であった。国防軍の時にはこんなこと、無かったのだがな。

「良いよ良いよ。これ、道のり書いといたから」

 そう言って鳥人は長方形の紙を私の手の中に入れた。それを見れば拙い絵で道のりが書かれている。やはりあれは大聖堂なのか……そんなことはどうでもいい。とりあえず、この大通りを突っ切って坂を上らなければいけないようだ。

「ありがとう……クララ、そう言うのか君は」

「うん。そうだけれど、何で分かったの?」

「武器屋を営んでいるんだな。路地の職人的な武器屋ということか」

「ありゃ、そっか。それ私の名刺か」

 渡された紙。それは彼女の名刺であった。機械で打ち込まれたかのような文体で彼女と武器屋の名前が書かれていた。

「じゃあこれもなんかの縁だ。君の名前は?」

「トート。今はそう呼ばれている。訳あってトロメラ女史の宿屋でお世話になっているんだ」

「あー! 昨日魔法暴走起こしたっていう人だ!」

 何で知っているんだ? あの騒動はあくまでも夜更けに起きて、その時点で片付け終わり何も無かったかのように振る舞っていたはずなのだが、まさかもうすでにあいつらにバレたのか? それとも既に街中に触れ回っているのか?

「朝に父さんから聞いたんだよ。酒飲んでたら大爆発って」

 あの連中の中の一人か。ならば良かった。私のことなどどうってことないが、あいつらというのがトロメラやその他の鳥人に危害が加わってしまうことはどうやっても避けたい。

「そうか。もしかしたら君の武器屋に、お世話になるかもしれない。その時はよろしくお願いする」

「うん! 大歓迎だよ。じゃあ私は大聖堂行かなきゃだから。また、会ったらね」

 言って彼女は大聖堂の方に歩いて、飛び立ってしまった。忙しそうに羽を羽ばたかせて。せわしないな。

 鳥人は歩けるのにもかかわらず空を飛ぶ。移動手段に優劣を付けるつもりではない。ただこの距離でさえわざわざ空を飛ぶ必要性、それが私には分からなかった。

 まあそんなことを考えていても仕方がない。とりあえずはこの道のりに沿って、歩いてみるとしよう。この祖国にも似た景色を見ながら、少しの懐古をしながら。

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