【全話修正中】魔導士は白猫を飼っている【1章修正完了】

汐田 伊織

1章
 二年前

第1話 深夜のお客様


 ――ああ、うるさい。



 
 廊下に置かれた電話が、心地よい夢の余韻を叩き潰すように鳴り続けている。高音の不愉快さに、夢の内容どころか機嫌まで吹き飛ばされ、思わず舌打ちが漏れた。


 重たい瞼をこじ開けると、部屋は闇に沈み、耳が痛いほど静まり返っている。時計を見なくても深夜だとわかった。


 こんな時間に電話をかけてくる人間など、顔ぶれは限られている。知り合いの間抜けが一人いるか、営業時間という概念を持たないお粗末なお客さんか、そのどちらかだ。



 無視してしまっても構わないが、こうも鳴り続けられては眠り直すこともできない。目を覚まさせてくれた礼に、文句の一つくらいは言ってやろう。




 足元でぐっすり眠る相方を起こさぬよう、ぬくもりの残る敷布団から、なめくじのようにずるずると這い出した。


 襖を開けると、吐く息が白い。床に触れた足の裏は、はっとするほど冷たかった。

 もうすぐ四月だというのに、冬の名残がしつこく居座っている。



 広縁ひろえんに面した廊下を進み、角の部屋を曲がった先――黒電話が、今も容赦なく鳴き続けていた。

 受話器を取り、わざとらしく事務的な声を作る。



「――はい、利他りたです。営業時間外に何かご用でしょうか。たとえお客様に用事があったとしても、夜も深い時間ですし、そもそも眠くて依頼内容が頭に入る気がいたしません。ということで、おやすみなさい」



 そのまま受話器を戻そうとした、その瞬間。



『遅くにごめんねえ』



 間延びした、聞き覚えのある声が耳に届いた。



 ……この口調。それにこの声。同じ村に住む、魚屋の銀三じいさまだ。



 毎朝、自分の船で海に出て、太陽が昇る前から漁を始める、無駄に元気なおじいちゃんである。

 そんなじいさまでも電話をしてくる時間帯ではないし、そもそも、今までこんな夜更けにかけてきたことは一度もない。



 嫌な予感が、背筋をなぞった。


 急な応対で苛立っていたことを詫び、姿勢を正して話を聞く。



『今ね、ワタツミ街の港にいるんだけど……霜月さん家が、火事になってるみたいで』


「……火事?」



 驚くほど裏返った声が、自分の耳にもはっきり聞こえた。


 冷たい汗が背中を伝い、手のひらがじっとりと湿る。



『そう。それはもう、ひどい有様なんだ』


「あの……霜月先生の?」



 問い返すと、じいさまは短く肯定した。



 霜月清輝。


 魔導士界でその名を知らぬ者はいない、著名な魔法学者だ。


 研究者でありながら非常勤講師も務めており、学生時代には俺も授業を受けたことがある。尊敬している先生のうちの一人だ。



 ――先生の研究所兼自宅は、ワタツミ街の外れに浮かぶ離島にある。


 船で渡るか、魔法で飛んでいくか。移動手段はその二択しかなく、一般人が近づく場所ではない。

 いや、正確には近づけないと言うべきか。


 重要施設ゆえ、相応の保安対策は施されているはずだし、侵入できる者などほとんどいない。



 それでも、研究所が燃えているという事実は重い。


 誰かが放火したとは考えにくい。となれば、実験の失敗か、火の扱いを誤ったか……。


 だが、先生がそんな失敗をするとは思えない。



 壁に背を預け、冷え切った足同士を擦り合わせる。


 眠気は、完全に消えていた。


 知り合いの家が燃えていると聞いて、平然と眠り続けられるほど、俺は図太くなかった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る