第12話
観ていたアニメの劇場版を三本見終えた頃には、疲れた様子の瑠琉ちゃんが私に抱かれた体勢のまま寝息を立てて眠っていた。
ソファの陰に置いていたスマホを取り画面を付けると、18時30分と表示が出ていて、日没を迎えたようで部屋の中は薄暗く、テレビの前だけが明るく照らされている。
お腹に回した両手のうち右手だけをそっと離し、私の鼻のすぐ下にある瑠琉ちゃんの頭を起こさないように撫でてみた。
瑠琉ちゃんには本当に沢山の顔があると思う。
生意気幽霊ちゃんに、食べ盛り幽霊ちゃん、お利口幽霊ちゃん、そして今こうして腕の中で眠る甘えん坊幽霊ちゃん。
本当にどれも可愛くて、私はもう二度と瑠琉ちゃんを離したくないと思った。
「私、瑠琉ちゃんのことも好きだなぁ」
小さく呟いたその声に、ベッドの方から反応が来る。
「多摩川さん、浮気ですか」
薄暗い中、目を凝らして見ると、ベッドの上にちょこんと正座してこっちを見てくる美少女幽霊ちゃんの姿があった。
「七子ちゃん、私のこともう知らないんじゃないの?」
「……瑠琉と一日中くっついてるの、なんか嫌です」
これは、嫉妬幽霊ちゃんの気配がする。
「でも七子ちゃん、私の漫画を勝手に読むからなぁ」
「ネタバレはしません。だからこれからも読みます」
……そこは譲らないのね。
「それなら良し。ただ、あの作品だけはだーめ」
「良いじゃないですか!ゆうとはるがこれからどうなっていくのか知りたいです」
だったらもう良い。好きな子がああいうのを見てるって思ったら、いつか正気を失いそうになるかもしれないけれど。
「仕方ないなぁ。良いよ、読んでも」
「ほんとですか!」
「う~ん、椎菜?七子?」
目を擦りながら起きた瑠琉ちゃんは、ぐいっと私の腕を退かし、頭にあった右手を払い除けてソファから立ち上がる。そしてスタスタと歩いて行き、キッチンの手前にあるスイッチで部屋の照明を付けた。
私もソファから立ち、テーブルのいつもの席に座った瑠琉ちゃんの頭を撫で、「今ご飯作るからね」と声を掛けてからキッチンへ向かう。
ふとベッドの方を見ると、七子ちゃんは足を崩して座り壁に寄り掛かりながら、早速今朝の続きを読み始めていた。
……今、七子ちゃんは肌の露出が多いあのシーンを見ているのか。
よし、今日こそ三人で寝るんだ。
七子ちゃんが見ているシーンから、こういう思考に至らせたわけでは決してない。
そうやって自分の意味不明な思考回路を否定しつつ、私は無意識にまた鼻歌を口ずさみながら晩ご飯の支度を進めた。
瑠琉ちゃんとホイコーロー丼を食べ、また少なめにしたおかげで消えずに留まっている瑠琉ちゃんを待たせまいと、急いでキッチンを片付ける。
部屋に戻ると、テーブルに瑠琉ちゃんはいない。
「あれ?瑠琉ちゃん?」
部屋を見渡すが、姿は見当たらない。
ふとベッドへ視線を向けると、布団が大きく膨らんでいた。
……あぁ、もうだめ。我慢できない。
その中に七子ちゃんと瑠琉ちゃんがいることは分かっていたため、私は吸い込まれるようにベッドへ向かった。
盛り上がった布団を撫でたあと、恐る恐る捲ってみる。
そこには、七子ちゃんにのしかかり、まるでぬいぐるみ相手のように抱きつく瑠琉ちゃんと、重さで悶えながらも動けず苦しそうな表情を浮かべる七子ちゃんがいた。
瑠璃ちゃんは私に気付き、こちらに顔を向ける。
「椎菜、邪魔しないでよ」
「やだよー。喜んで邪魔するから」
私は容赦なく布団に乱入しリモコンで部屋の照明を消してから、二人に無理やり抱き付き眠りについた。
「……椎菜、起きて」
「う~ん、瑠琉ちゃん?」
目を覚ますと、私に覆い被さり見つめてくる瑠琉ちゃんの可愛いお顔が視界に入る。
「朝ご飯!」
……このまま瑠琉ちゃんをぎゅっと抱き寄せて、お昼まで眠りたい。
「瑠琉ちゃん、もうちょっとだけ一緒に寝よう?」
「多摩川さん、今日から仕事ですよね?」
足元から聞こえた声で、私は慌てて身体を起こす。
瑠琉ちゃんはそんな私に驚いてベッドを降り、先にテーブルへ向かった。
ベッドの足元の方にいる七子ちゃんは、いつも通り足を崩して座り単行本を読み耽り、傍には昨日から読んでいる”ゆうはる物語”が十冊以上山積みになっていた。
本棚の上にあるデジタル時計を見ると、今は6時32分。
「やば!七子ちゃん、気付かせてくれてありがとね!ってかそれ何巻目?」
「13巻目です。大学生って大変なんですね」
「ストップ」
「あ、すみません」
先月、親戚からの就職祝いで得た臨時収入で、1巻から20巻までまとめ買いしたは良いものの忙しくて読めていなかった私が悪いのは分かる。けれど、13巻目で高校1年だった二人が大学生になっているとは予想していなかった。
これ以上ネタバレを聞くわけにはいかないと思いひとまずベッドを降り、テーブルで突っ伏しながら待つ腹ペコ幽霊ちゃんのために、急いで朝ご飯の準備を始めた。
一昨日買い溜めしたパンの賞味期限が一日過ぎていて、幽霊に与えるというのに何故か申し訳なく思いつつ、牛乳と一緒に持ってテーブルへと持って行く。
瑠琉ちゃんはそんなこと気にせず、いつもの笑顔でパンを頬張る。
コップを用意したのにラッパ飲みした瑠琉ちゃんが、飲み切ったように軽くなった牛乳パックをテーブルに置いた。
「ぷはぁ。この牛乳おいしいね、また買ってきて」
「……私の分」
「あ」
こんなに美味しそうに飲んでくれるのだから、私の分なんてどうでも良い。
それに申し訳なさそうにしゅんとしている瑠琉ちゃんが、もうとにかく可愛くて可愛くてなんでも許してしまいたくなるから。
「椎菜、今日から仕事なの?」
しゅんとしていた瑠琉ちゃんが、どこか寂しそうな眼差しで見つめてくる。
「そうだよ~。8時から出勤だから、もう出なきゃ」
「お昼ご飯は無いの?」
完全に忘れていた。
瑠琉ちゃんを悲しませるのは嫌だけど、前まで食べてなかったんだし、そもそも幽霊なのだから食べなくても平気なはず。
用意する手間とコストを考えたら、ここは情けを捨てるべき。
「夜ご飯まで我慢してね」
「……瑠琉、餓死しちゃうかも」
「いや、もう死んでるでしょ」
「それもそっか」
純粋に幽霊ボケをかましてくれた瑠琉ちゃんに、「19時には帰って来るから」と告げ、ふてくされたように突っ伏す姿に申し訳なさが込み上げながらも、仕事へ行く準備を進めた。
「鍵は持ったし、財布もある。仕事の制服も持ったし、……大丈夫かな」
仕事用のトートバッグを持ち、未だ単行本を読む七子ちゃんの元へ行く。
「七子ちゃん、今それ何巻目?」
「14巻目です。早く帰って来てくださいね。空腹の瑠琉に襲われるので」
「うん。……お留守番よろしくね!」
私のことを特に気にせず漫画に視線を落とす七子ちゃんの頭を撫でてから、瑠琉ちゃんの元へ行くと、テーブルに突っ伏したまま顔を上げ、私をじっと見てくる。
「瑠琉ちゃんも、お留守番よろしくね」
「いってらっしゃい」
「いってきます!」
抱き締めたい欲をなんとか抑え、頭だけを撫でてから部屋を出る。
玄関で靴を履いていると、瑠琉ちゃんが手になにかを持ってスタスタと歩いて来た。
「椎菜、スマホ忘れてるよ」
「うそ!?危ない危ない。ありがとね瑠琉ちゃん」
瑠琉ちゃんの手からスマホを受け取った私は、そんなお利口幽霊ちゃんに我慢できず思い切り抱き締め、離れたくない気持ちを押し殺しながら家を出発した。
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