少女は群青の夢を見る

操縦席の頂点に座るアズは、既にレーヴと繋がっていた。群青色の髪と目、手にはお守り。こころなしか、顔をほころばせているように見える。

 思考力の初期パラメーターは六十。可もなく不可もなくだろう。

 五分と経たないうちに、オルダーがやってくる足音が響いた。

 以前と違うことといえば、町の人間が一斉に避難を開始したことだ。行き先は隣町だろうか。随分と手際がいい。常に警戒し、備えていたのだろうか。

「さて、アズライト。あなたがこのロボットに懸ける夢や想いは何?」

 彼女はふいにレーヴの顔の向きを変えて、遠い海を見つめた。青い空に、青い海。その間へ機兵の手を伸ばす。海空のブルーとレーヴの群青が重なった。

「私は、この町を愛してる。このロボットに懸ける夢は、私たちの町を守りきることだよ」

 そういえば、彼女のお父さんは中学の時に亡くなったと言っていた。町を守るというのは、そんな父との思い出を守るのと同じじゃないか。

 今更ながらに小林の覚悟の意味がわかった。俺とは違う。自分の早とちりに、俺は小さくため息を吐く。

「来たわね、オルダー」

 いつも通りの方角から、オルダーがやって来る。

 レーヴも動き出した。広い視界の中に群青色の盾が映る。盾は両腕に着いており、どちらも固そうだ。

 康弘が訊ねる。

「あ、アズ。それでどう倒すんだよ……」

「ちょっと待って。今考えるから」

 彼女が考える間にも、オルダーは迫ってくる。相手は海の青さを汚す夕日のように真っ赤な装甲で、矛を手にしていた。何もかもが正反対。武器では確実に相手の方が有利だった。

 オルダーは俺たちに考える暇を与えずに攻撃を仕掛けてきた。アズが咄嗟に両腕の盾で身を庇う。

 その盾は盾でありながら、木の板のようにもろかった。片方が抉れ、ボロボロと形を失っていく。

「じ、冗談だろ……?」俺と康弘の声が揃う。

 こころなしか、コックピット内の温度が下がった気がする。

 武器にも宝石の硬度が関係しているのか。

 新たな事実に動揺する俺たちの視界を、オルダーは矛で一突きする。

「うわっ!?」

 モニターを突き破り、その先端はコックピットへと顔を出した。バラバラとモニターの破片が落ちる。裸眼で外の景色が見えるくらいの大穴が空いた。

 幸いなことに、その攻撃は操縦士に届かなかった。しかし、その痛覚はしっかりとアズライトに受け継がれていた。

「うあ゙あああッ!!」

 椅子に背をぶつけながら仰け反り、小林は右目を抑えた。眼鏡がかしゃんと音を立てて床に落ちる。

「アズライト!」

 俺は席を立ち上がり、左隣の彼女に寄ろうとする。その腕を、涼香に掴まれた。

 俺はなるべく冷静に訊ねる。

「なんで?」

「邪魔になるから」

 あまりにも単純明快な理由だった。これまでの戦闘を思い出す。丸山の時は散々はやしたてた結果死んだ。ある意味、俺たちが邪魔したせいだ。

 そう言われてしまえば、引き下がるを得ない。

 アズが悔しそうに顔を歪める。「た、退散……一度、逃げないと」

 確かにこのままでは分が悪い。

 レーヴがオルダーに背を向ける。その瞬間、背中に激しい攻撃を食らって、大きな機体が地面に倒れ込んだ。咄嗟に椅子を掴んで耐える。

 一部の装甲が粉々になって剥がれ落ちた。レーヴの視界に映る腕は、すでに中身が見えている。機兵の骨組みや、中にある無彩色の核が大空の元に晒されている。この調子なら、上半身の装甲はもうない。

 つまり、敵に弱点が丸見えな可能性がある。

 相手には青く光る核の位置が見えるのに、俺たちにはそれがわからない。

 ああ、いっそ操縦席のこの画面に、レーヴの状態が映ってくれたなら。そうしたら、核を守りやすくなるのに――

 儚い願望を抱いたその時、信じられないことが起きた。

「これって……」

 操縦席の画面右上に、長方形の枠が現れた。その中にレーヴの状態が表示される。

 現在のレーヴは上半身の装甲がなく、左肩に核を有していた。アズと繋がった群青の核だ。

 俺は驚いて右隣の涼香を見る。彼女は肩をすくめ、あっけらかんと言った。

「全て言わないとわからないの?」

「いや、何となく予想は着いた。あれだよね、レーヴを操縦するのに必要な……」

 俺は強い確信を持ってつぶやく。

 必要なのは、慣れと恐怖に抗う勇気。そして――

「柔軟な想像力……俺の願いが――想像が、レーヴの機能を変えたのか?」

 涼香は口角を上げて、笑みを浮かべる。

「いえ、言っていなかった機能が作動しただけよ」

「ちょっと! そんなのってあり?」

 喚く俺と涼香に向かって、二等辺の反対側から怒号が飛んだ。

「今は笑ってる場合じゃないだろ!」

 康弘に怒鳴られたのは半世紀ぶりと言ってもいい。その迫力に、俺は思わず口を引き結んだ。心臓がきゅっと縮んだ気がする。

 涼香は彼の怒りを気にもとめずに、くすくすと笑って首を傾げた。

「アズライト、どうしたい? 今あなたの装甲はないに等しい。武器のないこの状況を、どう切り抜ける?」

 アズは何か閃いたように小さな画面を見つめていた。思考のパラメータが徐々に上昇する。僅かに頷いたあと、顔を上げて割れたモニターの間からオルダーを睨みつける。

「……やれることを、やれるだけ」

 レーヴを立ち上がらせて、正面を見る。左肩を抑えながら、オルダーを一瞥した。

 相手は現状ノーダメージ。暴力的な赤の機体は、眺めていると頭がおかしくなりそうだ。

「ここにいたら、町が壊れちゃうよね」

 言いながら、アズは操縦席を軽く撫でる。

「ねえレーヴ、お願い。私を海まで連れていって」

 その言葉を受け入れたかのように、レーヴの機体が大きく揺れる。コックピットの中が困惑に包まれた。

「何が起きて……!」

 瞬間、鼻腔を潮風がくすぐった。外に広がるのは一面真っ青の海。訳がわからない。

 すぐ側で涼香が感嘆の息を漏らす。

「レーヴの瞬間移動……隠された秘密にまたひとつ気がつけただなんて」

「隠された秘密だって?」

 康弘が食らいついた。

「まさか、最初ので全部じゃなかったのか」

「もちろん。ネタバラシは面白くないじゃない」

 瞳に興味の色を浮かべ、涼香はアズに問う。

「あなた、どうして今この仕組みに気がついたの?」

「実里君のおかげだよ」

「俺?」

 名前を呼ばれるとは思わず、間の抜けた声を出した。

 アズは視線を山付近にいるオルダーから逸らさずに続ける。

「さっきは実里君の想像がレーヴを覚醒させた……だから思ったの。もしかしたら、レーヴは操縦士の想像に際限なく答えてくれるんじゃないかって」

 アズは少し興奮したように、息継ぎもせずに甲高い声を響かせた。 

「想像がレーヴの機能を変えたんじゃない。想像はレーヴの常に備わっていたんだよ。それこそが隠された機能の正体。想像力が赴くままに姿を見せ、移動し、動いていく。だからレーヴを動かすには想像力が必要だと言ったんでしょ!」

 彼女とは違って冷静な涼香は、意味ありげに俺を見た。心の底から嬉しそうな、それでいて不安そうな目付きだった。

「これも実里君の影響、というわけね」

「それは……どうかな」

「やっぱりあなたは特別よ、実里君」

 オルダーが山から姿を消す。突如派手な水しぶきが上がった。中からオルダーが現れる。奴にも同じことが出来たのだ。 

「さあ、やってご覧なさいアズライト。ここならあなたが町を壊す可能性がないわ」

「うん!」

 大きな声で頷いたあと、彼女は左右の仲間を一瞥する。 

「みんな、バリアをお願い」

「任せろ!」

 俺たちは任務遂行のため席に座り直す。赤いレバーに手を添えて、すぐに引けるように準備した。

 オルダーが矛を構え、突進してくる。

 その攻撃を康弘が防ぐ。

 隙をついて、アズが矛を掴んだ。オルダーが反対の手でレーヴの腕――というよりもほぼ鉄の骨組みを殴る。

「あがッ!」

 腕があられもない方向に折れる。アズは息を詰まらせた。矛を掴む手が離れ、自由の身となったオルダーの反撃が始まる。

 矛の鋭い一撃がレーヴの左腕を刺した。

「うぐ、うぅ……ッ」

 折れた右腕で庇っていなければ、左肩に鎮座する核が危なかった。

 痛みと恐怖に顔を歪めながら、アズは群青色のお守りを握りしめる。

「……これ以上、私たちの町に入ってこないでよッ!」

 少女の悲痛な叫びが海に轟く。

 また矛が飛んできて、バリアでその攻撃を防ぐ。その繰り返しが何度も続いた。

 アズは諦めなかった。この核一つにどれだけの命がかかっているのか、嫌という程にわかっていたのだ。

 アズライトが死ねば、核は残り三つ。世界の終焉がもうすぐそこまでやってきている。終わりはこちらを覗きながら、ニタニタと下品な薄笑いを浮かべているのだ。

 そんな命の消耗戦にも、終わりはやってくる。

 オルダーはこのままでは埒が明かないと思ったのだろうか。それとも、ただの本能か。

 一度矛を握り直し、動きを停めた。

「な、なんだ……?」

 俺のつぶやきに対する返答はこなかった。運命を知る涼香でさえ、理解不能だったらしい。珍しく年相応な困惑の表情を浮かべている。

 その目が何かを捉えた瞬間、表情が一変した。恐怖や怒り、驚きが混ざり合い、真っ黒な絶望の色を作っていく。

 俺は涼香に襟を掴まれて、ぐっと横に引っ張られた。体制を崩して、彼女に寄りかかる。彼女の腕が俺を羽交い締めにしたと同時に、その口から大きな叫び声が出ていった。

「逃げて、アズライト!」

「え?」

 アズは驚いたように涼香を見た。

 その一瞬の隙が命取りだった。

 オルダーは矛を正面に投げ飛ばす。ものすごいスピードで、矛は見事モニターの残骸を通り抜け、アズの頭をぶち抜いた。

 少女の体はそのまま壁に激突し痙攣する。叫ぶ暇もなく壁に貼り付けられ、息絶えた。

 コックピットの青い光が点滅する。

 点滅が終わらないうちに、オルダーがレーヴの左肩から核を引き抜き、握り潰した。その間、核とアズが繋がっている証拠の群青色は、耐えず光り輝いていた。

「アズ、ライト……?」

 短い間ではあったが、同じ部屋で寝泊まりした人間が死んだ。今までの誰よりも、俺たちは彼女に情を抱いていた。だからこそ、受け入れたくなかった。

「あ……ああ……」

 口元を押えて震える。

 今思えば、操縦士が目の前で血を流しているのを見たのは、初めてのことだった。

「次の八月九日は、私が行く」

 涼香の声に引き寄せられ、俺たちは視線を操縦席の小さな画面に向ける。壊れたモニターの代わりに、今回はこちらに次のオルダー襲来日が示されていた。

「……帰りましょう」

 返事の代わりに、俺たちは見つめ合う。

 長い長い沈黙のあと、誰からともなくつぶやいた。「フーガ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る