第16話


 カーテンから差し込む光で目を覚まし、視界に映る真っ黒なテレビ画面をぼーっと眺める。どうやらソファで寝てしまったようで、横になったまま眠る直前のことを思い出してみた。


 たしか三夕ちゃんと話しをしていて、伊勢橋高医大の理事長の孫娘さんだと気付いたところで記憶が途絶えている。


 ……枕がひんやりしていて気持ちが良い。


 顔の傍にあった自分の手で、枕の感触を確かめる。

 布地が均等に折られたその枕は、ソファの下まで続いていて角の丸い部分が少し固い。柔らかい部分を求めて、二か所ある固い部分の間に手を差し入れる。

 すると手が枕に力強く挟まれてしまった。


 その正体を確かめるべく、手を引き抜き仰向けの体勢に変えてその枕の主に挨拶を告げた。


「おはよ、三夕ちゃん」

「昨日はごめんなさい」


 何故謝るのだろう。膝枕で寝ていた理由は不明だけれど、寝ぼけた勢いでふとももに触れようとしたのに。


「どうして謝るの?」

「私、驚いてしまって多摩川さんを気絶させてしまったので」


 ……!?


「え?どうゆうこと?」

「家族のことを思い出して気が動転して、念力で多摩川さんを気絶させたので」


 ……三夕ちゃんの亡くなった理由は、聞かない方が良い。


 それより、霊力の次は念力と来たか。

 でも私はもはやそれくらいでは驚かない。

 つまりは、気絶した私を膝に寝かせていた、ということだろうから。


「良いよ。三夕ちゃんの膝枕で寝られただけで十分幸せだから」

「やっぱり多摩川さんは変態ですよね」

「三夕ちゃんがそう思いたいならどうぞ~。それより、一昨日の怪奇現象って三夕ちゃんがやったってことだよね?」

「?」

「テレビがあちこち切り替わってたやつ」

「あぁ、あれはただ遊んでただけです。……お二人の相手をしたらどうですか?」


 そう言われ身体を横に向ける。

 視線を向けた先には、ベッドから足を出して座り私の方をじっと見てくる美少女幽霊ちゃんの姿があった。


「多摩川さん、浮気しないでください」


 また嫉妬幽霊ちゃんが現れた。

 私は丸一日ぶりに会えた嬉しさで飛び起き、七子ちゃんの方へ急いで向かう。


「七子ちゃんもおはよ」


 頭を撫でると七子ちゃんは照れ隠しのように下を向く。

 ベッドの上を見ると昨日まで散乱していたゆうはる物語が片付けられていて、代わりに別の単行本が山積みになっていた。


 一番上にある巻の表紙には、”幼馴染に告白したら付き合えましたがなにか 8”と書かれているのが分かる。

 通称”なじなに”と呼ばれるこれは、ゆうはる物語を上回るほど性描写が多く描かれた、個人的に百合作品でナンバー5に入るほどのオススメ漫画だ。


「あれ、もう8巻まで読んだんだね。どうだった?」

「まあ。はい、面白いです」

「そっかぁ」


 ああいう漫画は七子ちゃんには早い、と怒る気はもう無い。小学生だし、いたって純粋な気持ちで読んでいるのだろうけれど、私はそんな七子ちゃんが可愛くて仕方がないのだから。

 私はこの気持ちが不純とは決して思っていない。あくまで、好きな人が私のオススメを読んでるってことが嬉しいだけ。

 そう心の中で言い聞かせているのに、私の身体が勝手に動き、七子ちゃんを抱きしめた。

 3日ぶりに感じた冷たくて柔らかく華奢なその身体を両手で堪能する。


「もう、浮気しないでくださいね」


 七子ちゃんが、私の耳元でそう囁いた。


「今日、仕事休んじゃおっかな」

「仕事は行ってください」

「あれ?もしかして心の声が漏れてた?」

「わざとですよね絶対」


 もう、このまま七子ちゃんを抱きしめながら一緒にベッドで眠りたい。

 抵抗しない七子ちゃんの体ごとベッドに入ろうと前かがみになったとき、Tシャツの後ろの裾を思い切り引っ張られた。


 慌ててベッドに倒れるのを止め後ろを振り向くと、瑠琉ちゃんが珍しく怒った様子で眉根を寄せ、「ごはん」と低めの声で呟いた。


「あ、ごめんね瑠琉ちゃん、今用意するからね」


 またテーブルのいつもの席に行って突っ伏すのかと思いきや、私の手を掴んで無理やりテーブルの方へと引っ張って行く。

 そのままテーブルの脇に来ると、瑠琉ちゃんが私の顔を見上げ、何故か喋ろうとしない。


「どうしたの?瑠琉ちゃん」

「椎菜は瑠琉の椎菜だから。三夕とか七子とばっかりいたらやだ」


 ……今日はもう、仕事休みます。


 こうも立て続けに好きな二人から嫉妬されるなんて思ってもいなかったし、これだと仕事に行くのも辛くて身も精神ももたない。


 私は瑠琉ちゃんの体を抱き寄せ、「瑠琉ちゃんも私の瑠琉ちゃんだよ」と意味不明な返しをしてみる。


「椎菜、ごはん」

「はーい」


 相変わらずの空腹幽霊ちゃんの一言で、私はそっと離れキッチンへ向かい、六つ入りのロールパンと牛乳を持って戻る。テーブルのいつもの席で座っていた瑠琉ちゃんの前にそれらを置くと、瑠琉ちゃんは待ってましたと言わんばかりに袋を開け、四つも取り出してそれを自分の目の前に置いた。


 渡さないとでも言うように両腕で囲って守る食い意地幽霊ちゃんにあえて何も言わず、前に置かれた残りの二つが入ったパンの袋を取って、中から取り出した一つに齧りつく。


 きっとこれは、私が三夕ちゃんや七子ちゃんと浮気したことの仕返しだから。


 何か思うことがあるかのように黙々とパンを頬張る姿を眺めながら、たった二つのパンを食べ終える。


 コップに牛乳を注ごうと、傍に置いていた牛乳に手を伸ばすと、瑠琉ちゃんに先に取られてしまう。


「コップあるよ……」


 その言葉は間に合わず、瑠琉ちゃんは開けた牛乳を両手で持ち、パックごとごくごくと喉の奥へ流し込んでいく。


 どれだけ飲んだか分からないが、ぷはぁと言って飲み終え牛乳を置いた瑠琉ちゃんは、あくびをしながら消えてしまった。


 ……仕事、行けってことかなぁ。


 ソファを見ると三夕ちゃんの姿は無く、ベッドには七子ちゃんが残ってくれていて、私は吸い寄せられるようにベッドへ向かう。


「七子ちゃん、私、仕事行くけど」


 行かないで、と嫉妬幽霊ちゃんが出てきてほしい。そして昼まで一緒に……。

 そう願ったにも関わらず、七子ちゃんはなじなにの9巻を読みながら、「いってらっしゃい」と冷たく返す。


「……行ってきます」


 熱心に百合漫画を読み耽る七子ちゃんの頭を優しく撫でてから、テーブルに放置されていた牛乳をパックごと喉に流し込み、少しだけ開いた心の穴を瑠琉ちゃんとの間接キスという行為で埋める。


 ふとキッチンに置いていたチョコの存在を思い出し、いつの間にか空っぽになっていたガラスの小物入れにアソートチョコをいっぱいに詰めてからベッドの枕元に置き、「食べて良いからね」と声をかけてから仕事へ行く支度を進めた。

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